在るべき姿


 
 
 
 
 
鍾乳洞の帰り道はそれほど苦労する事も無く帰る事が出来そうだった。元からそんなに苦労する事なんて無かったけれど、行きは警戒していたのもあるから進みは速くは無かったし…。まあそんな事よりも俺が一番気にしているのは隣にいながらニヤニヤしているエルの存在だ。一体何が楽しいのか始終ニヤニヤしている。間違ってはいない。ニコニコではない。ニヤニヤである。企みの様な、何とも言えない笑みを浮かべている。
 
 
「…エル、何が面白い…?」
 
 
その視線に耐えかねてついにそう切り出すと、エルは目を瞬かせた後、今度はちゃんとにこりと笑った。
 
 
「兄ちゃんはほんまにアレスの転生者かと思ってな」
 
 
何の事かと思えば、何というか…。
 
 
「疑ってるわけか?」
 
 
決して厳しい目を向けているわけではない。ただ皮肉ったような笑みを浮かべているだけだ。するとエルはまたしてもニコニコしながらちゃうちゃう、と笑った。
 
 
「あの無表情で全く笑わんアレスがこないオモロい兄ちゃんになってんやもん」
 
 
「はは〜ん…。それって貶してんの?褒めてんの?」
 
 
ちょっと引き笑いになっていたとしても許されるだろう…。だっていくらなんでも前世と比較するなんてあんまりだ…。だって俺の前世女の子なんだぜ?そりゃあおしとやかとか穏やかとか色々あるだろう。まあアレスは大人しいとか言うよりはエルの言う通り無表情で、全く笑わない性格だったし。
 
 
「せやけど、優しさは一緒やね」
 
 
にこりと笑ったエルの笑顔は今までのそれと違っていて、妙に頭にこびりついた。そしてあまりにも輝かしいその笑顔に、思わず足を止めてしまう。誰かが背中にぶつかったような気がするが、そんな事気にならない些細な事だった。
 
 
「アレスはな、ヴリトラよりは長くは生きられんかったけど、天上の生き残りなんよ?さっきのはな、最終的に生き残ってしもうたんはうち一人やったって事や…」
 
 
天上崩壊の折、ヴリトラの他にただ一人生き残った者がアレスだとエルは語る。そしてその話からして、彼女はそう長く生きてはいないらしい…。
 
 
「泣いとった。あんな顔を見たんは始めてかもしれんと思ったわ。ヴリトラに泣き付きながら何かを叫んどった。やっぱり…って呟いとった。どういう意味やろね?」
 
 
エルはそう言って首を傾げる。悪意なく、ただ純粋な疑問。けれど、この中で一番記憶の戻っていない俺に、それを聞いた所で解決できるはずがない。
 
 
「ヴリトラのように強靭な肉体を持っとらんかったアレスは、何十年も経たんうちに亡くなってもうた。魂は光となってどこかへと消えるんかなぁ思てたら、魂と一緒に刀が地上に落ちて行くねん」
 
 
刀…。俺の背に存在する彼女のみが使う事を許された唯一の武器、リリー。そのリリーがこの地上に落ちてきて、俺の手に渡るだなんて、なんかの因果を感じるね。
 
 
「それからは一人きりやったけど、嬉しかったんや。自分以外にも生き残りがいたんやなぁって…。アレスは言っとった。心が独りじゃなければきっと運命はやってくるって。正直、慰めしか聞こえんかったけど、今やったらこれが精一杯の励ましやったって思えんねん」
 
 
心が独りじゃなければきっと運命はやってくる…。運命?一体何の?果たして誰の?アレスは一体何を伝えたかったのだろうか…?心が独りじゃないってどういう事だ?心はいつだって独りだ。自分以外の存在が踏み入れることなんて到底出来ないし、その心の中を知る事だって無理だ。不可能。人の心はいつだって独りなのに、どうしてそんな事が言えるんだ…?分からない。何故だか胸が苦しくなった。
 























 
「犬だ」
 
 
不意に聞こえてきたスパーダの声に、考え込んでいた意識が浮上する。
犬?イヌ?いぬ?あれですか?四足歩行のワンって鳴く奴ですか?
 
