ええ、こういう風になるんだろうなって、なんとなく予想はしていたんですよ。
と、非常に不愉快そうな表情でレクシスは零した。拒否権がないのはもう何度かのやりとりでわかっていた。
諦めておとなしく、だから従った。従ったら、だ。
「ぼくこのまえひーるいやっていったのに」
「大丈夫よ。これヒールっぽいけど踵高いだけだから」
「うぅ……」
年の終わりから、初め。
その日は城で夜会がある。そしてこの夜会にはある程度の地位があれば招待状が届く。そんなわけで今回は、第七師団全員での出席となるのだ。
「……皆は師団服で僕だけ、こんなのとか……」
「えー、私もそういうのがいいよー」
「じゃあかえる?」
「やだー!」
アイーダはにっこり笑う。レクシスは深いため息をついた。
今日も今日で、先日の聖クリッドの日のごとく着飾られている。ドレスの裾が長く、動きにくい。
「準備できたかァ? 今日もちゃんと女の子だなァ」
「うるさいぃ……」
睨みつけられるのさえ楽しい遊びのようだ。キアティスは行くかと踵を返した。
城の中は今日もごった返しだ。
とりあえず師団の皆は、キアティスについて回るサイラードを除いて特にする事は無い。だから今日は皆と一緒にいる事ができるが故に気持ちが楽だった。
挨拶をしに来るものはいるが、師団員の友人など変な絡みのない相手ばかりだ。
「レクシス、これおいしいよ」
「なんですか? チーズ?」
「チーズにレーズンがついてておいしい」
ホールでアイーダと一緒にもりもりと美味しいもの捜索ばかり。その傍では食べ過ぎだろ、とナルヴィが笑っている。
「……おいしい……」
「でしょー! ちょっとこれお酒もきいてるよね。レーズンが」
「うん、そうだねぇ」
はにゃん、とレクシスが笑む。そのとろけそうな表情にアイーダもナルヴィもあれ、と思ったのだ。
「……え、まさかレーズンで酔う……いやさすがにそれは無……おいこれジュースじゃないだろ、ワイン……」
「?」
おお、それは酔うわー、とナルヴィは零した。その手からワインを奪い、代わりのものを探しにその場を離れた。
「……ぼくよってないよ?」
「酔ってるよー……」
酔ってないと柔らかく微笑む。これはだめだ、とアイーダが思っていた時だ。
二人のもとに近づいてきたのはランドールだ。
「……シス、あの……よかったら一曲……」
そう言って手を差し出す。
どきどきして心臓が飛び出しそう。そんな面持ちで、ここで断られても仕方ないと、思いつつ。というよりも、やんわりと断られそうな気もしていたのだが。
「らんどーる」
「!」
ふふ、と笑ってレクシスはその手に、手を重ねた。
アイーダは止める間などなかった。というかぽかんとして、状況が飲み込めなかった。
ランドールは嬉しそうに表情を緩め、レクシスの手を引いてそのままダンスホールに向かう。
「あれ、レクシスは?」
「なんか皇子に連れていかれちゃった?」
「は?」
そこへ戻ってきたナルヴィはなにそれ、と零した。
「……なんか、顔赤くないか?」
「そんなこと、ない……」
ゆったりとした音楽だ。その中でランドールはレクシスをちゃんとリードして踊っていた。
近い、距離がとても近い。
少し伏せた瞳が揺らめいている。まつ毛が長くて、ほんのり色づいた頬も、ふるりと艶めいた唇も。
綺麗でかわいくて仕方なかった。
嘗てこんな距離にまでなれたことがあっただろうか。ランドールは喜びで震えそうになるのを堪えていた。
「……なぁ、シス。あの……こ、今度どこか、一緒に遊びにいかないか?」
「遊びに?」
「ああ。どこかの湖畔でもいいし、その……」
ふたりだけで、と囁く。レクシスはぱちぱちと瞬いて笑みを零した。
それは、はいという返事のように思えた。けれど実際は何を言われているか、理解できていなかった。
酔ってふわふわした頭はぼんやりとしており、ただ気分が良いので微笑みだけが零れ続ける。
かわいい、とランドールはかーっと顔が赤くなるのを感じていた。
その笑みと、曲の終わりは同時。
もう一曲、と思いそれを告げようとしたところだった。
「ランドール、かわって?」
「っ! ……はい」
レクシスの手を、ランドールからするりと奪ったのはカルディウスだった。
新たに始まる曲。カルディウスの姿にレクシスはにこりと微笑みを向けた。
その表情にカルディウスは瞬く。こんな表情はそうそう見れるものではないことを知っているからだ。
「……あれ」
「カル兄さん……」
はふ、とこぼれた吐息。それにアルコールを感じてカルディウスは参ったな、と笑いを零す。
酔っているのか、と。
これはこのまま、踊りの輪から外してしまう方がいい。踊りながら周囲を窺うがレクシスを託せる相手はいない。
というより、今このホールで踊っているのは皇族ばかりだ。
ふと視線がキアティスとあう。キアティスも、レクシスが同じ場にいるのを知っていた様子だ。それで好きにさせていたようだが様子がおかしいのはなんとなく察していたらしい。
「大丈夫か? 気分悪いとか……」
「ん、楽しいよ。ふわふわして、きもちいい」
「そう」
完全に酔っているなと苦笑が漏れる。
