「鉢屋 不破」と刻まれた表札を見上げながら、ゆっくりと空気を吸う。
――もし、鉢屋くんが着付けを教えてくれなかったならば仕方がない。
山田先生に教わる、または装束で行く。
ゆっくりと吸った空気を吐いて、中へ声をかけた。
「はち――」
「…なにしてるんですか、部屋の前で」
ぎゃあ、という悲鳴をぐっとこらえた。
パチンとはじけたように顔がそちらに向く。
そこには、迷惑そうに顔を歪めた鉢屋くんがいた。
そんな彼の表情に、胸が少しちくりとする。
「…ぁ、はち、鉢屋さん」
「…」
「こん、こんばんは」
怖い。
正直言って、怖い。
鉢屋くんをみると、あの日保健室で怒鳴られた時の顔しか思い出せないのだ。
原作での彼の笑顔が思い出せない。
あ
の、怒りの表情しか。
「…何か用でも?」
仲直りもどきをしたものの、鉢屋くんのわたしに対する警戒が解けたわけではない。
…校庭で会ったときは恐怖なんて感じなかったのに、近いからだろうか?
「小袖の、着付けを、…教えていただきたいのです」
「なぜ」
「次のお休みの日、…明日なんですけれど。斉藤さんと一緒に町へ行くんです」
だから、着付けを。
そう言った途端に、鉢屋くんの表情が変わった。
不機嫌を丸出しにしていた表情を、一気に憤りの表情に変えた。
「自分でバラしに行くつもりですか?たしかにタカ丸さんは忍たまとしての経験は浅い。けれどそういうこととなると私たちより勘が鋭くなるんですよ。
…断って下さい」
ため息混じりにそう告げた鉢屋くんは、ふんとわたしから顔を逸らした。
…わたし、だって。
わたしだってバレるんじゃないかって内心不安でガタガタだよ。
でも、わたしの気持ちとかで断ったりするのは、駄目だろう?
もしかして買い物の一言では済ませないくらい大事な用事かもしれない。
それには名前さんが必要なのかもしれない。
「……断れません」
「どうして」
「斉藤さんは元々彼女と約束をしていたんです。だから、…断れない」
元々約束をしていた。
この言葉がわたしを縛り付ける。
正直、わたしが誘われたならあの場ですぐ断っていた。
でも、誘われたのはわたしじゃなくて名前さん。
それに、誘われたんではなく、"誘われていた"んだ。
しかも了承付き。
…この違い、鉢屋くんなら理解できるはず。
「…元々、ですか」
「…断ることはできないんです」
ずっと逸らし続けていた目を、やっと鉢屋くんは合わせてくれた。
鉢屋くんのそのひとみは、わたしに対するいろんな気持ちが揺れていたけれど、…拒絶の色はしていない。
それが嬉しくて。
「…頼まれた」
「…?」
「土井先生に頼まれているんだ。…教えてやれと」
、また、…土井先生。
なんで土井先生は、いつもいつもわたしより先回りして、…助けてくれるの?
優しすぎるんだよ、先生。
「…ちゃんとあなたが自分の意志を見せてくれたなら、私も教えるつもりでしたから」
「…鉢屋さん」
「雷蔵は…いません。……私が教えるんですからちゃんと覚えて帰って下さいね」
からりと襖を開いた鉢屋くんが、ふっと微笑んだ。
――あ、
――思い出した。
―鉢屋くんの、笑顔!
嬉しくなってわたしも笑い返す。
「無表情を意識しろ」と怒られてしまった。
z