臣下の意見を自分の言葉にすり替えず、自ら聞き、考え、答えを探す。そういった当たり前だが非常に難しいことを、この王子は幼いながらも自然とこなしていた。
ミトは彼の夜空のように澄んだ瞳をみつめた。その中に、星々が輝いているように見えた。この人は本物だ、と思わずにはいられなかった。

「……私は昨日までこの世界とはまったく違うところで暮らしていました。家族や友人がいて、大きな悩みもなく、幸せだったと思います。けれど気が付いたらエクバターナの郊外にたったひとりで立ち尽くしていました。私がこの国に来てから、時間的にはまだ一日も経っていませんが、世界のどこにも私を知る人はいなくて、ひとりぼっちなのだと思うと、そこから先に考えを進めることができませんでした。ですから、ナルサスさまとダリューンさまに助けていただいたときは本当にほっとして、ようやく一人ではないと思えたのです」

ミトはそこで一度言葉を区切り、部屋を見渡した。まだ小さな世界ではあるが、今はこれがミトの世界のすべてだった。

「……パルスはルシタニアと戦争中と聞きましたが、どちらの陣営につくべきか、関わらない方がいいのか、この地に暮らしたことのない私には判断ができません。ですが、私の恩人であるこの方々に報いたい。というか、正直に言うと、もとの世界に戻る方法もわからず、私はこの世界ではからっぽで、行くあてもないものですから、ここにいさせてもらうことしか出来ないのです……。でも、先ほどナルサスさまがおっしゃったように、私には何か役目があり、ここへ来たのだと思いますから、どうか、同行をお許しください。お役に立てるよう努力しますし、自分の身は自分で守れますので、足は引っ張らないと思います。それと……」

ちらり、と振り返ると、ミトの言葉を神妙な面持ちで聞いていたダリューンと目が合った。

「もし、私に怪しいところがあれば、ダリューンさまが斬ってくださいますので」

これはミトもダリューンも結構本気で思っているので、声のトーンからまったく冗談には聞こえず、誰も笑わなかった。

「おぬしの話はわかった。言っていることも、嘘ではない、と思う」

アルスラーンは一息ついて立ち上がり、ミトと、部屋の中にいる彼のささやかな同志に一人ずつ目を合わせた。

「だが会ったばかりで、信じたくてもおぬしのことを知らなすぎる。しばらく行動を共にしてもらえぬか」

ミトは感動で言葉にできなかったが、もしこの劇に観客がいたならば、王子の心の寛大さに、歓声が起きていたことだろう。

「この者が私たちのうちの誰かを陥れようとしているのがわかったときには、ダリューン、私が命じずともこの者を斬ってくれぬか」
「……御意」

斬れとは言いつつ、王子は穏やかな表情で微笑んでいた。

「では、長い話になってすまなかったな。三人とも疲れているだろうから、今日はゆっくり休んでくれ」
「あ、ありがとうございます!アルスラーンさ……」

勢い良く立ち上がって、そう言いかけたとき、奥でエラムが「殿下」と呟いて教えてくれた。

「アルスラーン殿下!」

もう一度呼びかけたとき、この世界に来て初めて、心から安心できる場所を得られたような気がした。



***



「……その服、洗いましょうか?」
「え?」

粗末な家は部屋の数も多くないので、全員が集まる部屋、王子の部屋、それ以外の者が休む部屋、荷物を置く部屋、の四つしか存在しない。「さすがに丸腰ではよくないから予備の武器から好きなものを選ぶといい」とナルサスに言われ、そのうちの荷物部屋でミトが弓と剣を選んでいると、背後から音もなく近付いた少年が、ぶっきらぼうに声をかけたのだった。

一行の中で、一番ミトのことを警戒しているのがこのエラムだ。一番若いが、身の回りのことはなんでもこなし、ひょっとすると一番しっかりしている。だからこそ心配性で、ミトを一人に放っておくことができないのだろう、と思った。
この世界を何も知らないミトを気遣う気持ちと、監視の気持ちと、どちらが強いのかは、今のところ考えても仕方がない。

「……返り血と砂埃でひどいことになっていますから、汚れが染み込まぬうちに洗濯をした方がよいと思います」
「あ、いいよ。こんなのどこでも売ってるし……」

へらりと笑って丁重に断ったつもりだったが、一瞬後で、地雷を踏んだような気分になって立ち尽くした。
どうしてエラムが服を洗濯するなどと真っ先に申し出たのか、ミトは自分で自分のことがまったくわかっていなかった。

「……失礼しました。素材も形も珍しいものですから、あなたの身元を証明するものになり得ると思いましたが、過ぎた真似をいたしました」
「いや、エラムの言うとおり、この世界での私の証明になるものだから、大事にとっておかないといけないね」

まだ状況がわかっていなかったと反省する。この服はただのありきたりなワンピースではもうなくなってしまったのだから。もとの世界には当分戻れそうにないから、こうしてなんとか居場所をみつけたというのに。

