生きている事。ああ、それは、何というやりきれない息もたえだえの大事業であろうか。
かつてそんなことを言った人がいたらしいが、今その言葉が私の背を奇妙に押してくれていた。

事件は一週間前に起きていた。
私には大好きな彼氏がいた。二つ年上で、かっこよくて面白くて、大企業に勤めていて、本当に自慢の彼氏で、本当に大好きだった。つまりは心の底から心酔しきって、信頼しきっていたのである。
それがあの日、夜中に目覚めた私はたまたま彼のスマホにメッセージが届くのを見てしまい、そこから、彼が私以外の女のひととも繋がっていたことを知った。
いわゆる二股というやつである。

知った瞬間、私は頭のなかが真っ白になり、信頼を裏切られたショックでなにも考えられなくなった。正直、大好きすぎて絶対に結婚するしかないと思っていたから、余計に、それが叶えられないことだってわかって、もうどうしようもなくなってしまった。

そしてこころが息を吹き返さないまま、一週間部屋にひきこもっていた。
食べるものもなくなり、外へ出たときに、ふと、冒頭の言葉を思い出したのだった。
どうしてこんな思いをして生きているんだろう。生きているってなんなんだろう。

ぐるぐると無意味なことを考え続けた挙句、私は近所の踏切の前に立っていた。
これで苦痛から解放されるのだと思うと、不思議と落ち着いた気持ちになれた。こうするのが正しいことだとさえ思えた。

私は戸惑うこともなく踏切の中へ入っていった。
近付いてくる電車はなく、遮断機はまだ降りていなかったけれど、とにかく向こう側の世界に近付きたかった。

はやく電車来ないかな、と私はしばらくぼーっとしていた。それは恐怖も何もない、ただのからっぽな人間だった。

そこへ、にゃあにゃあ、という鳴き声が突然響いたので、私はそれこそ死んでしまいそうなほどびくりと身体を強張らせた。
踏切から鳴る警告音ではなかった。振り返ると、ネコが一匹、私を見て鳴いていた。

そして、目線をあげると、もう一人いたのだ。

安物のサンダル、ジャージ、紫色のパーカー。髪は少しぼさぼさで、まるで整えた形跡がない。その人の持つ眠たそうな目と、私の瞳が交錯する。

「なにしてんの」
「え、いや……電車を待ってます」
「いやいや、待つならそこじゃなくてあっちでしょ」

彼はぼそぼそと呟くようにして、右手で駅の方を指差した。ネコはいつの間にか鳴きやんでいて、おとなしく自分の身体を舐めている。
私は何も言えず、立ち尽くしていた。踏切の中と外が、急に異次元みたいな遠さに思えて、手足がぶるりと震えた。その人の目が、もう一度私を見る。

「本気ならそこでもいいと思うけど」

――別に死にたいなら死んでもいいんじゃない?といわれたような気がした。

途端、私は目が覚めたように、急に意識が覚醒した。
どうして私は踏切にいる?なにをしようとしていた?世界が鮮やかに色づき、生きているものや幸せなものへのあこがれで、胸がいっぱいになった。
そして同時に恐ろしいほどに怖くなった。私は、気が付いたらゆっくりと歩いて戻っていて、踏切の外へ出ていた。

ようやく辿り着いた生の岸、そこで待つ彼の前まで行くと、私はへなへなと座り込んでしまった。
地面と近付きネコと目が合うと、うれしそうな声で鳴かれ、余計に力が抜けた。
私はすがるように、彼のジャージの裾を握っていた。

「た、立つの手伝ってもらえますか……」

うしろで電車がいつものように通りすぎていった。


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