彼女からのお誘いの連絡はすぐにきた。といっても、前に会ってから二日後のことだったんだけど。
つまり連絡のない二日間、俺は居間に転がってなんにもないのに何度もスマホの画面をつけたり消したりしていた。
別に連絡がほしいわけじゃない。でもまた誘うって言われたから、待っているだけ。そう自分に言い聞かせはするけど、本当に気になりすぎてうっとおしくなったので、しばらくスマホを座布団の下に隠して放っておいたから、彼女からついに連絡がきたことに気付いたのが、5時間後とかだった。
会っても煩わしいし、会わなくても煩わしい。ただの知り合い程度の女の子をなんでこんなに気にしてるのか、自分でも不思議だった。
メッセージは至極簡単だった。一松さん、唯です。またお話したいので、ご飯でもどうですか?といった内容。
めったに使わないツールだが別に手間取らずに承諾する旨を返信すると、時間と待ち合わせ場所が送られてきて、やりとりもそれ切りだった。
週末の夕方、俺と彼女は商店街の入り口あたりで待ち合わせをした。
ほとんど時間通りに来た唯ちゃんは、仕事のある日よりもゆるい感じの服装をしていた。俺はいうまでもなく、いつも通りの恰好。俺に合わせてくれたんだろうか、よくわからない。
女の子と待ち合わせてどこかへ行くなんてほとんどデートだった。兄弟たちに知られれば全力で邪魔される類のものだけど、唯ちゃんがあんまり張り切っているわけでもないからか、俺もそこまで気負わずにいられた。
「一松さんのよく行く居酒屋いこうよ」
「……めちゃくちゃ安いけどいいの」
「いいよ、いこ」
唯ちゃんと俺の関係は、もともとは俺が彼女を助けたところから始まった。
でも彼女にとっての俺の「恩人」という立場は、お礼にご飯をおごってもらって、プレゼントをもらった瞬間に解消された。そして今度は晴れて「友達のような」関係が始まった。
ただ、この関係は発展することはない。
なぜなら彼女はすでに他人のモノだから。
二股するクズだけど、六つ子が束になってもまったく足元にも及ばないハイスペックな彼氏がいるんだから。
けれどそういった障害が妙な期待を取り除いてくれて、彼女との関係について俺は安心さえ覚えていた。今の場所に甘んじるしあわせ。過度な期待は痛い思いをするだけなんだから、抱かない方がマシ。
ぼんやりとそんなことを考えて彼女の隣を歩いていたら、突然、彼女に強く手をひかれた。
「!?」
ものすごい力で引っ張られ転がりそうになりながら路地裏に入ると、唯ちゃんは小さな声で「隠れて」と囁いた。
突然の出来事にドキドキしながら、角からそっと顔を出して通りを見ている唯ちゃんの背に「誰かいるの」と問いかけると、彼女はこちらを振り向きもせずに「……彼氏が」と呟いた。
えっ彼氏いるの?
唯ちゃんの彼氏がそこ歩いてるの?
俺の眠そうな目が大きく開かれるのも、唯ちゃんは見ていなかった。
すぐそこに唯ちゃんの好きな人がいる。イケメンエリート。たぶん見たら俺の目がつぶれる。
「ごめん、どっか行くまで待ってて」
唯ちゃんは別にどいつが彼氏なのか隠すつもりはないみたいだったが、俺は覗こうとはしなかった。見たら死ぬ、と思ってたのもあるけれど、そんなことよりも俺の全神経は自分の手を握ったままの唯ちゃんの手の感触に集中していた。
柔らかくて、小さくて、少し冷たい。じわ、と自分の体温が奪われていくのがわかる。緊張しているのか強く握りしめていて、やや汗も滲んでいた。
どさくさに紛れて握り返してみてもいいだろうか。それで気付かなかったら、指を絡めてみても?いやいや何考えてるんだ俺、唯ちゃんは今まさに文字通り彼氏に釘付けになっているというのに。
「あっ」
よからぬ考えを抱いていたことや唯ちゃんの彼氏がすぐそこにいるという緊張感から、急に彼女が声をあげたので俺は反射的に懐からマスクを取り出して顔を隠した。
「道まがってった。もう大丈夫だと思う」
振り返った唯ちゃんは何事もなかったかのように俺から手を離して、「危なかったねー」と頬を掻いて笑った。
その手が少しだけ震えているのを見たとき、俺は本当に後悔してしまった。
ああそうか、彼女は彼氏に他の女がいることを知って、死ぬほどショックを受けたんだ。今でもきっとそいつが自分と一緒にいない場面を見るだけで想像力が働いて、あのときの寂しさが蘇るのだろう。
それが俺ごときの言葉で立ち直れるわけないし、まして俺がその彼氏の代わりになれるかといったら、ニートが考えつくだけでもおこがましい。
「……俺のこと迷惑?」
「え?」
気付いたらそんなことを口走っていた。
今のこの状態って、無職ガチクズの俺は男として見てもらえてるわけがないから、唯ちゃんにとっては浮気とか二股してるって感覚はないはずだった。でも彼氏から隠れたのは、俺が隣にいたら誤解されかねないからで、俺のことは彼氏には知られたくない存在というわけで。
結局彼女にとっての何者にもなれないのに、俺が一緒にいるだけで迷惑をかけてしまう。ほんと救いようがないごみくずだった。
「ううん。ただ状況的に、彼氏気短いから話聞いてくれないだろうし、それに一松さんを巻き込みたくなかったから」
「唯ちゃん気つかわなくてもそういう扱い慣れてるから」
ぼそ、と呟くと唯ちゃんは困ったように笑った。
ちょっとだけ居心地が悪くなって目を伏せると、急に唯ちゃんの両手が俺の頬を包むように伸びてきて、俺はぎょっとして顔をあげた。
「ちょっ、ちょ……、唯ちゃんなにしてんの」
だらだらと変な汗が背中を伝っていた。唯ちゃんがまっすぐに俺を見て、俺の両頬に触れていた。顔が熱くて仕方なかった。本当に童貞臭くて悲しいほどに動揺していた。きっと赤くなっている、と思うとさらに緊張して耳まで熱くなった。
「だってコレまがってるんだもん。わざわざ変装してくれようとしたんでしょ?」
唯ちゃんは急いで付けただけのマスクをきれいに直してくれて、子供でも見るかのように笑った。じっとみつめていた俺は目が合った瞬間にはもう逸らしていた。真正面から直視した彼女が、可愛くて、恥ずかしかった。
「じゃ行こっか」
腕をひかれて、俺たちは商店街の通りに戻った。意外にしっかりした生地のパーカーのせいで、唯ちゃんの感触がわからなくなってしまって少し残念に思いつつ、よく兄弟で行くクソ安い居酒屋へ向かったのだ。もう俺は唯ちゃんの彼氏のことなんて忘れてしまっていた。
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