「え、その……ねこって、え? 俺? 俺のこと?」
「は?」
「意味わかんない」
コウは間抜けな声を出した。
そして、ああと何か思い至ったように一つ声を落とした。
「拾ってきたとき、ねこってもう呼んでた。もしかしてその名前で、呼ばれたことない?」
「ない。ないよそんなの、そんなの初めて……きいた」
「あー……トウゴならありえる……」
彼なら、とコウは言う。
血の気が引くような感覚。俺は自分から、彼との接点を潰してしまったのだろうか。
なんて、バカなことだろう。
「……なんでねこなのかは知らないけど、トウゴの言う『ねこ』は拾ってきたセッキの事だと思う」
俺は自分でねこじゃないといった。そういうと彼は興味を失ったようでもあって。
なんてことを本当に、してしまったんだろう。
「……もう、俺がねこって言っても」
「通じない。トウゴの中では……多分、あの頃のお前がねこで固定されてる」
あの人の中にある『ねこ』という俺。
あの人が何かに名前をつける。名前を呼ぶ。それを認識する。
それはとても難しいことだって知ってる。
あの人の口から出る名前が片手で足りる数だというのを、俺は知っているからだ。
俺の傍で、彼が口にした名のようなものは『コウ』と『シンキ』、それに『メイ』だ。
「セッキが出て行ってからしばらく、トウゴのやつ不機嫌だったからな」
「不機嫌?」
「他のやつはわからないだろうけど、幼馴染の感覚ではすごく、気に入らなかったんだと思うけど」
不機嫌。
本当に、俺は彼の世界にちゃんとあったんだ。
けど、それを知ろうとせずに、俺は俺の我儘で彼の前からいなくなった。
あれ、なんかちょっと嬉しい。
嬉しいぞ。
冷えていた心になにかともったような感覚だ。
少なくとも、彼を不機嫌にさせる程度には俺は踏みいっていたってことか?
彼をそうさせた自分があったことが嬉しい。ひねているとは、思うけれども。
「ちょっと考える……」
まだ何か言いたそうなコウの隣をすり抜けて、俺は部屋に入った。
ベッドに乱暴に腰を下ろして倒れこむ。
なんだこれ。
腹の底から込みあがるのは笑いで。
どうしようもなかった。
笑いを噛殺す。
あの人、トーゴの中に確かに俺はあったのだ。
その事実が嬉しいのだと、思う。
けど、けど何かが圧倒的に足りなくて。
「あれ……うわ、あれー……」
俺は泣いていた。
止まらない、と驚きながら。
自分が招いた、ことなのだとは思うけども。
あの時、コウの言うとおりあそこに止まっていたら何かまた違っていたのかもしれない。
俺がちゃんと、彼に声をかけて話しかけて、彼と接点を持とうとしたらまた違ってたのかもしれない。
彼が、俺に興味をもって内側にいれているのだとしらなかったから。彼が俺に声をかけなかったから。傍にこなかったから。
そう言ってしまえば言い訳になる。
そう言ってしまえば、思えば楽になれる。
なれるけど、それは違うんだ。
出会っているのに、出会えていない。
苦しくてしかたない。
自分でこうすることを選んだことがバカみたいだ。
すごく気持ちが痛い。
その場でうずくまって、俺は思いだす。
あの人とのことを。会話らしいものはほぼ、なにもなくただいただけのあの時間のこと。