悪夢と気持ち


 
 
 
 
 
許せなかった。子供を虐げる大人なんて。
大嫌いだった。
いつも俺たちを苦しめる奴らなんて。
あの時、眼が異常なまでに熱かった。
まるで俺を焼き尽くさんとするばかりに。
その熱が俺の理性を奪っていって、正常な判断が出来なかった。
もう少しで、もう少しで殺してしまう所だった。
あいつらの前で、残酷な殺し方で、あの男を。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
『父様!母様!』
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
雪が、見える。白い白い、真白の雪が、降っている。
俺はそこを駆け抜けていく。普段よりもうんと小さな視線で。綺麗な光景だった。幻想的に舞う雪が、美しいと思った。周りに積もっている雪を、俺は踏み締めながら駆け抜けていく。
 
 
『母様!』
 
 
幼い子供の声。それどころか、幼い少女の声だった。
これは…俺じゃない?別の誰か?
 
 
『―――、走ってはいけませんよ』
 
 
突然落ち着いた声が聞こえてきて、上を見上げる。そこには優しそうに微笑む女性がいた。俺は、いや、俺じゃない少女はその女性に飛びついて、嬉しそうに顔を綻ばせた。その女性は何か、その少女の名前を言ったけれど、俺には聞き取れなかった。
 
 
『こらこら、―――。お母さんを困らせてはダメだよ』
 
 
『父様!』
 
 
少女は視界の端に別の人を見つけると、その人に飛びついた。こちらも優しそうな顔をした男性が立っていた。そして少女を受け止めると優しく頭を撫でた。その感覚が嬉しかったのか、少女は頭を男性のお腹に擦り付けた。
 
 
『父様!―――ね、雪ウサギ作ったんだよ!』
 
 
少女はぎゅうと男性に抱きついて、その手を男性の手に押し付ける。すると男性はその手を取って両手で冷えてしまった手を温めてくれた。
 
 
『おや大変だ。あんまり冷えすぎると体に悪いよ。お家に帰ろうか』
 
 
男性は握っていた手をそのまま優しく引っ張っていく。その手はとても温かかった。まるで俺を助けてくれたリカルドのように。
 
 
『母様!』
 
 
少女は男性が握っている手と反対の手を差し出して、女性の手を握る。女性はその手を冷たさを感じて柔らかく微笑んでから、握り返してくれた。
 
 
『―――はやんちゃね、こんなに冷えちゃって。お家に帰ったら温かいココアを飲みましょう』
 
 
嬉しそうに微笑む女性に、少女の頬も緩む。それから二人の手を楽しそうに振って歩いていく。
 
 
『甘いココアがいいなぁ!砂糖たっぷりの!』
 
 
『ええ、そうしましょう。甘くて温かいココアを』
 
 
三人は歩いていく。少し遠くに見える家を目指して。煙突からは煙が見える。とても温かそうで、羨ましいと思った。こんな親からの愛情を受けた事がないから、欲しいと思ってしまった。
これは誰の記憶…?いや、これは夢なのか…?それすらも分からない。けれど、こんなに現実味のある光景を、夢だとは思えない…。
あの少女は?俺が体験したのは、アレスの記憶なのか…?
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
景色が、一変する。
まるで、そこは戦場のように、紅に溢れていた。
足跡が付くぐらい積もっていた雪は消え失せ、そこには無常な茶色い地面が見えていた。それがまた恐怖を仰ぐ。一体何が起こったのか、全く理解できなかった。
 
 
『逃げなさい!』
 
 
女性の、あの優しかった女性の声が聞こえる。その声は自分に投げかけられていて、俺は一瞬その言葉に戸惑う。少女も、同じように足を止めて女性に視線をやった。そこには額から血を流しながらも、何かと戦っている女性が見えた。気持ち悪い、紫の生き物だった。
 
 
『早く!!』
 
 
悲鳴にも似た叫び声を聞いた瞬間、少女は走り出していた。女性に背を向け、でもその名を叫びながら、少女は雪が溶けてぐちゃぐちゃになってしまった地面を走る。けれど、その地面は少女の足を攫っていく。
 
