求めているもの
最早夜の帳は降りている。暗く闇に染まった景色をただ月明かりだけが照らしている。
けれどその月には雲がかかり、淡い光しかこの地上には届かない。うっすらとした明かりに、どこか儚さを感じた。
そんな鬱々とした事を考えながら、壊れた大聖堂の方へと足を運んだ。廃墟と化しているここに、人影なんてあるはずも無い。ただあるのは静かな沈黙と、淡い月明かりだけ。木々のざわめきも鳥の羽ばたきも聞こえない。
「何が始まりだったのか…」
月明かり、雲のかかった空を見上げながら一人呟く。
俺の歯車は随分前から狂っている。しかし何が理由なのか全く分からない。
俺があそこに立つようになったのはいつからだったか…。
この、クルーラーと言う家名が嫌いになったのは、いつからだったか…。
紅は嫌いだ。でも、俺はいつだってこの紅を身に纏って生きている。何故か?その理由は俺さえも分からない。きっと理由なんて無いんだ。ある意味運命に近いものだ。
「何が正しくて何が悪いのか…」
何もかも分からない。俺の紅は悪いのか、それとも正義なのか。それとも最早その基準に当てはまらないのか。
世の中は良く分からないもんだ。予測なんていつも俺の考えの上を行く。
俺を嫌い、金のために幼い俺を利用した両親も、その俺を助けたリカルドも…。
全くもって分からない。いや、分かりたくもない。きっとそれを知ってしまったら帰れないような気がするから。何から帰れなくなるかは分からない。でも、帰れなくなるような気がするんだ。
――あなたはそれを知りたくないだけ…――
いきなり声が聞こえた。前にリリーと名乗っていた声だ。
知りたくない?俺の心が分かるのなら答えは知っているだろ?俺は分かりたくもないんだ。帰れなくなるのは嫌だから。
――…それを知ればきっと救われる。救われるためには知る事が必要…――
救われる?何に?誰に?一体何の目的で?誰が俺なんかを助けてくれるんだ?
――あなたには仲間がいる――
仲間…?仲間が俺を救う?それこそ有り得ない。あいつらとは利害が一致しているだけだ。きっと目的を果たしたら顔を合わせる事なんて無い。俺たちは他人だ。いつか別れるならば、深く信用する必要も無い。
――…救われる。あなたがそれを望めば彼らはきっと…。私がアレスに救われたように…――
アレスに救われた?どういう意味だ?
――私は鍛冶神バルカンの忘れ去られた作品…。誰も私の事を知らなかった。そう、私は棄てられるはずだった…――
棄てられる…?作品として生まれたのに、何故棄てられるんだ?
――私はイレギュラーであってはならない物だった。私はバルカンの作品にあってはならない物だった。私は使用者を選んでしまった。バルカンの作品は使用者を選んではいけなかったのに…――
使い手を選ぶ…?つまり俺はお前の使い手に選ばれたのか?
――あなたが私を使えたのはあなたがアレスの転生者だから。あなた以外は私を触れることさえ敵わない…――
俺だけが使える刀…。俺が彼女の転生者だから…。
――…何があっても…――
…?
――私はあなたの行く道を信じる。例え紅に染まろうとも…――
…ありがとう、リリー。なあ、教えてくれないか…。アレスの事を…。俺は彼女の事を知らなすぎる…。俺には記憶が足りない。この先生きていくための…。
――…彼女は、ラティオの民だった――
ラティオ!?なら何でこんなにもラティオが恐ろしいと思うんだ?
――…ラティオの元老院は、彼女の母親が元々力が強かった事に目をつけ、その娘である彼女の力を狙っていた。そしてある日、彼女がまだうんと小さい頃、元老院は死者を放って彼女を誘拐し、幽閉した…――
誘拐…幽閉…。力のために小さな少女だったアレスを攫い、幽閉するなんて…っ!汚らわしい!欲に塗れた気持ち悪い奴らだ…!
けど、その幽閉がアレスの心に大きな傷を作ったんだな…。だから彼女はラティオを嫌った…。
「ラスティ!」
遠くからスパーダの声がする。良く見るとスパーダが息を切らしながらこっちへと走って来ていた。
「どうした?」
先程まで考えていた事を一気に吹き飛ばしていつも通りの顔で返事をすると、スパーダは少しムッとしたような顔をした。
「んだよ、戻ってんのかよ…。せっかく慰めてやろうと思ったのによ」
スパーダはそう言ってそっぽを向いた。構ってもらえない犬みたいな感じがして、スパーダの頭を帽子の上から撫でといた。するとスパーダは眉間にしわを寄せて俺の手を振り払った。こ、これが噂のツンデレって奴か!?
「誰がツンデレだ!殴るぞ!」
「もう殴ろうとしてんじゃん!俺の優秀な頭脳をひがむな、少年よ」
叫びながら拳を振り下ろして来たスパーダの拳を避けて、ニヤニヤと笑いながら足を一歩後退させる。そしてスパーダが油断しているうちにその帽子を奪って被る。
「おい!」
「返して欲しかったら追いかけてみな?お前には無理だろうけどなー」
けらけら笑いながら一気に駆け出すと、後ろからスパーダの大声が聞こえてきた。お前、夜なんだから時間考えろよ…。なんて事を考えながら脇にある茂みの中へと駆け込んだ。ここからなら相手から見えないが俺から見えるというベストポジションを獲得できそうだ。
――…あなたは幸せそう…。何だかんだで仲間を好いてる…――
茂みの所に生えている木に登っている最中にリリーがそう声をかけてきた。俺は木の上に一気に上って、幹に背を預けた。
何だかんだで…か。確かにそうかも知れないが…。それでも俺はあいつらが敵じゃないからだと思うがな…。
――…あなたは幸せ…。あなたの周りにはあなたの事を考えて悩んでくれる人がいる…。でも、それでもあなたは満たされずに何かを求めている…。自分に足りない名前も知らない何かを探している…――
俺の望んでいるものが、ここにあるとは限らない。だから俺は目的が終わったらあいつらとは会わない。俺の捜し求めているものを早く見つけたいからな…。
――それを彼らが持っているとは考えないの…?――
それはないな。あいつらが持っているなんて…。
――あなたは可哀想な人…。私と同じ、足りないものを得ようとする者。可哀想な人…、目を開けばきっと気付けるものなのに…――
…いいや、きっと気付けないさ。そこにないものを求めたって見つかるはずがねぇ。そう、そこにはないんだ。俺が求め続けているものが。
「ラスティ!」
下の方からスパーダの声が聞こえてきて、ここがバレてしまった事に気付いた。おっかしいな、ここはバレないと思って登ったんだけど…。
なんて考えながらするりと木から下りると、スパーダが何かを叫ぼうとしていたので、手で口を押さえた。
「しー。お前今夜だから静かにしろよ?近所迷惑になるぞ?」
そう囁くように言ってから手を離すと、スパーダは静かな声で帽子を返せと訴えてきた。俺はそんなスパーダに苦笑しながら被っていた帽子を取ってスパーダへと被せてやった。そしてスパーダの背中を押してハルトマンの家へと押して行った。
「ほらほら、帰ろーな」
幼い子供を言い聞かせるように言ってやると、スパーダが振り返って俺の頭を殴ってきた。それがまた痛くて蹲っていると、スパーダは俺を無視して歩き出してしまった。
「いってぇ…」
小さく呟いてからふと思う。
目的が終わったらきっとこの楽しかった日々もすぐに終わる。長くはない。だから今のうちにいっぱいこの生温い生活に浸っておかないといけない。
空を仰ぎ見れば月は雲から這い出ていて、俺を照らしているようだった。そんな月を見ながら俺はうっそりと笑っていた。