「……う……また……?」

今日、三度目の見知らぬ風景に囲まれたミトは、頭を抱えて呻いた。
こうめまぐるしく場面が変わると、自分のもといた世界が一体どこだったのか、わからなくなってきてしまう。

「……もとの世界、か」

自分はもともとこの世界の者ではないのに、いつの間にか、あの時間が自分の世界だと思い込んでいたのだな、と笑う。ナルサスや、エラムやギーヴのいる世界。パルス国。

「さて、今度はどこの国かなあ」

そして、どの時間軸なのだろう、とミトは首を傾げた。イリーナの過去に飛んでしまったときと同じ現象が起きているんだろう、となんとなく考えていた。
ミトは立派な宮殿風の建物のなかにいた。ひょっとすると王宮なのかもしれない。柱の一本一本に繊細な装飾が施され、風の向きを計算した窓から、空気が流れていく。
ただ、建築様式はパルス風ではなかった。ここはまた別の国なのだろう。

「いくつか仮説が」

ミトは足音を立てぬようにゆったりと歩きながら、ひとり呟く。
この現象を引き起こす原因について考えていたのだ。
さっきは、殺されそうになったイリーナを守ろうとしたら、彼女が過去に体験した危機の場面にミトは飛んでいた。そして今度は――

「ギスカールを守ろうとしたら、また知らない場所に飛んでしまった」

共通点はそういうことだった。
誰かを守ろうとすると、過去に飛んでしまう。では、この過去は誰の過去なのかと言えば――

「理屈からすると、ギスカールの過去ってことになるのかな……」

予想が正しければ、ここはルシタニアの王宮ということになるのだろう。そして恐らく、ギスカール自身の危機の場面。

「とりあえず、まずはギスカールをみつけるか……って」

廊下をまがったミトは、思わず壁にへばりついて隠れた。長い廊下の先に、人影があったのだ。
そっと顔を出して覗いて見ると、二人の子供が歩いていた。
ひとりは丸々と太った身体を揺すり、蝶々でも追いかけるような足取りの少年。そしてもうひとりは、顔の真ん中で分けた長い前髪を垂らした少年だった。

「え、うそでしょ、まさかあれが……」

年齢は、十歳くらいだろうか。まだ背も低くあどけない顔立ちの少年が、太った少年のあとに付いて歩いているのを、ミトは目を瞬かせて眺めた。

「イリーナさまのときは五日前に遡っただけだったけど、今度は二十年以上前よね?」

これはまた不思議な力だな、と自分で驚く。ここまでの時間逆行も可能だったのか。
不可抗力とはいえ他人の過去を無断で覗くのはなんともいえない気分なのだが、ミトは少年を見て思わず笑みをこぼしてしまう。

「……ギスカールにもあんな可愛い頃があったなんて」

前髪を垂らした少年は、ミトの知るギスカールの鋭い目ではなくきらきら輝く幼い瞳をして、眉間の深い皺もなかったが、聡明な面影は本人のものだとわかる。
国同士での争いを指揮することも、他国を蹂躙するために策をめぐらすことも、考えもつかないような純粋な佇まいに、なんとなく切なさが込み上げる。
三十歳を過ぎたあのギスカールはともかく、今目の前にいる彼に危機が迫っているとしたら、守ってあげなければ、と思う。

「でも……もし彼を見殺しにしたら、パルスはルシタニアに侵略されずにすむ……?」

それは、ほんとうは抱いてはいけない疑問だった。
ミトはぐっと喉の奥に答えを押し込み、若いギスカールへと視線を戻した。
ふらふらとした足取りの――おそらくイノケンティス王なのだろう――少年に、いちいち注意したり忙しく世話をやきながら、ギスカールはミトが身を隠した壁の向こうを通りすぎていく。

「兄者は俺がそばにいてやらねば、危なっかしくて見ていられない」

そんなことを言うギスカールが、二十数年後には「ずっと兄が憎かった」などと言い、殺害してしまおうと企むとは、時間の流れと人間の成長は残酷だと思い知る。
ミトが、溜息をついたそのときだった。「ひっ」と小さく悲鳴があがった。
剣の柄に手をかけながら覗き込むと、どこから現れたのだろうか、少年たちは十人ほどの大人に囲まれていた。

