飴色の木枠に填められた硝子は、午後の太陽が反射してきらきらと光る。本棚や机は楓の木で作られているので、鼻を近づけると幽かに甘い香りが漂う。例えば頬杖を付くとき、例えば本を広げたときに、ほんの少し微香をくすぐるこの匂いがリオンは嫌いじゃなかった。
昼間の図書館は誰もいない。ほっとした。

マントを外して、椅子の背もたれにかける。その足で向かうのは図書館の隅。
分厚い緋色のカーテンがある一番奥の本棚には、どれも劣化して茶色く変色した背表紙のみがずらりと並ぶ。新書や増刷されて綺麗なものも勿論あるのだが、昔からここにある本に、リオンは触れたくなる。恐らく誰も手を着けないであろう、一番上の段にある子供向けの童話。母は、これをリオンに読んでくれるつもりだっただろうか。取り留めもない、想い。
今は誰もいないのだから、人の目を気にすることはないが、罪悪感もあった。自分自身に。なるべき自分は、今ここにいる自分ではないとリオンは思う。もう亡き母に縋ることは出来ないし、最初から出来るはずもない。
けれども、ふとした時、この時間を見つけて来てしまう。
リオンの背丈よりも高い一番上の本棚は、背伸びをしたところで届かない。
備え付けの梯子を両手に掛けた時、きしっと音が鳴った。ふわりと揺らぐ何か。何ともなしに見上げたとき、視界を全てフリルとレースに覆われた。

突然のことで、リオンは対処が遅れてしまったが、なんとかフリルの束を受け止めることに成功した。梯子の後ろが高い本棚で助かった。尻餅をつくことなく、背中を本棚に預ける形でなんとか体制を保っていられる。
そのことに安心して強張った肩から力を抜くと、腕の中で小さくなっているフリル――もといなまえを見下ろす。

「おい。なまえ」
「……っ、?、ッ!?」

それはもう大変な驚きようだった。
リオンの声を聞いて我に帰ったのだろうが、顔を上げるなり頬を上気させて急に後ずさったかと思えば真後ろにあった梯子にぶつかり、その梯子は前のめりに倒れてくる。
梯子がなまえに直撃する前に、梯子を支える。同じく木で出来ているため片手で抑えるのは容易い。そのまま本棚に立て掛ける。
ここまでの動作は、ほぼ一瞬の出来事だ。
数ヶ月同じ屋敷で暮らしていれば、なまえの突拍子ない行動に慣れてしまい、今では次ぎに起こすアクションも予測出来るようになってしまった程だ。目を離すと何をしでかすか分からない。

「再三繰り返してきたが、落ち着け。お前には落ち着きと冷静さ、観察力に欠ける」
「あ……う……ごめんなさい。びっくりが重なっちゃって……」
「……観察力については、僕もなまえのことは強く言えない。まず僕がお前に気付くべきだった」

はあ、と自分に溜め息を吐く。まさか上にいるとは思わず、梯子へ一目散に向かってしまった。そもそも、人がいるということを疑わなかったのはリオンである。
その溜め息はけしてなまえを責めるためでのものではなかったのだが、彼女は再びごめんなさいと呟いた。その顔色は、青い。

「なまえ。僕はお前に暴力を奮ったりしたい」

これも再三繰り返してきた言葉だ。

「うん、だいじょうぶ、分かってるよ」

声はしっかりとしているのでリオンは安心しかけたが、なまえの表情が強ばっていることに気付く。笑ってはいるが、ぎこちない。それに気付いていないわけではないのだろう、なまえは苦笑を浮かべる。

「だいじょうぶ。ちゃんと分かってる」

なまえは馬鹿だが、頭が悪いわけではない。
こういうとき、どうしたらいいか分からなくなる。何も言えなくなる。分かっている上で、どう理解させたら?するべきことは理解を促すことなのか?

「ごめん。だいじょうぶ」

大丈夫じゃないくせに。何に謝るんだ。

結局、頼るのは記憶の中のマリアンしかいない。
脅えさせないように、手は下から。それでも震える体は記憶にある痛みだ。それからそっと、髪を撫でてやる。

こんなにも無垢なのに、記憶には痛みと悲しみしかない。痛みと悲しみを重ねてきた。それなのに、なまえは純粋無垢を心に残している。優しさを持っている。
リオンは違った。全部置いてきたのだ。
だから、リオンにはないなまえの心を、守りたいといつから思うようになった。それなのに、できることは幼稚なことばかり。

「慣れないことさせてごめんね」
「…………」

手が止まった。
否、正確には固まったと行った方が良いかもしれない。

「あ、やめちゃうの……?」

上目で視線がかち合って、不自然な間が空く。なまえは不思議そうに首を傾げるので、止めていた手をようやく動かす。

「ありがと。リオンくん」




僕は、その言葉が欲しかったのかもしれない。
そう思ったとき、楓の木の甘い匂いが優しく香った。

end.

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