何をしても駄目。あれをしても駄目。生きていた頃の私は本当に何もできない子供で。両親からの失望した視線が、痛くて、痛くて、痛くてたまらなかった。兄はなんでもできた。勉強もスポーツもなんでもできた。いつも優秀で、皆からの笑顔に囲まれて育ってきたような人だった。駄目な私にも優しくしてくれるような兄だった。その優しさが、私を余計に惨めにさせる。分かっている、私の歪んだ心がそう思わせる。兄は何も悪くない。望まれて生まれてきたような人。
兄妹は、どうしてこうも対極なのだろう。どうして私は望まれていないのに生まれてきてしまったのだろう。
そんな堂々巡りな問題に、答えなんて用意されているわけでもなく、自分でも答えが出せないまま、私は死んだ。死んでからも悩んでいる。滑稽だ。死んだのに、どうして生まれてきたか考えるなんて。
愛なんて知らない。知らなくても、良いと思っていたの。
この瞬間までは。
「お前の人生だって本物だったはずだろぉっ!」
もう体がくたくたで動かない。雨でぐちゃぐちゃになったグラウンドに押し付けていた顔を、上げた。音無くんが、直井くんを抱きしめていた。
「…何を、知ったふうな…」
掠れ声は諦めに滲んでいた。きっと直井くんも疲れていたに違いない。周りを欺いて生きていく人生に。そして、ここではNPCと偽って。
無意識に、自分と直井くんを照らし合わせていた。
私には、きっと、直井くんのようには生きられないだろうなと自嘲しながら。
「分かるさ!」
ここで、即座に肯定した音無くんは凄いと思う。
涙が止まらなかった。
私が、音無くんみたいに、直井くんを救ってあげたかった。
私が神かってつっこみたくなるような傲慢さ。だって、愛も知らない、家族も、ぬくもりも、何も知らない私がどう彼を救ってあげられるって言うの。ばかばかしい。記憶のない音無くんがああ言ってのけてしまうなんて。私とは違う。私は駄目な子だから。
それでも、私が直井くんを救ってあげたかった。救いたかった。
頬を伝う涙は、暖かかった。
「私が、音無くんみたいに直井くんを救いたかったんだよ」
「唐突だな」
生徒会の椅子をぎしと鳴らして、ついでに自分の鼻も鳴らして直井くんが言った。
「でもね。やっぱり、私じゃ無理だったなって」
「当たり前だ。音無さんにしか、僕の心を溶かすことはできなかったはずだ。それに、僕はあの言葉を掛けてくれたのが音無さんで良かったと思っている」
「うん、だから、駄目な私には無理」
悲観的になって言っているわけじゃない。証拠に、私の表情は穏やかだ。
「なんにも知らなくて、なんにも取り柄がないんだもん。空っぽなの。空っぽな私には誰かを救えないから。むしろ救われることの方が多くって、参っちゃうよ」
たははと笑えるくらいに私は成長した。SSSのおかげだ。
「私、直井くんにも救われたよ。私が歌う歌が好きって言ってくれて嬉しかったし、ありがとうって言ってもらえたことも凄く嬉しい!」
「そんなに直接的に言ったつもりはないはずだが!」
「いいの、私はそう受け取ってるの」
「…お前は時々強引だな…。それに、勘違いをしている。思い込みも甚だしい」
ふん、とそっぽを向いた直井くんは窓辺に移動した。オレンジ色の夕焼けに、直井くんのシルエットが良く映えた。
「僕が、いつ、貴様に助けられなかったと言った?」
音が消えた。頭がふわふわする。
「僕はお前がいなかったら、ここにはいないかもしれない。僕が傍若無人な態度でSSSに居るのはお前がいたからだ。お前が僕に笑いかけ、歌を歌い、隣にいてくれたから、僕は、だから、……っ!」
「ありがと、直井くん」
いつもの私なら絶対こんなことしないのに。直井くんを後ろから抱きしめていた。ぎゅうっと抱きしめて、鼻腔に流れてくる直井くんの匂いをすうっと吸い込む。
嬉しくて、嬉しくて。胸の奥が痛い。傍に居たい。居たい、居たい。居たいよ。
直井くんのおなかあたりにある私の手の上に、そっと暖かいものが重なった。
「私、駄目じゃない?」
「駄目じゃない」
「でも私は駄目だよ」
「駄目でも、お前じゃなきゃ意味がない」
「私は直井くん好きだよ」
「僕も、好きだ。お前が。出会えてよかった」
「次は、来世で会いたいな」
「…決めたのか」
「うん。…私は、戦えないから。きっと足引っ張るだけだから」
もう、涙で、声がぐちゃぐちゃ。溢れ出して止まらない暖かい涙。何度流したか分からない涙。こんなに悲しくて、いとしくて泣くのは初めてで、どうしたらいいか分からない。
もっと傍に居たい。来世なんて私にあるか分からない。もし生まれ変わっても、フジツボかもしれない。だったらここでずっとずっと彼の傍にいたい。いたいいたいいたい。彼が好きだと言ってくれた私の歌を歌いながらここで。ずっと、ずっと。
そんな時間は、きっとないから。
ないなら、その先を願うしかないから。
「…待ってる。待ってるから、だから、約束して」
「約束するまでもないな。貴様は何をしても目立つ、すぐに見付けてやる」
「じゃあ私が先に直井くんに会いに行くから」
「僕が、」
「ありがとう。大好き、だいすき……だいすき、これからも、次も、絶対、また」
重ねていた手のひらの下には、彼女の温度がなくなっていた。
振り返ると入り口に人影が見えた。音無さんと愚民だろう。
あれがいた場所には、薄い紅色をした花びらが、そっと佇んでいた。いつも傍にいるとでも言いたげに。
いつも自分を卑下しては自嘲し嗤っていたのに、誰よりも僕に優しく、誰よりも傍にいてくれた。感謝しているのは僕の方だ。きっとあいつはそのことを分かっていない。
だから、教えてやるためにも、僕は未来を願う。
(こんなふうに未来を願ったのは初めてだ。そう思わせてくれたのは、他でもない――)
end.
This is given to midou.
御堂さんへ贈り物。