「まさか王子ふたりを暗殺しようと……!?」

ミトが飛び出そうとすると、状況は思わぬ展開へと変わった。

「ギスカール殿下はこちらへ」

大人のうちのひとりがギスカールの腕を引っ張り、イノケンティスから離れさせたのだ。大人たちの輪の中心に、兄のイノケンティスがひとり残され、怯えた表情で周囲を眺めている。自分がどういう状況にあるか、理解することができないのだ。

「あ、兄者……!」

ギスカールが不安そうな声を漏らす。ミトはそれを見て、ぎゅっと胸が締め付けられた。
事態がのみこめぬ兄と、何が起ころうとしているのかわかってしまっている弟。大人たちの持つ剣は、じりじりと兄のみを追い詰めていた。

幼いうちから、ギスカールの実務的な才能は見出されていたに違いない。それも兄と比べると一層顕著に見えたのかもしれない。ルシタニアの内情はミトもよく知らないが、弟のギスカールを王にするべきだと考えた一派があったのだろう。
そしてその一派が今、のちのイノケンティス王を手にかけようとしていた。

「イアルダボートの神よ。より輝かしい者を王たらしめん」

大人たちは狂信的な表情で呟くと、剣先をぎらりと煌めかせた。イノケンティスは、足が震え、逃げ出すこともできないようだった。
振り上げられた剣が、まっすぐに突き刺さろうとしていた。

「兄者!」

そこへ飛び出したのは、ギスカールだった。
彼は必死の形相で両手を広げ、兄を守るように、立ちはだかった。
だが、振り下ろした剣は止まらない。イノケンティスではなく、ギスカールの肩から腰にかけて、両断するかのような軌道だった。



***



高い金属音が王宮に響き、その剣は弾かれて大人の手からこぼれ落ちた。ぎゅっと目を瞑ったままだったギスカールは、痛みが訪れないことに驚きながら、目を開けた。
すると彼の前に、いつの間にかひとりの少女が立っていた。大人たちを制するように、剣を向け、その背にギスカールたちを守るように隠す。

「偉いわ、ギスカール」

振り返った少女が笑いかけると、ギスカールはふっと力が抜け、思わず崩れ落ちそうになった。兄をかばい、今まさに死にかけたことを、ゆっくりと理解していく。そしてなぜか突然現れ、自分を助けてくれた少女を、もう一度見る。

「何事だ!殿下たちに何をしている!」

騒ぎを聞いてか、兵が駆け付けてきた。
彼らはギスカール派やらイノケンティス派といった思想は持たぬ、普通の兵士たちだったようだ。暗殺を画策した者たちがばらばらになって逃げていくのを見てほっとしたギスカールは、すぐに次の行動に出た。

「ん?」

腰の抜けている兄はそのまま置いて、ミトの手をひっぱって、そばにある小部屋に隠れる。王子たちによくしてくれる兵士も到着したことだし、ひとまずもう心配はない。ギスカールにとってはこんな騒ぎも正直初めてではなかった。
ただ、初めて、見知らぬ女の子に助けられた。
ギスカールは自分よりも背の高い少女を見上げ、掴んでいた手をぎゅっと握った。

「お、おぬしは何者だ?」

おずおずと問いかけると、少女はひとりで少し笑ってから「ミトといいます」とこたえた。

「よい名だな。よく助けてくれた」
「ふふ、どういたしまして」

ミトはふわりと笑う。緊張感もなにもなく、ギスカールが王子であることを少しも気にしていないようだった。この王宮は、幼い彼にすら媚を売る連中ばかりだったから、この穏やかさがあたたかく眩しくすらある。

「ミトは、どの家の出身なのだ?礼がしたい」
「礼?べつにいいよ。ギスカールが元気で大人になってくれれば」
「で、では、そうだ。俺が王となったあかつきには、おぬしを宰相にでもしてやるぞ」