 
『きゃあ!?』
 
 
ばしゃり、と足が地面に掬われて少女は地面に倒れこんだ。目の前は泥だらけで、でもそれでも少女はそれを腕で乱暴に拭って再び立ち上がって走り出す。ただひたすら逃げるように。
 
 
『いたぞ!』
 
 
あの紫色の生き物が少女の後ろを追いかける。その背には羽が生えていて、それで移動しているようだった。少女が必死に走っているにも関わらず、嘲笑うかのようにそいつらは徐々に追いついてくる。
 
 
『貴様が脱走者の娘か』
 
 
重苦しい声と共に、いきなり喉元に黒い鎌が伸びてきて、少女は悲鳴を上げる。そしてその動きは完全に止まり、紫色の生き物が追いついてしまった。少女はただ恐怖に震え、涙を流すのみだった。
 
 
『もう逃げられん。ラティオの元老院の決定だ。お前を天上に連れて行き、センサスと戦わせる事で、脱走者を許すそうだ』
 
 
意味が分からない…。脱走者?娘?それに、この少女を天上に?センサスと戦わせる?こいつらは一体何の話をしているんだ?
 
 
『分かっているな?』
 
 
『は、い…』
 
 
意味が分からないが、少女はその意味を理解しているのか、震えた声で頷く。すると今まで喉元に当てられていた鎌が離れ、紫色の生き物が少女の両腕を掴む。そしてその体が徐々に浮き上がっていき、地面から離れていく。
 
 
『―――!!』
 
 
下の方で、男性と女性が地面に伏しながら、少女の名前を叫ぶ。しかしその声はとても弱いものだった。
 
 
『父様ぁ!母様ぁ!』
 
 
少女の泣き声と、必死に伸ばす腕が見えた。けれどその手は空を掴み、少女はただ涙を流した。やがて夢は端の方から黒く染まり始め、俺の意識も引っ張られるような感覚がする。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
『お前の新たな名は―――だ』
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「っ!?」
 
 
バッと勢い良く体を起こして、息を整える。先程まで見ていたのは一体なんだったのか。思い出すと頭が痛くなってくる。希望が一瞬にして絶望に変わるような、そんな感覚だった。あれは、まさかアレスの記憶なのか?
 
 
「ラスティ…」
 
 
いきなり名前を呼ばれてギクリとすると、俺の寝ているベッドの端の方でスパーダが腕に頭を乗せて眠っていた。どうやら寝言、だったらしい…。マジでビックリさせんなよ…。心臓に悪い…。
しかし、スパーダは良く眠っているみたいで、俺が勢い良く起きたにも関わらずまだ眠り続けているらしい。そんなスパーダの姿を見て、思わず苦笑を漏らす。それからまだ眠っているスパーダの頭をくしゃりと撫でてやった。
何だか少し可愛く見えた。
 
 
「う…」
 
 
髪をくしゃりとした感覚に目が覚めたのか、スパーダは唸りながら顔を上げる。そしてゆっくりと灰色の目が開かれて、俺の顔を映し出した。
 
 
「おはようさん」
 
 
にっこりと微笑んでやると、スパーダは少しばかりぼーっとした後に、ハッとして俺の傍から離れた。ちょっと、勢いあまって壁にしたたか背中をぶつけたようだけど…。よくよく見るとちょっと顔が赤くなっていた。
 
 
「ど、どうした…?」
 
 
突然の行動にわけが分からずに首を捻っていると、スパーダは少しばかり赤くなった顔を手で隠してから、ベッドの近くに置いてある椅子に落ち着いたように腰掛けた。
 
 
「何でもねぇ」
 
 
ぶっきらぼうにそう言ったスパーダ。けどさ、俺としてはさっきの反応が激しく気になるわけ。追求したくなるわけ。だからちょっとベッドから身を乗り出してスパーダの顔を覗き込もうとすると、思いっ切り顔面を鷲掴みされた。
 
