気づいた時にはもう遅い。私は思いきり階段を落ちていた。携帯をいじることに夢中になっていて、足元を見ていなかったのだ。幸い前に倒れることはなかったため、でんぐり返しやなんやで頭を打つことはなかった。ただ階段を滑るように落ちたので、お尻がとてつもなく痛かった。いじっていた携帯はからからと床を滑っていく。
「いたた…」
前に手をついてお尻をなでる。一番上の段から下まで落ちたのだ、これは確実に痣ができているだろう。お尻に痣がある女なんて。にじんできた涙を服の袖で拭い、立ち上がる。お尻が痛すぎて少しふらついてしまった。
「間抜けだね」
含み笑いと共に聞こえてきたのは紛れもなく私の恋人だった。彼は階段の上に立っていて、実に愉快そうな目で私を見下ろしていた。
「携帯の画面を見つめているからだよ」
「…うるさい」
「馬っ鹿だなあ。尻に痣がある女なんて引かれるよ」
その女とお付き合いをしているあんたはどうなの。それより私も一応彼女なのに心配とかしてくれないの。なんて心の中で悪態を付いた。口にしたら私の死亡が確定するからだ。ふんと顔を兵太夫から逸らし落ちている携帯を拾う。良かった、傷もなければ電源も切れてない。ほっとしながら開いたままの携帯を閉じた。
「そうそう。さっき尻さすってたけど、僕のとこからだと君の色気のない下着が丸見えだよ」
「な、!」
「高校生なんだからさ、もっとマシなの穿きなよね。萎える」
「ひどい!」
兵太夫が鼻で笑う。かっと頬に熱が溜まるのがわかった。こんなことならちゃんとスパッツ穿いてくれば良かった。恥ずかしさがこみ上げてきて、私は俯いた。こいつはいつも意地悪だ。何度泣きかけたことか。くるりと踵を返すと慌てたように兵太夫が階段を下りてきた。
「ちょっと待って。一緒に帰ろうよ」
無視しようと思った。思ったけれど、兵太夫から誘ってくれたことが嬉しくてできなかった。頬を緩ませながら振り返れば兵太夫は馬鹿にした笑顔を浮かべていた。
「ほんと、単純だよね」
「……」
さすがにちょっと今のはむかつくな。緩んだ頬が一瞬で引きつったよ。兵太夫はにやりと笑って私を追い越し、そして鞄を奪っていった。
「まあ、」
「…?」
「どんなに色気のない下着を穿いてても」
「……」
「どんなに君が単純でも、僕は心底惚れてる」
「…兵太夫…」
「ほら、なにしてんの?早く帰るよ」
ぱ、と手を出され、戸惑いながらもその手を握った。兵太夫は私の手を握り、ゆっくりと歩きだす。私も一歩踏み出して、兵太夫の背中に向かって呟いた。
「…私も好き」
兵太夫は前を向いたままだったけれど、小さく呟いた言葉は私の耳にちゃんと届いた。
「言われなくても、知ってる」