「さて、ミト。他の者との話はおおむね済んだだろうか」
「はい。時間を作ってくれてありがとうございました」

よく知る人物たちからそれぞれはなむけの言葉をもらい、決意を新たにしたミトは、最後にナルサスと向き合った。
仲間たちは一歩ひいたところにいるので、小さな声ならば他人には聞こえないように話せるといったところだった。砂を運ぶ風が通り過ぎる。この場所には二度と戻ってこないような気がした。

「おぬしが一人になる前に、話しておくことがいくつかある」

ナルサスは真面目な表情をして言い、ミトの耳に唇を寄せるように、身を屈めた。こんなことで不覚にもときめいてしまう自分が苦しい。彼らから離れるという決断をしたのは自分自身なのに、こうしていると揺らいでしまいそうにさえなる。

「ルシタニア軍にいる、銀仮面をかぶった人物のことを覚えているな?」
「あ……はい」

まだ、年を越す前のことだが、このペシャワール城塞に侵入した奇妙な人物を、もちろんミトは忘れることができずにいた。禍々しい銀色の仮面を付けた長身の男。あれから一度も姿を見せていないものの、死んだとは到底思えない。

「気付いていると思うが、はっきりさせておこう。あの者の正体は、ヒルメス王子という」
「……ヒルメス……王子?」
「父親の名はオスロエス、叔父の名はアンドラゴラス。すなわちアルスラーン殿下の、従兄にあたる方だ」

ミトは息をのんだ。ペシャワールで銀仮面と戦闘になったとき、バフマンが口走った言葉が、ようやく腑に落ちたような感覚だった。
あのときバフマンは彼のことを殺せば「パルス王家の正統な血が絶えてしまう」と言っていた。それは、世が世であれば王太子になっていたのはヒルメスの方だから彼こそが正統だ、と述べたのか、それとももう一人の王子であるアルスラーンが正統な血をひいていない、といったことも含んでいるのかは、バフマン亡き今となってはもはや国王アンドラゴラスを問い質すしかなかった。
視界にうつる銀髪の少年の背負わされている運命を思い、ミトはそれを自分にも重ねた。
自分が何者かわからない恐怖は、根源的で払拭しようがない。だから、ミトは旅に出ることを決意したのだが、行った先で何も得るものがなかったとき、失望にのみこまれてしまうかもしれない。

「ヒルメス王子はおぬしと個人的な繋がりもあるようだから、用心するように」
「……なんだかそうでしたね。関わらないようにします」

これから赴くのはパルス国の領土内で、シンドゥラ国と違いルシタニア兵も往々にしてうろついているわけだ。どこであの銀仮面に出くわすか予想もつかない。

「それと、おぬしシンドゥラで腕を怪我しただろう」
「……!?」

ふと放たれた言葉に、ミトは理解が追いつくやいなや驚いて思わず左腕を手で覆った。
ミトを守る不思議な加護がなくなったかもしれない、と思わされたシンドゥラでの事件は、ミトとエラムしか知らないはずだった。
エラムがナルサスに漏らすとも考えにくい。どうしてかわからないが、彼はミトの異変に勘付いたのだろう。

「俺にわからぬことなどないよ。とくにミトのことではな」
「ほんと、さすがですね……」

つくづく、敵にまわしたくない人だなあとぼんやり考えていたが、ナルサスの表情を見たら思考が止まった。顎に手をあて、策をめぐらすように、彼の瞳が真剣だったからだ。

「シンドゥラのガーデーヴィ王子は、他はともかく、槍については名手だったようだな。なにせあのバフマン殿を突き殺したのだから……」
「……?」
「ミト。おぬしを加護する力についてだが、たとえばダリューンのような勇者はそれを凌駕してしまう可能性があると覚えておくとよいだろう。並みの兵士では、おぬしにかすり傷ひとつ負わせられぬだろうが。その基準は……まあ、俺を殺せるかどうかといったところかな」

そう言ってナルサスは視線をはずした。風を目で追うような仕草だったが、それがミトには不自然というか、奇妙に感じられた。

「ナルサス……なんか話が具体的ですけど、もしかして何か知ってるんですか?」
「いいや、知らぬよ。想像で話をしているだけだ」

笑ったナルサスの表情はあたたかい。彼に何か心当たりがあるのだとしても、それはきっといずれミトも自分で知ることだ。だから今は、この景色を目に焼き付けよう、とミトは思い、一生懸命に彼をみつめた。



いつまでも感傷に浸っていては、あっという間に日が暮れてしまう。そろそろ、出発しなければ。
ぐるりと囲む仲間たちに見送られ、ミトは馬を引いた。荷物は最低限。話し相手もいない、たった一人の旅になる。それでも行かねばならない理由があった。夢で見た景色の先を、自分の目で確かめるために。



「ミト。戻ってきたら、おぬしに言うことがある」

ああ、せっかく歩き出したのに、本当にこの人はいつまでも後ろ髪を引いてくれる。
それは、振り向いたらもう前に進めなくなってしまうんじゃないかと思うくらいに、優しい声だった。

「……今聞いてはいけませんか?」

首だけをうしろにまわすと、ナルサスは薄い色の髪を揺らして肩をすくめ、少し笑う。彼は数歩近付き、ミトがやっと歩き出した距離を、また縮めた。

「戻ったら、だ。それに、おぬしには謝らないといけないこともあるからな」

「なんですかそれ。気になるんですけど……」とミトは頬を膨らませたが、顔が熱くなっているのが自分でもわかった。
ミトの方も、戻ったら彼に言うことがあった。それは今にも口に出してしまいそうなほど、大きな気持ちになっていたが、離れていてもそれを理由にまだ彼に縛り付けられていたいから、と言葉を呑み込む。

「まあ、おぬしは戻ってくるさ。なにせ、ミトはこの俺が呼んだのだからな」
「……今、なんて?」
「これも、そうだといいなと思う、俺の想像だ」

これ以上言葉を交わすと本気で進めなくなる、とミトは思ったが、そんなことはおかまいなしに、ナルサスは大きな手のひらでミトの髪を撫でた。頬が熱くなる。胸が苦しい。
その感触に溺れてしまいそうになったとき、ミトは意識的にぎゅっと目を閉じた。

「必ず、ナルサスのいるところに帰ってくるから」

そう言うと、ミトはためらわずナルサスの肩に手を伸ばして引き寄せる。そして背伸びをして、髪で隠れていない方の頬に唇を押し当てた。

「……ミト!?」
「またね、ナルサス」

真っ赤になった自分の顔を隠すために急いで歩き出したから、彼の表情を見たのは一瞬だけだった。キスされた頬をおさえて、めずらしく動揺して上ずった声で名前を呼ぶ。まわりの仲間たちも、何が起きたのだろうと驚いて顔を見合わせたりしている。
稀代の軍師をここまで慌てさせる人物なんてそう多くないだろう、と思い、それだけでも不思議な達成感があった。

少し進んだところで、馬にまたがり、仲間たちを振り返った。
ここからは、自分の物語がはじまる。とはいえ、なにかを得たとしても、失ったとしても、必ず彼らのもとへ戻るのだろう。
伝えるべきことは、まだ胸の奥にしまったままなのだから。


10/10



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -