「トド松、この子知り合いなの?」
「えっ……ま、まあ」
「と、とどまつくん、もういいの。用済んだから、いこ」
「なあ、バイトってなんなの?」
「……」

トド松くんの手をひいてどこかへ行こうとしたけれど、温度のない声に足が凍りついてしまった。
お兄さんの表情を見たら、血の気がひいた。私もトド松くんも誤魔化しきれない、逃げられないよ、これ。

「トド松、お前、バイトなんかしてたの」
「あ……うん、まあ……」
「ちなみにさ、今日はどこ行ってたの?」
「えっと……バイトして、囲碁クラブに……」
「は!?え、なにそれ、バイトして、囲碁クラ……って、えー!?」

お兄さんは驚いて玄関で大声をあげた。あ、もしかして、トド松くんってお兄さんたちに自分のことをなんにも話していなかったのだろうか。十分あり得ることだとは思うけれど。
……そしたら私、やっぱり大変なことをしてしまったのだ。

「そんなん聞いてないんだけど!?」
「……言ってないからね」
「え?なんで言わないわけ?全然知らなかったんだけど!」
「そんなのわざわざ兄弟に言う?言わないでしょ」

トド松くんは当然のように飄々として答えていたけれど、それがどうやらお兄さんのスイッチを入れてしまったらしい。

「……ちょっと、これちゃんと話さないとダメだわ。ほら、中入って座って」

背を向けて廊下の奥へ消えっていったお兄さんから、私は目を離すことができなかった。怒っているというか、触れてはいけないところを踏み抜いた感じがする。兄弟ともなれば、長年の積み重ねもあるし、私にはもうどうすることもできない。こうなるきっかけを作ってしまった罪だけがのしかかっていた。

「ど、どうしよう。ごめん。トド松くん、ほんとごめん」

ただただ謝る私の手をトド松くんがぎゅっと握った。そういえばまだ繋ぎっぱなしだったみたいだ。
顔を上げると、しょうがないね、といった表情をしたトド松くんが目に入る。この状況なのに、彼はどこか安堵したような雰囲気だった。まるで秘密が暴かれるのを待っていたみたいに。

「……礼ちゃんごめん、もし時間あったらついてきてくれる?」
「え?わ、わたしが?」
「僕、こういうのわかんないんだ。たぶん間違えてると思うから、一緒に話聞いて欲しい」

大きな黒目は宇宙のように暗くて底が見えなかった。首を横に振ることができず、私は手をひかれて敷居をまたぐと靴を脱いだ。

居間に入ると、赤パーカーのお兄さんが呼び集めたのか、すでに同じ顔が4つ並んでいた。
ぱっと見では誰が誰だかちっともわからない。その8つの瞳に見つめられると、なんだか怖くなって小さく震えた。トド松くんは自分の背に隠すように私を座らせた。ついこの間、彼は私が守らなくちゃと思ったばっかりだったのに、なんだか泣きたい気分になる。

「トド松、それ誰?」
「バイト先で仲良くしてもらってる子。ちょっと付き添いで」

眠そうに瞼をおろした人が生気のない声で私について尋ねていた。チラッチラッ、とこちらを見ては、落ち着かなそうに目を逸らしている。

「あのさ、トド松。センシティブな話するんだしさ、その子帰した方がいいんじゃないの?」
「いいの。兄さんたちも気にしないで」
「あ、そう……。あの、じゃあ、これ……どうぞ」

そう言っておずおずと座布団を差し出してきたのは、緑色のチェックシャツを着た人だった。私はとりあえずお礼を言って、その上に正座した。
彼らは全員が畳のうえに思い思いに座り、いびつな円となっていた。その輪の中に私はいない。こんな状況を招いてしまったにもかかわらず、松野家にとって、私は関係のない外側の人間だった。

「お、おい、トド松。どうしたんだこれ」

遅れてやって来たもう一人については、見覚えがあった。黒い革ジャンに髑髏のベルト。スタバァにやって来たあの人だった。
彼はあわてた様子で、心配そうに弟の顔を覗き込んでいた。

「いや、大丈夫。兄さんは黙っててくれたんでしょ。ありがと、ごめん」

そう言ってトド松くんは眉を下げていた。
ああ、そうか。あの時彼は、「他の兄たちには黙っていて欲しい」とかって革ジャンのお兄さんに頼んだのだろう。そして優しい兄は彼の秘密を守っていた……のに、私が口を滑らせてしまったばかりに。

