特殊と普遍


 
 
 
 
 
将軍アスラが声高らかに叫ぶ。
勝利の宣言。平和の訪れ。これで、全てが上手く行くはず。
そういう希望のこもった兵士たちの叫び。それら全てが戦場を包み込んでいた。


『天上界統一を果たしたと宣言する!』


アスラの声を尻目に、俺はただ少女を見ていた。俺を見る事が出来るはずのない少女に向けて…。


『アスラ様…、とうとう統一を果たせたのね』


不意に、アスラの方へと誰かが近づいてきた。女性だ。長いピンクの髪に引きずるような洋服。格好から見て随分と良い身分に思える。そしてその女性はアレスを視界に捉えると、一瞬不快そうな顔をした後にアスラへと視線を移した。


『その通りだ、イナンナ。これでお前に、この世界がかつての美しさを取り戻す光景を見せてやれる』


イナンナ、と呼ばれた女性は、アスラのその言葉を聞くと、今まで嬉しそうだった顔を少し俯かせて悲しそうな顔をした。それに一体どういう意味が含まれているのか、俺には理解出来なかった。
アスラは弾んだ声のまま、自分の傍に控えている少女の頭を優しく撫でた。その眼差しは、子を慈しむ様な目だった。


『ほほほ、嬉しき事よなぁ、アスラよ。わしのような年寄りの昔話をより所に、この偉業を成しとけてくれようとは』


龍。
そこには美しい白銀の龍がいた。
その姿はあまりにも大きすぎて、イナンナや少女がちっぽけなものに見えるほどだった。アスラでさえ、子供のように見える。


『アスラ様、オリフィエル殿が参られております』


次に現れたのは黒い艶のある髪をなびかせた少女だった。長く美しい髪が月明かりによって僅かに輝いていた。


『サクヤ…』


先程まで黙っていた少女は、その黒髪の少女の名を呼ぶ。するとサクヤと呼ばれた少女は顔を綻ばせて少女へと歩み寄り、その小さな手を握り締めた。


『おめでとう、アレス。これで平和が訪れるわ』


サクヤは綺麗な笑みを浮かべてそう言う。彼女が手を取っているのが俺の前世、アレス…。彼女が、俺の前世…。力を求めた愚かな者たちによって幽閉された少女…。


『アスラ殿』


また新たな人がやって来た。癖のある銀髪の髪。付けられているモノクルがいかにも知的なイメージを作り出す。そしてその口調も知的な雰囲気を醸し出す。
しかし、その表情はとても重たいもので、喚起に溢れるこの戦場では不釣合いなものだった。それを見たアスラが何事かと眉間にしわを刻む。吉報では無い事はすぐに窺えた。


『ヒンメルが…死んだ。いや、殺された…。寝返った私への嫌がらせか、これ以上あなたへの同調者を出さないためか…』


酷く重たく吐き出された言葉に、先程までサクヤの隣で微かに喜びのオーラを見せていたアレスの顔に、初めて表情が現れる。
絶望。闇の淵に立たされた様な表情をしていた。
その紅色の瞳は大きく見開かれ、ただオリフィエルと呼ばれた人を凝視していた。それが嘘であると思いたいがための行動なのだろう。しかし、オリフィエルはその視線に耐えられなかったのか、そっと視線を外した。
その行動が全てを決定付けた。アレスはその場で泣き崩れた。


『ヒンメル…っ!』


泣き崩れたアレスを支えたのはサクヤだった。彼女は涙を流しているアレスの背中を優しく擦り、落ち着くように何度も何度も声をかけていた。


『私は不実な事をした!あなたの勝ちの報せを聞き、つい酔いしれたのだ!その瞬間、私はヒンメルを忘れてしまっていた。あの子は待っていたろうに…。再び、アレスに会える時を…』


オリフィエルの視線の先では未だに泣き続けるアレスがいる。そして彼は何か覚悟を決めたような表情でアスラを仰ぎ見た。


『かくなる上は、ヒンメルと等しく志を有したあなたに仕えるのみ』


『俺の元に来てくれるのか』


『受け入れて下さいますな?愛弟子一人救えぬ愚昧なる身であるが』


『無論だ。これで…完全なる世界を作る目的に一歩近づけた。ケルベロスの承認を得、そして…手に入れるのだ。創世力をな…』


アスラとオリフィエルが会話している間、ずっと泣き続けていたアレスの視線が微かに上がる。それでもまだ俯いていた瞳からは涙が零れていた。そしてサクヤの視線が少し離れている隙に、彼女は何か囁くように言った。


『来世こそは…』
 























 
放たれていた光が収縮した頃、俺たちは呆然としたまま先程見た光景を呟いていた。


「見えた…、今の光景は…」


「センサスが統一を果たした時の光景だった…のか?」


センサスの統一。平和の訪れ。豊穣の地…。けれど反対にヒンメルの死がそこにはあった。そしてオリフィエルの転生者であるアンジュは胸を押さえていた。
俺も、胸が潰れる思いだった。あれだけ感情を表に出さないアレスが泣き崩れた相手。一体彼女にとってその存在がどれほど大きかった事か…。おそらく何よりも守りたい存在だったのだろう。


「みんな見てたわけ?リカルド、あんたは?」


「見えた。不思議だな、俺はその場にいなかったのに。さっきの光の渦は結局何だったのだ?」


「あれは天上の記憶の結晶。いえ、むしろ記憶の場かもしれません」


苦しそうな表情のままそう答えたアンジュ。やはり彼女も胸が痛むのだろう。俺にはあまり記憶が無いから客観的からしか分からないが、彼女は前世の記憶を少なからず持っている。ヒンメルとオリフィエルの関係を良く分かっているのだろう…。