カルディウスはレクシスをリードして、少しずつキアティスとの距離を詰めた。あの兄に託すのが一番だろう。何せ保護者なのだから。
くるりくるり、回る感覚が楽しいとレクシスは笑顔ばかりだ。
「ほんっとうに……かわいいなぁ……」
これくらいなら許してくれるかなと曲の終わりに、そのこめかみに口づけを落とした。
視界の端にランドールが見える、しっかりみられていたらしく何とも言えない表情だった。
一曲終わったところで、次の相手を探す間がある。
「いいじゃないか、私もかわいい子と踊りたいよ」
「はァ? 父上にはもっとほかに踊る相手が」
「カルディウス、シス嬢の手を」
そう言って、その手を持っていってしまったのはイシュドラだ。
後ろで何か言いたげだが、それを飲み込んだキアティスの姿を笑いながらイシュドラは自分よりも幾分も小さなレクシスの身体を支える。
「あれ、酔ってるのかい?」
「酔ってないです……」
「……頼みがあるんだが」
「なんでしょう?」
おじい様と呼んでくれないか、とイシュドラは突然紡いだ。
その願いにふわりと表情を柔らかくして、レクシスはおじい様と紡いだ。
「……これは、いい……」
女装だとわかっている。けれどこれはいい、とイシュドラは目元を緩めた。
「これからもそう呼んでくれると嬉しいんだが」
「はい、おじい様」
昨今、もう孫たちはそうはよんでくれない。その中でこれだ。
しかも、キアティスがこの呼び方を知ったら確実に、いらだって嫌そうな顔をするのは見えている。
楽しい。とても楽しい気分になれた。
もうすぐ曲が終わるのは残念だが、キアティスにこの子を渡さねばならないことはわかっていた。
早くしろ、というような様子にイシュドラは笑う。
「ありがとう、楽しかったよ」
微笑んで、おじい様と言う。その呼び方を、レクシスを引き受ける瞬間キアティスは耳にした。
「何教えてんだよ……」
地を這うような声で咎める。けれどそれも楽しいものでイシュドラは上機嫌だ。
「お前も、簡単に従……酒飲んだな」
「飲んでないです」
そうやって言うやつは飲んでるんだ、とほわほわと楽しそうなレクシスに舌打ちを零す。
踊るのはやめだ、とキアティスは手を引いてホールから出た。
のろのろ、おぼつかない足取りだ。キアティスは苦笑してその足並みを合わせてやる。風が吹くテラスにでると酔いも少し覚めるだろうと。
「お前なぁ……」
「なんですか、キアさん」
上機嫌だ。ふふりと笑うレクシスに何か言う気も失せてキアティスも笑った。
「……お前、ほんとに女だったら大変だったわ」
きっと俺は、誰かに声をかけられるたびにイライラするんだろうなとキアティスは笑う。それは恋情ではない。庇護欲とでもいうのか、いとおしいと思うようになっていた。
「キアさん、キアさん」
「なんだ?」
「……眠い……」
「あ?」
そう言うとうつらうつらし始めて、こてりと体重をかけてくる。
まったく色気も何もねぇなぁとレクシスを抱えてキアティスは歩み始めた。
そろそろ頃合い、年が変わる時は皇族は集い一か所で過ごすことになっている。
その場所へとレクシスを連れたままキアティスは向かった。
一室に集うのはイシュドラ、そしてすべての皇位継承者とその伴侶、子供達だ。
レクシスを連れたまま現れたキアティスを見てイシュドラは意味ありげな笑みを浮かべた。
ほかの皇位継承者達もまたそれに興味津々だ。
「兄上、なんで連れてきたんですか」
「……俺の、家族だし? 問題ないよな、父上」
「ああ、構わないよ。かわいい孫の一人だ」
ふかふかのソファに横抱きにして座る。その隣にはカルディウスが座った。
なんでここに座る、と言うキアティスにいいだろうとカルディウスはむすっとした顔で言う。
談笑を始めた二人のその姿を、ランドールはガシュルとリイハアルトと一緒に見ていた。
「気になる?」
「……なるに決まってるだろ」
「ランドールって勇気ないよね……言って挨拶してくればいいのに」
「そんな簡単に言うな」
リイハアルトの言葉に眉を寄せて、ランドールは言う。そんな難しいことを簡単に、と。
ガシュルはまぁそうだねと肩をすくめてみせた。
キアティスは、親よりも、そしてカルディウスよりも敷居の高い相手だ。下手をすると、祖父であるイシュドラよりも接しにくい。
そうして三人で話していると、そろそろだとイシュドラから声がかかった。
日付が変わる。その時には鐘がなるのだ。
その鐘が鳴り終わる。それと同時に、イシュドラはそれぞれを見回した。
「おめでとう。昨年はありがとう。皆、今年も良い年を」
その言葉で一年が始まる。そして来年また、こうして会おうとイシュドラは紡いだ。
そのあとのおはなし。
「は? 酒? 飲んでませんよ」
「飲んでただろ……」
ため息をつくキアティスにそんな覚えはないと言う。けれど、だ。
「じゃあ、何してたか覚えてるか?」
「……覚えてないです……」
そう言われるとうずくまざるを得ない。あああ、と自分のした事に嘆きを落とすしかなかった。
「甘ったるい声で、親父の事をおじい様って言ってたぜ」
「は!?」
「ほかにも何かしてるかも、しれねぇなァ」
ええええ、と唸る。そんな様子にキアティスは笑うだけだ。
まぁなるようになるだろう、と。