「ご気分を害してしまったら、すみません……あの、先生の声はとても素敵な声なので…聞いているととても心地良くて………いえ、何でもないです!すみませんでした!」

立ち上がって深々と頭を下げる千鶴を面食らったように土方は見つめていたが、やがていつも通りの表情になる。

「……雪村」

「は、はい…?」

おずおずと土方を見上げる千鶴に土方は一言、こう言った。

「放課後、国語科の資料室まで来い。以上、今日の授業はここまで」

ちょうど終業のチャイムが鳴り、土方は教科書などの荷物を持って教室を出て行った。
ドアが閉められると同時にクラス全員が深く息をつく。

(国語科の資料室って、あの……!?)

けれど、千鶴だけはただ一人ぐるぐると思い悩んでいた。
国語科の資料室。
それは、土方が根城にしている場所であり校則に反した生徒に対して教育的指導を行う――いわゆる"説教部屋"だ。






放課後、資料室の前に立った千鶴は深呼吸をする。

「……土方先生、雪村です」

ノックと共に声をかけると「入れ」と素っ気ない返事が返ってくる。

「失礼します」

中に入ると、窓に寄りかかるようにして外を見つめ煙草を吸っていた土方がこちらを向いた。

「…………」

「…………」

どちらとも何も言わず、ただ時計の音だけが響く。

(原田先生は大丈夫だって言ってたけど……き、緊張する…!土方先生かなり怒ってたみたいだし…)



* * *




「お、千鶴どうした?顔色悪いぞ」

「原田先生……」

「もしかしてさっきのことで土方さんに何か言われたのか?…かなり怒ってたなーあの人。平助が青くなってたぜ」

口ではそう言いながらも原田の顔はどこか楽しそうだ。

「先生、笑い事じゃないです…!」

「なんだ、資料室に呼び出しくらったか?……ああ、千鶴だったら大丈夫だ心配すんなって。土方さんは確かに厳しいし説教くさいけどな、筋の通らねえことする人じゃねえからよ」




* * *




帰りのHRで原田が言っていたことを思い出してみるが、土方が何も言わないのでとても気まずい。

(先生なんであんなに楽しそうだったんだろう?)

「雪村」

「はいっ」

千鶴が飛び上がりそうなほど驚いた。

「……なんだよ、何もしやしねえよ。もしかして"鬼の説教部屋"だから緊張してんのか?」

苦笑する土方に千鶴は何も言えずうつむいてしまう。
沈黙を肯定と受け取った土方はまた苦笑する。

「…まったく、お前は本当に素直だな」

根が素直な彼女は嘘がうまくない。お世辞すら満足に言えない人間であることは幼なじみの平助でなくとも皆知っていた。
彼女の言葉は全て心からのものだと、土方も知っている。

「…………だから、困るんだ」

言葉の意味は千鶴にはよくわからなかったが、土方が困ったように笑うその顔はやっぱり優しくて胸を締めつけた。

「雪村」

「は、はい」

「お前、平助と付き合ってんのか?」

土方の突然の言葉に千鶴の大きな目が更に大きく見開かれる。

「付き合っ……!?違います!平助くんは、そんな関係じゃなくてその……きょうだいじゃないけど、友達でもないというか……大切な幼なじみです」

「そうか」

「はい」

少し考える素振りを見せた後、土方は口の端に笑みを乗せた。

「授業中の居眠りと授業妨害の罰としてお前は明日から資料室の掃除当番決定」

「ええっ!?」

「何か文句あるか?」

「いえ、ありません…」

「原田にも伝えておく。話は以上だ、さっさと部活に行け」

何だかとんでもないことになってしまったようだ。
困惑しながらも千鶴は言われた通り資料室を出ようとする。

「ああ、最後に一つ言い忘れた」

千鶴の背中に土方が声をかける。

「明日からよろしくな、千鶴」

「……!はい!」

満面の笑みで資料室を後にした千鶴は廊下を歩きながら土方の言葉を思い返す。

(千鶴、って呼んだよね?今)

父の綱道や実の兄である薫を除くと、千鶴を下の名前で呼び捨てにするのは今のところ平助と原田だ。
だが、その二人とは呼ばれた時の気持ちが全く違う。
だんだん顔が熱くなってきて、千鶴は思わず走り出した。





「……生徒のプライベートを気にするなんざ、俺もヤキが回ったもんだ」

ため息まじりの自嘲めいた苦笑が淡く響いた。

「…そういえば声をほめられたのは、初めてだな」

頬を真っ赤に染めて言葉を紡ぐ彼女に特別な感情を抱いてしまうのは、許されることだろうか。

(俺は自分がもう少し理性的な人間だと思ってたんだがな)

あんな些細なことを理由に罰など、まったくもって大人気ない。
そう自嘲しながら土方は、最近また本数が増えた煙草に火をつけた。



俺の授業で寝てんじゃねえよ


101021 title:瞑目


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