「ホワイトチョコラティクランブルココ」だとかなんか呪文のように長いドリンク名を暗唱して、我ながらこんな無意味な単語を覚えてなんになるんだろうなあ、と思いつつ、レジに立って仕事をこなしていく。
午後のちょうどお茶でも一杯飲みたい時間。店内はお客さんで溢れかえって、正直、優雅なアフタヌーンティーを楽しむような空間じゃなくなっている。
絶え間なく注文が飛び交うなか、私はふと昨夜のことを思い出していた。

「あ〜めんどくさいなあ。大学生のフリするのってなんか思ったより大変だったな。こんな肩書きやめとけばよかったよ」

このカフェでバイトをしているトド松くんという男の子が昨日零した言葉は、けっこう衝撃的だった。
彼はろくに取り繕いもせず逃げるように去ってしまったけれど、大丈夫なのだろうか。こういう場合は聞かなかったことにするべきなんだろうけど、私は一体どうすればいいんだろう。
慶応ボーイでも大学生でもなく、何者なのか定かでない。彼はその嘘を貼り付けなければいられないような人なのだろうか。
とにかく、なんとなく口に出してはいけないことのような気がして、まだ誰にもトド松くんのことを話せないでいた。

「お待たせいたしましたー。ご注文承ります……」

トド松くんが何も言わなかったってことは何も言いたくなかったんだろうな、とひとまず考えを着地させて、次のお客さんの方を見たとき。私は息を呑んだ。

「あ、あれ、トド松くん……?」

目の前に立っているのは、昨夜からずっと私の頭の中に居座っていた青年だった。
あのことは黙っておいて欲しいとかなんとか一言言って欲しいと思っていたけれど、こんなところでいきなり顔を合わせるなんて。
ぎょっとして口をぱくぱくさせていると、彼は「注文いいすか」とぼそりと呟く。

「え?あ、あの、いいですけど、トド松くん、だよね……?」
「は?違いますけど」

冷ややかに言い返されて意味がわからず呆然としていると、ドリンクを作っていた同僚の女の子が横から顔を出してきた。

「あれ、トッティかと思ったけど違うの?」
「あ、う、うん、なんか違うみたい」
「あー似てるけど、目とか髪とか違うかも。服装も、トッティはもっとおしゃれだしね。親戚とかかな」

言われてみれば、確かに。髪はぼさぼさだし、やる気のない目もトド松くんとはどこか別人のように見えた。野暮ったい紫色のパーカーに、ジャージにサンダル。トド松くんだったら、たぶん着ない。
とりあえず気を取り直すと、注文をとって、私はまた次のお客さんに声をかけた。



さっきの人、なんだったんだろう。ようやく落ち着いた店内をぼうっと見渡して、長く息を吐く。トド松くんのことばっかり考えていたから、急にトド松くんに似ている人が来て慌てている自分が可笑しかった。
思ったよりずっと、私は彼の秘密の処理に困っているみたいだ。
誰かに相談することもできず持て余している。私が持っていても意味のないことだから尚更困る。

「ねえ、お姉さん、ここも拭いてくれません?」

テーブルを拭いていると、後ろから呼びかけられた。
不思議なことに、振り向かずともさっきの人だとわかる。トド松くんの親戚かなにか。それか本当に全然関係ない人。

「あ、はい、かしこまりました」

別に汚れているところはないように見えたけれど、気にせず彼のテーブルに近付いて手を伸ばした。すると、いきなり彼の右手が私の手首を掴んだ。
え?なにこれなにこの人怖い。生気のない目は何を考えているか少しもわからなかった。身の毛がよだって、小さく「ひいっ」と叫び声をあげてしまう。

「しー。礼ちゃん、今日もうすぐ終わりでしょ、このあと時間ある?」
「……え?」

聞き覚えのある声が耳に入って、私は一気に混乱した。そこにある顔はさっきの人ではなく、今度こそトド松くんだったから。

「ん?んん?え?あ、あれ、トド松くん?」
「うん、僕だよ。みんなには内緒にしてね、お願い。今も、他人のふりして。せっかく変装してるんだから」

どうして変装する必要があったのか(それも、微妙に似ている他人になりすましていて)よくわからなかったけれど、仕草と声は確かにトド松くんだった。
どうやら私と話をするためにここへ来たらしい。「ちょっと時間もらえないかな?お願いっ」ときらきら輝く瞳で可愛く言われ、無下にするわけにもいかず、私はとりあえず首を縦に振った。

「このあと用事あるからちょっとだけなら……」
「あ、ありがとう!じゃあ外で待ってるから」

彼はそう言うと、私を掴んでいた手をぱっと離して、またさっきの借り物の瞳に戻して、店を出ていった。

彼が置いていったドリンクはほとんど中身が残っていた。ずっと、ただただ私に話しかけるタイミングだけを窺っていたのだろうか。トド松くんってもっと要領がいい人だと思ってたけど、どうしてこんなこと……と考えて私は眉を顰めた。

あの独り言、よほど他人に聞かれたくなかったのだろうか。そこまで後ろめたく、隠したいものなのだろうか。私が彼の秘密の処理に困っているのと同じで、彼もその秘密とどう付き合えばいいのか迷っているのではないか。
根拠もなく空虚な考えが頭に浮かび、珈琲の香りに染まってやがて融けていった。

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