逃走
 ひゅ、と風が吹く。
 廃ビルの屋上。朽ちた柵を押しのけて夜空に視線を向ける。
 都会の光で星のきらめきなんて存在しない。逆にそれが好きだった。
「もう逃げられないぞ」
 後ろからかかった声。少年は振り向いた。その目元はフードに隠れていて見えない。
 けれど口元が弧を描いて笑っている。
「逃げられない? はは、そんなことはないよぉ」
 ゆったりと、あざけるように紡いだ。
「逃げ場はないだろうが」
 追いかけてきた青年は距離を詰め、早くこっちにこいと手を伸ばす。
 けれど途中で歩みを止めた。
「……飛び降りる気じゃ、ないよな」
「そのつもりぃ」
 ふは、と息を吐いて。
 少年は後ろに倒れた。
 慌てて手を伸ばして捕まえようとする。けれど手は届かない。
 階下を覗き込めば、落ちた少年はとんと地面に足をつけていた。
 どうして、どうやってと青年は瞳を見開く。
 少年はその表情に満足したように笑った。そしてこれ、としゅるんと光る銀色を回収していた。
 それはワイヤーだ。どこかにひっかけて、そして下まで降りたのだと知る。
 青年は舌打ちして、その場から離れた。再び少年を追う為に。
 少年は青年の姿が見えなくなり、ははと笑い零す。
「捕まらないよぉ、おにぃさま」
 五つ上の兄は自分にご執心。ゆえに、息苦しい。
 少年は逃げる。
 捕まったら、おしまいだから。


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