ギスカール自身も驚くほど声がはずんでいたのだが、ミトは急に目を伏せた。そして小さく唇をひらき、優しく諭すように名前を呼ぶ。

「ギスカール。あなたにはお兄さんがいるでしょ。あなたが王になるには……」
「そ、それは……」

ギスカールも気付いていないわけではなかった。
兄がいる限り、自分はなにがあっても王にはなれないということ。だが兄が死ねばいいとは思えなかった。だからこそ、自分が死にかけても、兄を守ったのだ。
いや、本当は自信がないのかもしれない。自分が果たして王になれるのか、王として振る舞えるのか、自分の能力が理解できているだけに、想像が容易くできてしまう。
悔しさや切なさで胸がいっぱいになったギスカールは、ぎゅっとミトの腰に抱きついた。あたたかくやわらかな感触が、心を融かしていく。
不意に頭に手を置かれる感触があり、優しく撫でられる。少し恥ずかしくなり、ギスカールは顔をうずめるように、さらにきつくミトを抱く。

「もしここで見殺しにしたら、なんて考えられなかったよ」

弱々しい声が落ちてきて、ギスカールは顔をあげた。ミトが悲しそうな表情で、彼を見下ろしていた。

「……なんでもないよ」

ミトは屈んで、ギスカールを抱き締めた。
見知らぬ少女が王宮に現れただけでも一大事なのに、ギスカールの危機を救い、母よりも優しく抱かれるなんて、幼い頭では理解できないことばかりが起きていた。
そしてギスカールは、ミトの背を撫でようと手を伸ばしたとき、驚いて声をあげる。

「ミト……透けてる……?」

どういうわけか、彼女の身体がすーっと透け始めたのだ。身体の向こう側に、王宮の壁が見え始め、存在が掻き消えるように徐々に薄れていく。

「大丈夫だよ、また会えるから」
「ミト!だめだ!褒美を……俺がなんでもあげるから!おぬしを后にしてもいい!いや、俺は王にはなれぬが……!」

子供のように慌て泣きそうになる彼を、ミトはみつめていた。
自分の手で兄を殺せない彼は、王になることはないだろう。しかし、皮肉だが、彼がいつまでも手放すことができない人間臭さが、人々を惹きつけ、パルスへの大遠征を成功させてしまったのかもしれない。

「なら、私のことを覚えていて」

未来は変わらず、パルスはルシタニアに侵略されたままだとしても、その世界を見届けなければ。



***



「そっか……やっぱり会ってたんだ。大きくなったねーギスカール」

目を開けたミトは、自分を抱く、成長した姿のギスカールをはじめに見た。
過去に意識が飛んだときに倒れたらしく、まだ身体にあまり力が入らなかった。呆然としている彼へと手を伸ばし、長くのびた髪を少し撫でると、彼ははっとして目を見開いた。

「ミト……だな?」
「うん」
「なぜそのままの姿で……いや、俺があれからどれほどおぬしを探したか……!」

やはり、二十年以上前のことだったのだろうか。その時の情景がありありと瞼の裏に蘇ったらしく、彼はまるであの少年のような表情で、ミトをみつめていた。
后にしてもいい、とか可愛いことを言ってくれたなと思い出して笑っていると、ギスカールはミトの手をぎゅっと握った。

「俺は二度もおぬしに救われた……。ミト、おぬしは一体何者なのだ。俺と一緒に来てはくれぬのか」

その懇願するような眼差しは本物だと思った。彼が民や兵を扇動するときの表情とは違い、そこには無垢さがあった。
とはいえ、彼らと一緒に行く、ということはどうしても出来ない選択だった。

「ごめんギスカール。私はもうパルスの人々と一緒に行くって決めたから……あなたと戦わないと」
「俺がおぬしと戦えるわけが……」

ふたたび、手を握られて、起こされた身体も深く抱かれようとしたとき、ギスカールの耳元をひゅっと矢がかすめた。

「ミトから離れろ。略奪者」

驚いてその方を見ると、メルレインが物凄い形相でこちらを睨んでいて、ミトまで背筋が凍ってしまいそうになった。
その時、謁見の間の外で突然騒音が沸き立った。
怒鳴り声、足音、剣のぶつかる音。そして、勢いよく開かれた扉から駆け込んできた兵士が、血相を変えてギスカールにこう報告したのだった。

「銀仮面の男が兵をひきいて乱入してまいりました!」


next
7/8



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -