「うう、昨日ナルサスより先にエラムが来てくれればこんなことにはならなかったはず……。あのメンツだと酔いつぶれるのはわかってたから、事前にエラムに来てもらうようお願いして、私はちゃんと準備してたのに、よりによってなんでナルサスに、しかも、なんでナルサスの部屋で、し、しかも……なんで一緒に寝てなんて……」
「うむ。俺も今どっちが毒蛇かと思っていたところだ」

ほとんど誰にも聞こえないようなひとりごとを言いながら歩いていたら、廊下の曲がり角から声が聞こえ、ミトは飛び上がった。

「ギ、ギ、ギ、ギーヴ」
「おはようございますミト殿。昨夜はご一緒できて光栄でした」

腰かけていた窓枠から降りて、恭しく礼をするギーヴ。
確か彼も昨日ずいぶん飲んでいたが、さすがに回復が早い。二日酔いの色などまったくない、いつもの輝く美青年ぶりである。

「ええと、ギーヴ。まず、私昨日のこと全然覚えていないの。迷惑かけていたかもしれないので先に謝っておきます。ごめんなさい」

ナルサスのように先手を取られまい、とミトは謝ることからはじめた。とくにこのしたたかなギーヴには付け入る隙を見せたくない。

「いや、我々の宴がいかに健全だったか覚えていないとは、俺も残念です」
「はあ、健全でしたか……」
「うむ。やはり、毒蛇といえば軍師どのの方であろう」
「いや、えっと、さっきから毒蛇とかって……」

言いかけながら、ミトはハッとして口を塞いだ。気が付いた様子の彼女の表情を見て、ギーヴがにやりと笑う。
どうやら、ミトがナルサスの部屋で寝ていたことを彼は知っているらしい。そして、恐らくギーヴのことを「毒蛇」と呼んだナルサスの言葉を用いるあたり、会話の一部すらも盗み聞きしていたようだ。
ミトはじと、とこの抜け目ない男を睨む。

「ギーヴ……」
「しかし、あの御仁がまさかあれほど嫉妬するとは思わなかった」
「は?し、しっと……?ええと、それは、ギーヴたちがファランギースのような女性と仲良くしていたのが羨ましかったってこと?いや、ナルサスだからもっと複雑で深淵な感情のような気がするけど……」
「……ま、おぬしにははかり知れぬことのようだ」

彼は肩を竦めて見せたが、なぜ馬鹿にされたのかもわからずミトはムッとする。そもそも、ナルサスがどうしてミトを自室に連れ帰ったのか、その行動理由がわからなかった。目の前の飄々としたこの男が、何か知ったふうでいるのが少し悔しい。

「ミト殿、もう少しご自分の身体を大事になさいませ。ナルサス卿も立派な男ですから、酔い潰れた女性になにをしでかすか」
「……ええと、ギーヴが言ってもあんまり説得力ないですけど。というかもとはと言えば、ギーヴが飲ませた酒のせいだし」
「これは手厳しい。昨夜は俺の膝の上であんなに楽しそうに笑っていたのに」
「ひ、膝……」

ミトはやや赤面して、恨みがましくギーヴを睨んだ。

「とはいえ、ナルサス卿は俺と違って立派な方だ。宮廷にいた頃は少なからず浮き名を流していたようだが、それを差し引いても、身分もお人柄も申し分ない」
「……」
「だからやはり卑しい蛇は俺の方になるのか、切ないものですなぁ。ミトどの」

ひとり嘆いたような表情をするギーヴに、ミトはどこか人間臭さを感じ、肩の力を緩めた。
この国の人らしく、彼は彼なりに自身の立場についていろいろと思うところがあるのだろう。ペシャワールの軍と合流してから組織は巨大になり、有能な王子一行は人々の上に立つ役目をこなさねばならなくなってしまった。
統制された中で役割を演じていくこと。それがギーヴの性に合わないのは、本人でなくとも容易にわかるのだった。

「別に、私はギーヴとナルサスを比べてなんていないけど」

ミトが言うとギーヴはきょとんとして、ミトの顔を眺めた。

「では対等の立場でも俺の方がまだ少し負けているということか」
「へ?」
「いや、よい。確かに異界から来たおぬしには、この世界での身分や立場など興味はないだろうな。もとより、いつまでいるかもわからぬ世界だ」
「いつまで、いるか……」

ふと放たれたギーヴの言葉に、ミトは不意打ちを食らったような気がして少し動揺した。そんなことはわかっているつもりだったが、改めて誰かに言われると、不安が広がってくる。
いつまでいるかわからないから、この世界への思い入れもこだわりも持たない、というのはあまりにも悲しいことに思え、ミトは目を伏せた。



***



他人には余計なことを言わないように、とギーヴに固く約束させ、彼と別れて砦を歩いていると、「ミトさま!」と少年の声で呼ばれ、ミトはびくりと肩を跳ねさせた。

駆け寄ってくるエラムに対し、どうして身体がこんな反応をするのかわからなかったが、今日はどうも調子が悪い。たぶん、ナルサスのせいだ、とミトは決めつけたが、ナルサスのことを考えるとまた胸がじんじんとする。

「昨夜はキシュワードさまから、ミトさまが広間にいるので迎えにいって欲しいと伺いましたが、私が行ったときにはもうお姿がなかったので心配しました」
「ご、ごめん。気分が悪くなって先に帰っちゃった」
「はい。他のみなさまからそう聞きました。お役に立てず、すみません」
「う、うん。あ、ありがとうね」

心ここにあらず、といった様子なのが自分でもわかった。昨夜の酒宴の話をすると、どうしてもあのナルサスのきれいな顔が浮かんできて、なんだか平静でいられなくなってしまうのだ。

「……昨日、なにかありましたか?」

そんなわけで、さっそくエラムは訝しげな表情で首を斜めに傾けた。ミトは顔の前で手をふり「なんでもない」と笑うが、ぎこちなさが滲み出ている。
少年は少しの間ミトを眺め、ゆっくりとまばたきをした。次の瞬間、蛹が羽化したように、歳のわりに大人びた顔をしてみせた。その急激な変化に、ミトは胸がどきりとしたのを感じる。

「ミトさま。私、にぶくないですから」
「へ、エラム……」
「とくにミトさまのことは……よく見ておりますから。何かあったら私にも言ってください。私では相談相手としてふさわしくないと思いますが……」

健気な黒い瞳にみつめられているうちに、いつの間にか彼に手を握られていた。
「ねえ、あんたたちー!」と横から呼び、駆けてきた赤毛の少女がミトたちが手を握り合っているのを見てにっこり笑うので、それでようやくミトも気が付いたくらいだった。

「あら、お邪魔したかしら」
「何か用か?」

エラムは用件を聞く前から不機嫌そうにしてアルフリードを一瞥した。

「ナルサスはどこにいるのか、って聞きにきたのよ。知らない?」
「さあな。お前に教えたら邪魔しにいくだろ」

ともにナルサスを慕うふたりは何かと啀み合ってお互いを牽制していた。子供っぽいほどに敵意をむき出しなので、むしろ可愛げがあり、なんだか笑ってしまうのだが。

「あ、ねえ、ミトはナルサス見なかった?」

アルフリードは屈託のない笑顔でミトに問うた。
しかし、今のミトはその表情の前で落ち着いていられなかった。ナルサスを好きだと公言している少女に、なぜか昨夜自分と彼が一緒に眠っていただなんて、言えるわけがない。

「わ、わからないや、ごめんね」
「えー、そっか。じゃあもう少し自分で探してくる」

アルフリードは残念そうに溜息をもらした。彼女がミトたちに加わって以来、毎日こんな調子でナルサスを探しまわっていて、本当に惚れ込んでいるらしい。
頭に巻いた布をくるりと宙に舞わせて、また、少女は駆けて行った。

「いつまで手握ってるのよ、あんたたち。お似合いで羨ましいわね」
「い、いや、うるさい!」
「べ、別になんでもないよね、エラム」

エラムがむきになって怒っている横で、ミトも少し赤面してぱっと手を離した。どうも調子が狂う。今朝の目覚めが尾を引きすぎていた。
そして、騒がしい赤毛の娘が去っていく後ろ姿を眺め、好きな人にまっすぐでいられる彼女の方が羨ましい、とミトはひっそりと思った。



***



いよいよ、国外への遠征がはじまろうとしていた。

装備を整えたパルスの軍勢が中庭にひしめき合い、出発の時を待っていた。
窓から見えるその景色は、少し前のミトには想像もできないものだった。とくに、もとの世界にいた頃のミトにとっては。

王子一行とともに、数々の追手を退け、ペシャワールに入城した。
それは言葉では簡単に終わってしまうが、本来であればこの人数でここまで来るのはほとんど無謀なことだった。それを可能にさせたのは、ダリューンといった天下無双の勇者や、智略に長けたナルサスの存在が大きい。彼らと進む道は、希望に満ちている、とミトはこの景色を見て感じた。

今は、目的のために王都エクバターナとは逆の方向へ進むが、いずれ王都への道をまっすぐに辿ることになるだろう。彼らの目指すものは、第一に王都という国の象徴を奪還することだ。だから、この旅は王都を取り戻した時点で一度終わるのだ、とミトは考えていた。
まだ随分と先のことだとは思う。しかし、自分になにか役目があり、それを果たすためにここへ来たのだとしたら、アルスラーンの軍が王都へ戻ったとき、ミトの存在は泡となって消えてしまいそうな気がしていた。

金色の兜をかぶったアルスラーンがバルコニーに出て兵たちに挨拶をすると、地鳴りのような歓声があがった。
時は満ちた。シンドゥラへの遠征がはじまるのだ。




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