「ありがとうエラム。お手数ですけど、よろしくお願いします」
「かしこまりました」

心に隔たりがあり、ミトを認めることはまだ出来ないようだったが、気配りのできる優しい少年だ。そう思って笑いかけると、エラムは気恥ずかしそうに顔を背けた。

「服も新しく作りましょうか。それでは変に目立ちますから」
「えっ、エラム、服も作れるの?」
「まあ……この村にある生地でよければ」

なんと出来る子なのだろう……!とミトは感動して、喜びを振りまくようにうんうんと頷いた。

「あ、じゃあリクエストしてもいいでしょうか?」
「りくえすと?」
「いや、えっと、こんなのがいいって、お願いしてもいいかなって」
「ええ。構いません」
「ありがとう!」

ミトは手近にあった画材を引き寄せて、紙切れに絵を描いた。
なぜこんなところに都合よく画材があるのかについてはあまり考えなかったし、一瞬エラムが「あ」と言ったのも聞いていなかった。

「こんな感じで作ってもらえない?」
「これは……」
「お?なになに?何か作るって?」

ささっと描いた絵をエラムに見せていると、隣の部屋からちょうどギーヴがやってきて、エラムの横から絵をのぞき込んだ。二人ともなぜか「う、うまい」と若干青ざめていたが、やがて何か思い付いたようにギーヴが綺麗な笑顔を作った。

「おお、そういえば!」
「?」

ギーヴは自分の荷物なのであろう、何かがぱんぱんに詰まった袋から、いくつかきらびやかな宝石や飾りを取り出し、恭しくミトに捧げるような格好をした。

「お近づきの印に贈り物をいたします。神殿を荒らしていた盗賊から、このギーヴが奪い返したものですが……」
「あ、ありがとう……いいのでしょうか、こんなにたくさん」
「お気に召すものをお選びください。貴女の描かれた衣装にどれもお似合いかと存じます」

輝くような笑顔だが、どこか深みのない表情。この人はいつもこんな調子なのだろうな、と思った。
とりあえず金銭にもなるし宝石はもらっておこうと思って手を伸ばすと、エラムが「ミトさま、鎧や兜を召されるなら、あまり大きな宝石は控えられた方がよいかと」と教えてくれた。

「あ、でも私、防具とか付けるつもりはないから、それなら邪魔にならない程度に選んでいいでしょう?」

そう言うと、二人はぽかんと口を開けてミトを見つめた。

「大丈夫でしょうか?失礼ながら、戦のご経験はないものと存じ上げておりましたが……」
「ないけど、武器はけっこう使えるし、敵の剣で斬られることもないから、いらないと思ってます」

不安そうに言うエラムに淡々と返すと、今度はギーヴが「う〜ん」と唸る。

「そういえば先ほども『死ぬことが出来ない』とかナルサス卿が申していたが、俺には何のことやらさっぱり」
「まあ……でも説明するのも今ここで実証するもの難しいから、敵と一戦交えることになったら、私に出番をくれないでしょうか?」

実際に、殺意のこもった剣を逸らせる。それを彼ら自身の目で見なければ、いくら説明したところで、信じられるものではない。
ギーヴもエラムも腑に落ちないといった表情をしていたが、その時、隣の部屋から今度はナルサスがやってきた。

「エラム、すまぬが食事の支度を……ん、おぬしら、何をしている」

彼はエラムを探しにきたようだったが、不思議な組み合わせに目を瞠った。

「ミトさまのお召し物について相談しておりました。珍しい衣服は洗濯して保管し、代わりに新しいものを作るつもりです」
「おお、さすがだなエラム。ミトのこの服は価値のあるものだから、それがよい」

主は満足そうに笑い、侍童も胸を張って自身の仕事を報告していた。
「おぬしは?」とナルサスに訊かれたギーヴは、「俺はナルサス卿がお連れした勝利の女神に捧げ物をしておりました」とやや皮肉っぽく述べた。

「……まあよい。ミト、その服のことだが、洗ったあとでよいのだが、もう一度着てみてくれぬか」
「え?はい、いいですけど……」

エラムに綺麗にしてもらったら、もう着ることはないから荷物の奥底にしまおうと思ったのだが。首を傾げると、ナルサスは「おぬしの姿を絵に描きたいのだ」と恥ずかしげもなく言うのだった。

「えっ……」
「ちょ、軍師殿、絵は荷物になりますしっ、どこかの砦に着いてからにしては?」

絵に描きたいだなんて言われるのは初めてだったので驚き、素直に嬉しいと思ったのだが、ギーヴが全力で止めたのでこの話は流れてしまった。

結局ミトのワンピースは綺麗に畳まれて荷物の底に仕舞われ、その上には武器とか道具とか食料とかが積まれた。
これまでの世界と決別するために、砂漠の砂のように、覆い隠したのだ。


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