 
「見ればわかる。しかも二匹だな」
 
 
一瞬思考停止に陥りそうになった俺の脳を動かしたのは確かに目の前に存在していた二匹の犬だった。黒いドーベルマン様な逞しい犬だ。うーん、強そうだ…。
そんな風にぼんやりと状況の把握をしていた俺の視界に青色の髪…アンジュが引け腰で現れ、犬に一歩ずつ近づこうとしている。しかしその腰があまりにも引けているので、ちっともかっこよくない…。
 
 
「だ、だめよイリア、興奮しちゃ…。緊張が犬に伝わっちゃう。こういう時は落ち着いて目を見て」
 
 
そろりそろりと犬に近づこうとしていたアンジュ。けれどその犬が軽く一鳴きするだけでアンジュは短い悲鳴を上げてすぐさま俺たちの所に戻ってきた。さっきの言葉はイリアを注意していたものにも関わらず、自分は全くお手本になれないアンジュ。ドンマイだ…。
 
 
「この気配、ヴリトラだね。天地を轟かす龍神の気は忘れもしない」
 
 
突如、この鍾乳洞に第三者の声が響く。洞窟は元々声が響きやすいが、その声がやけに冷静で、それ故に良く響いていた。褐色の肌をした少年だった。南国育ちなのだろうか…。服と呼べるほどの服は着ているようには見えない。つーか上半身は丸出しって奴か?いくら男だからってそれはちょっと…。
 
 
「んん?自分は一体…」


「僕だよ。わからないのか?」
 
 
エルが首を傾げて悩んでいると、少年はにやりと口角を持ち上げて笑った。てか、それって全くヒントにもなってないよな…。何?知っている事が前提なのか…?俺は知らんぞ、あんな半裸少年は…。
 
 
「……。創世力の番人、ケルベロス、あんたかいな」
 
 
…知ってるんかい。てかエルはそんな事を分かるのか!俺には全く分からなかったぞ!手か創世力の番人?やっぱり何だかんだで強力な力には守護者的な存在がいるんだなぁ。
 
 
「今はシアンって名さ。創世力はどこだ?」
 
 
さっきまでの和やか…とは言えない雰囲気だけど、若干緊迫感のある声でそう尋ねるシアン少年。何故そんなに上からなんだ…?最近のガキはしつけがちゃんとなっていないのか…?あ、いかん、つい物騒な事を考えてしまうぜ…。下手したら脅しみたいな声を上げちまうかも知れないな…。おんどりゃあ!みたいな?
 
 
「おいおい、少年。やけに偉そうじゃねーか」
 
 
このまま対話を続けていても埒が明かないので、進み出てそう言うと、シアンは目を大きく見開いて俺の顔をまじまじと見た。
 
 
「その気配、アレスだな!お前も知っているだろ!創世力はどこだ?」
 
 
「創世力の番人って呼ばれるお前の方が明らかに詳しいだろうが」


「天上崩壊を見たお前なら、地上のどこに落ちたか知っているだろ?僕に教えろ!」
 
 
ちょっと一発、殴って良いですよね…?思わず下の方で握り拳を作っていると、後ろの方からアンジュの声が聞こえてきた。
 
 
「ねぇ坊や。一つ聞いていい?何故創世力を探すの?」
 
 
アンジュは出来るだけ優しくそう質問した。そんなアンジュの隣で、ルカが腕を組んで何やら考え事をしていた。そしてみんなの顔を見渡した。
 
 
「さっきの記憶、変じゃない?」
 
 
変…?変………、ああ、なるほどな、確かにそうかも知れん。アスラは天上を救うために戦っていた。なのにも関わらず天上を滅ぼしたと言われる創世力を使うなんて愚の骨頂。明らかな矛盾がそこに生まれている。
 
 
「アスラは何故創世力を手に入れたかったんだろう?」


「確かに、天上を消滅させる意味がない。苦労して天上統一を果たしたというのにな」


「でも、私の記憶では創世力は…」
 
 
何やら勝手に話し合いを進めているそこの人たち。すみません、俺たちの事は放置ですか?放置プレイなんですか?寂しいので構ってやってください。特にシアンがプルプル震えています。
 
 
「僕を無視するな!創世力について聞いているのは僕なんだ!」
 
 
近場に存在する不憫系な扱いを受けているシアンを見て、俺は別にホッとしているわけではない。仲間がいたとかそんな事考えてないからな!
 
 
「知らんもんは知らんやん。自分、もう帰ってエエんとちゃう?」
 
 
強制終了なパターンだな。だがここでパターンに乗るのなら、相手は無理矢理にでも聞きだそうとするのが良くある奴だ。時たま例外が合ったりもするがな。
 
 
「とぼけるな!お前たちが知らないはずないんだ」


「繰り返すが、何故創世力を求める?返答次第では…痛い目に合ってもらうぞ?」


「うわ、えげつなーい。最低だな」
 
 
最低なリカルドの言葉を笑ってやったら、何か硬い物質が飛んできた。それは空の薬きょうだった。お前、何故こんな物を所持しているんだ…?普通はすぐに捨てるもんだろ?
 
 
「もしもの時のためだ」
 
 
もしもって今か!今がもしものパターンなんだな!つまり俺とお義父さんの位置が離れていて殴れない時だな!何という奴だ!そんな事のために不要なはずのものを永遠と所持しているなんて!
 