「まずさ、トド松がバイトしてたのとか、囲碁クラブ行ってたの知ってる人っている?」

赤パーカーのお兄さんが話を切り出した。真ん中に置いたお菓子に手を伸ばしながら気楽に話し始めたけど、私はトド松くんの背中だけをじっと見つめて、心臓の痛みから気を逸らしていた。
兄たちは口々に「知らない」「聞いてない」と言い、そしてまたトド松くんは「言ってないからね」と返した。

「それなのよそれ。なんで言わないの?」
「だから、わざわざ兄弟に言う必要ないかなと思って」
「もしかしてさ、お前あと他になんか習い事とかやってたりする?」
「んー、あ、ジムとかなら行ってるけど」
「……」

赤と緑から交互にきかれるが、トド松くんは淡々と答えていく。革ジャンのお兄さんはハラハラしているようだったが、それ以外の人は口も挟まずぼりぼりとお菓子を食べている。傍目に見ていると、トド松くんだけがその輪の中でぽっかりと浮いているようだった。

「前から思ってたんだけど、お前っていちいち言わないことが多いよね。なんで?兄弟なんだから言ってよ」
「兄弟だから別にいいかなと思うじゃん。しかもみんなもう二十歳すぎた大人だよ?」
「でもさ、なんか大きな変化があったりしたら報告しない?それが普通じゃない?」
「うーん……」

どっちがいいかは私にもよくわからなかった。この家族が今までどうやって育ってきたのか知らないし、彼らが「良い」とするラインが判断できない。ただ、トド松くんはやはりそのルールからひとりで逸脱しているようだった。

「わかんないかなぁ。あとさ、バイトって?何してんの?」
「ん、スタバァの店員」
「スタバァ?あんなところで働いてんの……」

お兄さんたちはトド松くんと私を交互に見る。こういうやつらがバイトしてそうな場所ではあるけど、っていう視線だった。

「いやー、しれっとバイトしてないで、言ってよ。いつの間に努力してたわけ?」
「トド松さぁ、みんなニートなのにひとりだけ働き始めるのはちょっとなぁとか、そういうの思わないの?」
「……思わないかな」

「だーかーら」とお兄さんたちが口を揃えたところを遮るように、トド松くんは「てかさ」と大きな声を出した。

「なんにも口に出さなくてもさぁ伝わることってあるじゃん?家族だし?優しさとか絆とか、それと一緒でしょ。言わなくたって別によくない?それに僕が何してようと、別に興味ないでしょ?」
「そうじゃないんだって、寂しいんだよ、お前のことなんにも知らないと」
「じゃあさ、僕どこまで言えばいいの?髪切ったり、買い物したり、朝ランニングしたこととかも言わなきゃいけないの?富士山登ったことも?」
「いや、富士山登ったことは言えよ!だからそのラインがおかしいんだって。何年一緒にいるんだよ。お前さ、やっぱ人の心がないんだよね」
「はあ?いや僕だって感情あるから、言うほどドライモンスターじゃないからね」
「とにかくお前勝手にバイトなんか始めて……そもそもさ、そういうこと俺たちに言わないのって、周りの人たちに自分がニートだってこと隠したいからじゃないの?」

あ、図星かもしれない、と思って私はびくりと肩を揺らした。
やっぱり家族だから性格ばれてるんだ。
でもあまりにも正確に指摘されてしまったからか、トド松くんは黙りこんでしまっていた。

「俺たちにも言えないことがあるのに、他の人にほんとのこと言えてんの?」

返す言葉はない。私からも口を出せない。急に不安になってみつめたトド松くんの背中は、小さく震えていた。と思ったら、彼は勢いよく立ち上がって、「ああもう、めんどくさいな」と耐え切れないように叫んだ。

「努力してるんだから、いちいち邪魔しないでよ。僕、兄さんたちみたいにいつまでもニートでいたくないんだよ!」

なんだか怖くて動けずにいた私の手を掴んで、トド松くんは居間を飛び出し、玄関の扉を叩きつけるように開けて上着も着ずに外へ駆けていった。
靴もきちんと履けず、転がりそうになりながらも、私はトド松くんと走った。どうして彼が私を傍においていたのか、その理由をぼんやり考えながら。

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