「あのさぁ、非常に言いたくないんだけどさ」
「なに?」

珍しく今日は兄弟全員が出かけていて、自宅でごろごろしているのは自分だけだった。
テレビを聞き流しているとあっという間に夕方になって、まず三男のチョロ松が帰宅したところなのだが、俺の顔を見るなり「あのさぁ」とへの字の口を開いたのだ。

「なんか今日お前のこと探してるっぽい女の子に声かけられたんだけど」
「……なんで?」
「いや、こっちが聞きたいよ。でも僕に声かけたとき『一松さんですか?ずっと探してたんです』ってすごい嬉しそうでさ。誰?なんか心当たりある?」
「……いや」

そう否定したあとで、急にある光景が脳裏にわきおこった。
踏切の中でゆれるスカート。真珠のように涙を流した女の子。
他人と関わることはめったにないし、まして女の子など、ここ最近でまともに会話した記憶もないと思ったけれど、そういえば一度だけ。

「……あった」
「え、マジで?じゃあ連絡先教えておけばよかったかな」

チョロ松兄さんは真面目な表情で唸っていた。女の子の知り合いだなんて、他の兄弟からしたらいいネタにしかならないのに、よほど彼女が必死だったのだろうか。

「じゃあ何もせずに帰ってきたんだ?」
「そうそう。お前のことだし、勝手に教えたら僕が怒られそうだし。人違いですって言っておわったよ」

これは本当に不思議なのだが、どこか、残念がっている自分がいた。
もともと連絡先を教えなかったのは自分だというのに。あれから二週間近く経って、探してくれているとは思わなかったから、不意打ちをくらったような気分だった。だから、なんで俺なんかを、という思いに囚われる。
いや、彼女は俺のことをなにも知らない。ただ素直に恩人と思っているだけなのだ。
俺がニートで世間的にどれほどゴミなのか知れば、ほかの人と同じようにがっかりして離れていくだけ。
俺は、自分を知られるのが怖くて、逃げている。今も、きっとこれからも。



それから数日が経って、俺は彼女のことをまた忘れていた。
夕方、ネコのエサを買うためにいきつけのコンビニに入る。猫缶はいつもと変わらない棚にあって、とくになんにも考えずに手にとってレジへ向かった。
レジにいたのは、松野家の六つ子を小さい頃から知っているおばさんだった。

「おや。あんたは一松くんだっけ」
「……ども」

このおばさんには、知り合いらしく会釈をすることはあるが、今までほとんど会話をしたことがなかった。急に名前をきかれ、俺の持ち前の疑り深い心が顔を覗かせる。

「この間あんたのこと探してるっていう女の子が来てたけど、会えたかい?」
「……!」

ここでまた、記憶が蘇った。あの子だ。あの死にかけてたメンヘラ女。チョロ松兄さんに話しかけたのもきっと彼女だし、間違いなかった。
まさか、まだ、俺のことを探していたなんて。

「……い、いや」
「まあ!あんな可愛くて健気な子、他にいないよ。何があったか知らないけどしっかり捕まえておきなさいよ」

おばさんはぽっと頬を染めて、お釣りを受け取ろうとした俺の手を握った。生暖かい感触に、息がつまる。

まずい、と俺はとにかく嫌な予感がしていた。このままだといつかまた彼女と出会ってしまいそうな気がする。
会いたくなかった。自分が誰かの期待に応えられるような人間じゃないのはもうわかっているから。

悶々とした気持ちはすぐには晴れそうになかった。
しかし、レジ袋を受け取って、外に出ようとすると、ちょうど自動ドアがあいて女の子が入ってきた。

瞬間、俺の背筋とか顔とかいろいろなところを、さーっと変な汗が流れた。
まだ心の準備できてないんだけど、と足がぷるぷるしている。

なんという神のいたずら。
この子は、あの日踏切の中で一瞬死に近付いていた女の子だった。
幸い、彼女はスマホをじっとみつめていてこちらに気付いていなかった。俺は彼女と目をあわせず、さっと横を通りすぎた。外へ出たらダッシュで逃げる。会いたくないんだ。探されるような価値なんて俺にはないから――

「あ、あんた、あれが一松だよ!追っかけなさい!」
「えっ!一松さん!?」

こんなところでレジのおばさんのキラーパスが炸裂するとは俺も夢にも思わなかった。
女の子ははじかれたように顔をあげて、振り返った。しかし俺も、勢いよく走りだしていた。
コンビニの駐車場を駆け抜けて、道路を渡り、狭い路地を通ってとにかく逃げた。
自分でも、どうしてここまで顔を背ける必要があるのかわからなくなっていたけれど、足は止まらなかった。

「ま、ままままってください!」

後ろから、女の子の声が悲鳴のようになって俺の背に届いた。
振り返ると、彼女はきれいな服も髪もよれよれになって、それでもまだ俺を追いかけていた。
さすがにこっちも疲れたし、汗だくになっていた。もういいや、と俺は立ち止まって、ふらふらとやっとの思いで走ってくる彼女を待った。

「ご、ごめんなさい。あの、この間助けていただいた者ですが……ストーカーとかじゃなくて、でもほんとうにあなたのことを探していて。どうしてもお礼がしたくて」

彼女は俺の前まで来ると、あの日と同じように座り込むことはなかったが、両膝に手を乗せて身体を支えていた。
荒い呼吸は、お互いまだおさまっていない。けれども彼女は、汗のしたたる頬をハンカチでぬぐうと、俺に向かって笑顔を見せた。

「あの、あれからまた彼氏と喧嘩とかして何回も死にたくなったんですけど、あなたのこと思い出して踏みとどまったんです」
「え?」
「また、『本気ならそのまま死ねば』って言ってもらえませんか?」

その屈託のない笑顔を見たら、ああ、やっぱり彼女は本心から死のうだなんて少しも考えていないんだろうなと思った。せいぜいツイッターとかに呟く「あ〜死にたい」みたいなレベル。
だから俺に言われて目が覚めたのは、本当なんだろうけど。

「ふ、ふふ、可笑しい。あなたのこと見てるとちっとも自分が本気じゃなかったような気がしてくるんです。えっと、意味分かんないと思いますけど、ありがとうございます」

それはきっと俺の方がよっぽど死に近い目をしてるからじゃないだろうか、と思ったが、口には出さなかった。「また会えて本当によかった」なんて言って、彼女がまたぽろぽろ涙を零したからだ。

「あ、ご、ごめんなさい。そうだ、お礼をわたしたかったんです。あ、でも、家においてあるので、今度渡させてください」
「……わかった」

彼女は悪人ではない。俺を探していたというのも、本当にただお礼をしたかったからで、下心なんてもちろんあるわけがない。それがわかって、俺は目を伏せた。やっぱり彼女は眩しかった。

「……」
「……あ、あと、一松さん。えっと、もし時間があれば……」
「……」
「……あの……」
「話聞いてほしい?せっかくだしお酒でものみにいく?」

ああ、なにをいってるんだ俺は。さっきは挨拶も交わさず逃げ出したのに、自分から彼女を誘うなんて、一体どういうつもりなんだろう。
でもたぶん、一瞬だけ思ってしまったのだ。彼女のそばにいたら、自分も光の当たるところに居られるのではないか、と。「はい!」と明るく笑った表情と声が、いつまでも頭から離れなかった。


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