 
「び、ビビらそうったってそうはいかないんだからな!その力を使って理想郷を築くためだ!」


「口が軽いじゃねーか。んで目的は…アレだな?お前、アルカ教団の奴か」


「そ、そうだよ?悪い?マティウス様は素晴らしい人だ!救世主となるお方なんだよ!理想郷の導き手になるひとなんだから!」


「浅薄なお題目だな。教わったことをただ闇雲に暗唱するだけでは身の肥やしにならんぞ?」
 
 
理想郷…。実際には存在することのない楽園。そこはあらゆる幸運に恵まれ、不幸になる事などない。まさに天国のような場所。不幸のない美しい世界…。
 
 
「せんぱ…。意味はわかんないけど、僕を馬鹿にしてるんだな!思い出せないんなら、思い出すまでヴリトラは僕らが預かる!来い、ヴリトラ!」
 
 
シアンは無理矢理エルの腕を掴んで引っ張ろうとした。俺はそんな二人の間に割って入って、その手を掴んだ。そしてその手を締め上げるように力を込めた。するとシアンは痛みに顔を歪め、エルを掴んでいた手を離した。それを確認した俺はその手を離してやった。
 
 
「理想郷なんて幻だ、クソガキ。そんな世界があったなら誰もが救われとるだろうよ」
 
 
俺が吐き出した冷たい言葉に困惑しながらも、先ほど力強く掴まれた手首を擦っているシアン。その目には動揺が窺えた様な気がした。


「な、なんだよ!そんなこと知るか!邪魔するってんなら、無理にでも連れて行く!ケル、ベロ!かかれ!」


シアンが二匹の犬にそう命じると、二匹は泣き声を上げた後にルカたちの方へと走って行った。あっちはあっちに任せようじゃないか。だから、こっちはこっちの話をしよう。
未だに俺の前に留まっているシアンを見下ろしながら、俺は冷たい考えを巡らせていた。幻想を抱く哀れな子供を顧みることすらしない。とことん追い詰めているに違いない。
 
 
「お前は本当にアレスの転生者なのか…?」


どうやらシアンの困惑は俺の言葉ではなく、この性格に合ったらしい。だがお生憎だ。俺は彼女の転生者で、それ以上でも以下でもない。
 
 
「ああ、そうだ。俺が勝利の女神と謳われた彼女の転生者だ。お前は分かっていただろう?」


「…、お前はまるで闇だ…。暗くて重い…。押し潰されそうになっていて、でもそれでもここに立っている」


押し潰されそうになっている?馬鹿な。俺が俺自身に潰されるなんて有り得ない。


「…アレスはそんな事言わなかったし考えなかった。お前らは似ているくせに似ていない。アレスは心の底から孤独を嫌ったし、孤独になろうともしなかった。でも、お前は違う。矛盾だ。どうしてそんな風な顔をしてるんだ…」
 
 
シアンの言葉は俺の胸に響かない。おそらく俺が俺で在り続ける限り、それが響く事は有り得ないのだろうな。だって俺はいつだってそれを望んできた。彼女がどうだか俺が知ったこっちゃない。俺は俺だ。
そんな会話をしているうちに、ルカたちは二匹の犬を片してしまったようだ。二匹はふらふらとした足取りで主人であるシアンの元に近寄っていった。シアンはそれを見て二匹を優しく撫でると、ルカたちをキッと睨み付けた。
 
 
「くっそ…、やるな…」
 
 
負け惜しみにも聞こえるその言葉に、イリアとスパーダは鼻で笑った。


「何かっこつけてんのよ!犬男のくせに」


「ぶはは!犬男がいきがってやがるぜ」


いやぁ、二人は本当に悪役が似合うよね。まさにぴったりだ。もうラスボスはこの二人で十分じゃないか?


「だ、誰が犬男だ!」


「こら、だめよ。ちゃんと名前で呼んであげないと。犬男君、お名前は?」


二人の言葉に少なからずショックを受けたシアンがそう返すと、アンジュが二人を諌める言葉をかけ、シアンにそう尋ねた。てか、お前もか、アンジュ…。最終的に名前を覚えてるのって俺だけじゃね?
 
 
「うわぁあん!!憶えてろ!」
 

シアンは顔をくしゃくしゃにしながら猛スピードで鍾乳洞の中を走り抜けていった。その背中には哀愁が漂っていて、若干可哀想にも思えたが、そっと目を伏せることにした。
…、先ほどの言葉も、目を伏せることにしよう。俺は何も聞いてはいない。奴は何も言ってはいない。受け答えも何も、ここにはなかったものだ。初めからなかった。そう、だから俺は俺で在り続けるんだ。
 
 
――それが本当に本来在るべきあなたの姿?――
 
 
 
 
 
 


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