翌日、一行は魔の山デマヴァントへ足を踏み入れた。
険しい山道にくわえ、登るほどに暗さと冷たさを増す異常な気象だった。以前にここを訪れたことのあるギーヴが先頭に立って案内してくれているが、そうでなかれば進むのを躊躇う程の禍々しさがあった。

「この山の上に、英雄王カイ・ホスローのお墓があって、宝剣が収められているんですね」
「うむ。ヒルメス王子はどうやらその英雄王の霊に拒絶されたようだったが、さて、アルスラーン殿下はどのように迎えられるものやら……」

以前は一人旅だったギーヴだが、今はパルスきっての勇者たちと一緒であるせいか、どことなく横顔に余裕がみえる。口には出さないが、きっと心強いのだろう。その目が、不意にミトの方へ向けられた。

「ミトどの、つらい山道ですから、疲れたらいつでも俺を頼ってくれてよいのだぞ」
「……大丈夫だって。まだ全然平気」
「そうか、昨夜のことでぐったりしているかと思ったが、案外元気なのだな」
「……やっぱり、なんで知ってるの……」

なぜか毎回この手のことを知っているギーヴに、ミトは怒る気にもなれず肩を竦めたが、昨日の恥ずかしさが蘇ってきて、思わず顔を赤くしてしまった。

「ほう。初々しくて羨ましいものだ」
「……ギーヴの馬鹿」
「心から祝福はしますけれども、ここに一人悲しみの涙を流す者がいることもお忘れなきよう、ミトどの」

そう言って彼は冗談ぽく片目を瞑った。だがそのあとで思い出したように「いや、あともう一人はいたかな」などと呟く。ミトは「ほんと、ギーヴはよく見てるんだから」と苦笑した。
軽薄で鮮烈で、またとない人。そんな彼の笑顔と言葉に、何度も救われたことを思い出す。彼もまた、ミトにとってかけがえのない大切な人だった。

「ギーヴ」
「ん?」
「なんか恥ずかしいけど、今までありがとね。ギーヴのおかげでこの世界のこともっと好きになれた」
「……」

精一杯の笑顔で伝えるが、どことなく、別れが滲むようなものになってしまった。鋭いギーヴは、案の定というか、目を丸くして、ミトの異変に気付いてしまう。
しかし「おぬし、どういうつもり……」と言いかけたギーヴの頬に、雨の粒がぶつかって弾けた。一粒かと思えば、それはまたたく間に豪雨となり、ミトたちは慌てて岩壁の中へ隠れるしかなかった。



***



雨がわずかに弱くなったところで再出発したが、カイ・ホスローの神域に近付くにつれ、雨も風も異常なほどに強さを増した。足元を泥水が流れ滑り落ちそうになったり、風で押し戻されそうになったりと散々だったがが、ナルサスに手を握ってもらい、なんとか一歩一歩山頂へと登っていく。
長い上り坂をやっとの思いで踏破すると、神殿のようなつくりをした平坦な場所に出た。
この場こそが、英雄王カイ・ホスローの墓だった。相変わらずひどい雨と風だったが、ここへ来た途端、なぜか静寂すら感じられた。それほどまでに神聖な気配のする場所だった。

「みんなはここで待っててくれ。私ひとりで行ってくる」

休むことなく、アルスラーンが強い目で言った。ダリューンとナルサスが共に行こうとするが、彼は手を上げてそれを制する。

「大丈夫だ。みんなのおかげでここまで来られた。また戻ってくる」



***



「宝剣は道具にすぎない。それがあれば民衆が飢えから解放されるような代物ではない。国王になるという決意を象徴し明示するだけのもの。だから殿下が宝剣の力を借りるのは、王と認められるまでのことだ。民や国にとって大切なのは、いかに永く善い政を布く王であるかどうか、常にそれだけであるし、殿下もそれを理解しておられる」

暗い空を見上げながら、ナルサスが言葉を零した。
アルスラーン以外の一行は雨のあたらない岩陰へ入っていた。ダリューンだけは「俺はいい」と言って雨に打たれたままでいるが、結局、アルスラーンは自分ひとりで剣を手に入れる必要があり、ミトたちは待つことしかできなかった。

「カイ・ホスロー様は、ナルサスのいう善い王様だったんですね?」
「さよう。蛇王を打倒し、民衆のために尽くしたという。だが善い王など、残念ながらパルスの歴代国王のうち半数もいないよ」

この国の歴史を、どこか物語のように思いながらミトは聞く。当事者のように振る舞いながら、でもやはりそうではないと心のどこかでいつも思っていた。けれどもう、アルスラーンたちのことは他人ではない。彼自身を、彼に付き従う人たちを、ミトは深く知り、愛していた。

「では、殿下は?」
「答えるまでもない。そのこともわからぬようでは、カイ・ホスローの御霊も大したことはないな」
「ナルサスの失礼な言葉、英雄王に聞こえてないといいですけど」

そのとき、岩陰の向こうで白金色の光が輝いた。みな、雨の降るなか慌てて外へ飛び出した。

「あれは……」

黄金の兜をかぶった少年が、光へ手を伸ばしている。光は一瞬ごとにより強く輝き、対照的に風雨は弱まっていく。眩しさに目を細めるが、その光景から目が離せなかった。



***



「われらが国王よ……」

気付けば、光り輝く剣を手にした少年の周りに、全員がひざまずいていた。声を漏らすダリューンは、感銘にふるえている。皆もそうだった。この瞬間に立ち会えたことに、最高の王に出会えたことに、胸がつぶれそうなくらいに感動していた。

「私は王家の血をひいていない。血統からいえば、国王となる権利はない。だけど、地上に完全な正義を布くことはできないとしても、少しでも善い政事を行いたいと思っている。力を貸してもらえるか?」

ダリューンは「命に代えましても」と力強く言い、ナルサスは「非才なる身の全力をあげて」と胸に手をあてる。ギーヴは「おれでよければおれなりに」といつもどおり。エラムは「おともさせていただきます」と丁寧に答えた。
仲間たちが次々に、自身の想いを口にしていく。
ミトも声を出そうとしたときだった。突然、不思議な声を聞いた。遠く海鳴りのような、どこか彼方から聞こえる、だが懐かしくも思える声だった。

――王都は再びパルスの手に取り戻されようとしている。お前がここへ来た意味もじきに果たされるだろう。その命を正しく費う時が来る。

なにか霊的なものが、自分に語りかけている。こういう神聖な場所ではこんなこともあるのかな、とミトは奇妙なほどぼんやりと思った。
もはや、誰に何を言われても、自分の心が変わらないことはわかっていたからだ。

「……この身は、歴史が変わるこの時に、未来を創るその人と皆を守るために」

小さく声に出すと、いよいよその「時」が近いのだといやでも感じてしまった。
私はこの国の人ではない、この世界の人でもない。でも他人というには、深く関わり、愛しすぎてしまった。だから、どうか、皆のことだけは、守り抜く力を。

大丈夫、大丈夫、と言い聞かせる。やることはひとつなのだから、難しくはない。
ただ、覚悟が決まらないというだけで。
ミトはそっとナルサスに近づき、手を握った。

「わたしにも、最後まで力を貸して、ナルサス」
「ああ、傍にいるよ、ミト」

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