「…さ、行きましたよ苗字さん」

「すみません…」


食満くんが颯爽と去ったあと、吉野先生が障子をあけこちらを覗いてきた。
わたしも立ち上がり、吉野先生のほうへ近寄る。


「助かりました、入ってきたらどうしようかと思って…」


強張っていた頬が緩み自然と口角があがる。
吉野先生はまだわたしの無表情以外に慣れていないのか、少し、ほんの少し驚いた顔をした。


「………そうだ、土井先生が苗字さんを呼んでいましたよ」

「土井先生が?」


吉野先生がこくりと頷く。
…土井先生、わたしになにか用があるのかな…。
まあ呼んでいるのだから用はあるのだろうけれど。


「ありがとうございます。行ってみますね」


ちいさく頭を下げると吉野先生もちいさく頭を下げた。
わたしは失礼しますと言い、吉野先生のとなりを過ぎた。





「(土井、…土井)」


学園にやってきて数週間は経ったけれど、あまり外に出れないわたしは未だに迷子になったりする。
よく行く、事務室は迷わず行けるようになった。


「どい、…あ、」


「土井、山田」と表札のかかった部屋へ小走りで近寄る。
見つかってよかった。
とんとんと軽く障子をたたくと、なかから声が返ってきた。


「誰だい?」

「苗字名前です」


しばらくして、からりと障子がひらかれた。
ひらいたのは土井先生で。
土井先生は「あー…」と呟くと、困ったように笑い頬をかいた。
その視線は、ふよふよとしていて挙動不審。
…なにか、変なものでも隠して…?
なんて考えたら少しどきどきしてきた。
ちょこっと背伸びをすると、大きくてぱっちりした目と視線が重なった。


「……あ…」

「、苗字さん…?」


艶のある長い黒髪。
紺色の装束。
ぱっちりした目には長いまつげ。
整った顔立ちをしたその人は。


「くくち、…さん」

「…こんにちは、」


久々知兵助であろう彼は、笑顔でわたしの名前を呼んだ。

ぐっと口元に力を入れる。
無表情、無表情……無表情だ。
わたしは強く言い聞かせながら、なるべく感情のないよう挨拶を返した。


「お久しぶりです。お体は大丈夫ですか?」

「…はい」


久々知くんはゆっくり立ちあがり、わたしと土井先生の許へきた。
近くで見れば見るほど、きれいな顔…。


「元気になれて、よかったですね」


ふわりと、久々知くんが微笑む。
その笑顔があまりにも優しくて、ついわたしも頬が緩みそうになった。

なんとかこらえて、ちいさく頷く。
土井先生からほっと息を吐く音がきこえた。


「よかった」


再び久々知くんへと視線を戻すと、先ほどより優しげな笑顔を浮かべていた。
彼はにこりと笑ったあと、口をひらいた。


「仕事をしている苗字さんを見ないと、なんだか落ち着かなくて」


ここの人たちは、温かい。
とても嬉しい言葉をくれる。
…わたしに対してではないのだけれど。それでも、嬉しいのだ。
あたたかい。
温かい、からこそ言ってはいけないと思う。

…わたしが名前さんではないと。


「名前くん!」


突然、土井先生がわたしの目の前にきた。
そして、久々知くんの肩へ手をおくと慌てたように言葉をだした。


「久々知っ、委員会のことはまたあとでな!」


どうやら、先ほど2人は委員会のことを話していたようだ。土井先生と久々知くんということは、火薬委員会。


「わかりました。…では、土井先生、苗字さん。また」


久々知くんは、髪を揺らしながら去っていった。
すてき…わたしもあんなさらさらした髪がほしい。


「……名前くん、気づいていないのかもしれないけれど、笑っていたよ」

「え、」


土井先生の言葉に、息が詰まった。
…笑っていた、無意識に。
笑っていた、久々知くんの前で。

ぱしりと頬を軽くたたき、ちょっとつねる。
笑うな、と意志を込めて。
これからは舌でも噛んでいようかな…。


「そういえば、私になにか用かい?」


土井先生がふと零した言葉に、わたしはたたく手をやめた。

 

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