 
「ちょっと、スパーダ君…?」
 
 
「見んじゃねーよ、馬鹿」
 
 
ギリギリと力を込められて、痛いと悲鳴を上げると、漸く離された。けど、俺がスパーダの姿を確認する前に、あいつは部屋を飛び出して行った。え、放置ですか…?なんて考えていたら、部屋にアンジュが入ってきて、俺の姿を見るなり呆れたような溜息をつかれた。
 
 
「ラスティ君って鈍感なのかしら?」
 
 
いきなりそんな事を言われても自覚どころかどういう事か理解できない俺に、それは随分な言い方ではありませんか?聖女様…。
 
 
「あんなにみんな心配していたのに、起きた瞬間にこれだもの。今までの心配を返して欲しくなるなぁ」
 
 
俺の心を読み取ったかのような聖女様の言葉に、微かに頬が引きつる。心配はとてもじゃないけど返せないぜ…。いや、分かってるけどさ、今はこれしか言えなくて…。
 
 
「えっと、とりあえず悪かったな。どれくらい寝てた?」
 
 
「半日くらいかしら?麻酔が完全に切れるまではまだ時間がかかるそうよ」
 
 
半日程度…。結構の時間を睡眠に費やしちまったみたいだな…。それに麻酔はかなり長い間効くみたいだ。動きが多少鈍い気がするし。
 
 
「ま、問題ないだろう。天術が使えればいいし」
 
 
「あら、随分と楽観的ね」
 
 
「生憎ネガティブ思考になるのはもう止めたんだよ。んじゃ、スパーダを追いかけてくるよ」
 
 
まだ鈍い体でベッドから立ち上がり、スパーダが出て行ったドアを開けてそこから出ようとすると、アンジュが俺の横にやってきて、囁くように言った。
 
 
「あんまり鈍いと、チャンスを逃すよ?」
 
 
その意味を何となく理解していた俺は、眉間にしわを寄せた。
鈍いんじゃないんだよ、聖女様。俺は気付きたくないだけなんだ。あんたなら知ってるだろ?俺の昔話。それを聞いていたのなら分かるはずだ。これが鈍いんじゃないんだって…。
アンジュの言葉にすぐさま理解していないような表情を作ってから部屋の外に出る。今はとにかくただスパーダを探す事だけに専念する事にした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
少しばかり陽が陰りを見せ始めた港の一角。そこにスパーダは立っていた。エメラルドの髪が潮風にふわふわと吹かれていて、時々綺麗に朱色に染まったりしていた。
 
 
「スパーダ君」
 
 
落ちて行く陽を眺めていたスパーダの隣に立ってそう静かに声をかけると、相手は俺の姿を一瞥しただけでそれ以上の反応を示さなかった。どうやら機嫌を損ねているように見える。そんなスパーダに苦笑しながらただ隣に立って落ちて行く陽を眺めていた。
 
 
「具合、良くなったのかよ…」
 
 
多少ムッとしたような口調だけれど、言葉の端々から優しさが感じられて、思わず苦笑してしまう。それに気付いたスパーダに睨み付けられて止めたけど…。
 
 
「心配かけたな。麻酔は完全に抜けてないけど、大丈夫だ」
 
 
「ふぅん…」
 
 
興味ないみたいな態度を取っているけれど、一番心配してくれたって事はもう知っている。だから俺はそんな態度をとってもただ苦笑するしか出来なかった。
 
 
「ありがとうな」
 
 
これは心からの感謝。ちゃんとスパーダの方を見てそう言うと、スパーダは少しばかり頬を朱色に染めていた。それから眉間にしわを深く刻んでから、俺に背を向けて歩き出す。
 
 
「宿に帰るぞ!」
 
 
ぶっきらぼうに放たれた言葉に微笑みながらその背中を追いかけるために走り出す。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
俺にはこの気持ちを甘受する事は出来ない。俺は、きっと怖いんだ。この感じたの事のない感情が。人は、分からないからこそそれを恐れるんだ。
だから、俺は気付かない振り。今はまだ、気付かない振り…。
 
 
 
 
 
 


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