「なんでそんなこと知ってんの?」


「同じ物が聖堂の地下室にあったの。私が覚醒したのはそれがきっかけだから」


「ほな、さっきみたいなん他んとこにもいくつもあるっちゅう事?」


「ありうるな。これを巡って回れば…」


みんながその考えに至った時には、アンジュの表情は穏やかなものとなっている。けれど俺はまだどこか引っかかりというか、悲しさを覚えていた。戦争…。それによって多くの命が巻き込まれて死んでいく。アスラはそれを改善したくて戦争を起こしたのだろうけど、それは結果的にヒンメルを死なせる事になってしまった。
果たしてあの中での最善とは何だったのだろうか…。


「どんどん思い出せて楽しゅうなるっちゅうワケやね!!」


いきなり飛び込んできた声に、俺の考えは一時中断せざるを得なかった。
えっと、今の声からするとエルマーナだよな…?そしてそのエルが思い出せて…なんて事を言っていると…?それってつまり、エルも転生者って事だよな…?


「ウチ、ヴリトラやってん」


ヴリトラ。先程見た白銀の龍の事だよな?だとすると、ここに集まっている俺たちは大体がアスラに関わりのある人物って事になるよな…。これはある意味興味を引かれる結果だ。運命のような必然のような、そんな感じの強いものを感じるのは俺だけだろうか?


「兄ちゃん!兄ちゃんは何なん?」


考え事の最中に声をかけてきたのは今しがたヴリトラと発覚したエルだ。俺はそんなエルを見下ろしながら先程までの考えを保留する事にした。


「俺?俺はアレスだ」


「兄ちゃんがアレスなん!?ほぇ〜まるで似とらんね!アレスはいっつも無表情やったからな!」


それは俺がいかにもへらへら笑ってて楽しそうな奴だと嘲笑っているのか?エル?顔が引きつる感覚がするが、慌てるな俺。こいつは子供だ。あまりにも純粋すぎただけだ…!


「ちょっとちょっと!あんたホントに龍だったの?」


「そうそう、デッカイ体で大空を飛び回り、ラティオの軍勢を蹴散らすんは爽快やったなぁ!!自分はあれか?サクヤか?」


「ちっがうわよ!なんか間違われるの、ムカつくんだけど」


「なんや、イナンナの方かぁ。仲悪いんは相変わらずなんやな。アレスはサクヤと仲良かったからなぁ。それにしても、昔から見てた夢に意味があったんやね。それわかって、良かったわぁ」


エルは楽しそうにそう笑っていたが、少しばかり寂しそうな雰囲気も出していた。


「あれは前世の記憶なんだよ。僕たちは前世で同じ世界に生きていたんだ」


「へぇ〜前世やったんかぁ…。なんか納得やぁ。ふ〜ん、なるほどなぁ。ちょいちょい夢で見ててんけどな、いっつも寂しなんねん」


「どうして?」


「天上いうやったかな、あの世界、滅んでまうねんけど、ウチ、たった一人…ずっと一人やねん」


そう言った時のエルの顔はやっぱりさっきと同じように寂しそうな顔だった。そしてエルは一瞬だけ俺の方に視線をやると、またみんなを見た。
今のは一体…?


「最後までアスラの名前、呟いとったなぁ…。ほんで、そのまま…何百年…、いや、ヘタしたら何千年、一人っきりやねんな。んでこの寂しさが永遠に続くんかなぁと思ったら、大抵目ぇ覚めんねん」


「ヴリトラが…そんなに僕の事を…?」


「ま、目覚めてもあんま変わらへんけどね。仲間に話しても、誰も取り合ってくれへんかったし」


先程の寂しそうな顔の意味を漸く理解する事が出来た。エルはずっと一人でこの夢について悩んでいたんだ…。仲間と呼べる人たちもその夢の事は信じられなかった。転生者じゃない奴らにそんな事を話しても、夢物語と言われるのがオチだろうからな…。
夢物語…。確かにこれは夢だ…。だが、現実にあった事でもある。実際俺たちには力がある。不思議な力。普通の人間には無い特殊な力。それは本来ならば受け入れられるはずの力のはずだ。だって俺たちは神様の転生者。この世界が無恵によって衰退し始めた中、俺たちはその神様の力を持って生れ落ちた。なのに、人はやはり愚かなんだ。この力を異能の力なんて言うのだから…。


――けれどあなたは神様ではない…――


不意に聞こえてきたのはリリーの声だった。その声はまるで俺を咎めているようだった。
お前もその人間の一人に過ぎないと言われているようだった。そして俺もその愚かな人間なんだと言われているようで…。


――…あなたは神様じゃない。けれどもうあなたを縛る者もいない…。嫌悪する人がいても、あなたにはあなたを分かってくれる人がいる…。怯えないで。あなたは特殊じゃない…――


特殊じゃない…?どうして…。どうしてそんな事が言えるんだ…?分からない。俺が特殊ではないのなら、どうして俺はあんな人生を歩んだと…。
分からない。頭が痛くなってきた。
そんな時に思い出したのは何故かリカルドの言葉だった。


『ガキにはまだまだ学ぶべきことがある。お前はそれを知らないだけだ』
 
 
 
 
 
 


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