一族で静かに暮らしていたならば、彼女が刀を持つことなどおそらく一生なかったはずだ。
もしかしたら、数多の人々を救う医者になっていたかも知れない。
そんな未来を潰したのは、人間たち以外の何者でもない。
「それから……まだ君のことを聞いていない。君が…志麻が何を抱えて何を考え、何を思っているのか。全部聞かせてほしい」
そこかしこに骸が転がる血なまぐさい場所では雰囲気も何もあったものではないが、山崎は思いを伝えるのに一生懸命だった。
「君のことを、もっと知りたいんだ」
◇
気がつくと羅刹のほとんどは灰になっていた。
それは風に吹かれて流されていってしまったが、志麻は残った灰をかき集め、灰にならなかった全ての羅刹と共に森の中に埋葬した。
「……あたしが初めて人を殺めたのは、三年前」
羅刹たちの墓の前にしゃがみ込み、志麻は語り出す。
紡ぐ言葉は木々が風に揺れる音に混じって消えていく。
「たまに迷い込んでくる人間がいるって言ってたでしょう?……その全員がまともな人間とは限らないのよね。女がこんな、人の気配もないところにいるとろくでもない考えを起こす輩もいる」
「…………」
「あたしはその時ちょうど薬草を取りに行ってたの。そこで男二人に襲われて、怖くて恐ろしくて……気づいたら近くにあった鉈でその二人をめちゃくちゃにしてた」
それが志麻が鬼として覚醒した瞬間だった。
「……だけど一番恐ろしかったのは、人を殺めて返り血を浴びた自分が笑ってることに気づいた時」
罪悪感の裏に隠れた愉悦と快楽の感情に、愛した故郷と人々を奪い蹂躙した人間をこんなにも憎んでいたのだと気づいてしまった。
「……そのあとくらいから兄様が少しおかしくなった。誰かに頻繁に会って、何かの研究に没頭してるみたいだった」
妹の姿に兄が何を思ったかはわからない。
だが、志麻よりも年長の彼は東国の鬼の滅亡を強く覚えており復讐心に火がついたようだった。
「そして、姿を現したのがさっきの――南雲薫と雪村綱道」
「綱道さんということは……研究していたのは変若水か」
「そう。兄様は、変若水で鬼そのものを強く出来ないか、そう考えていたみたい」
そして山崎は話の核心に触れる。
「なぜ、そんなことを?」
「……薫と綱道は変若水を使って血脈の薄い鬼を強化し…人間を羅刹に作り替えて、この国を鬼と羅刹の国にするつもりなの」
「なんだって……!?」
恐ろしい計画を志麻は語る。
欧米の列強と並ぶ、強い軍隊を持った国。それを薫たちは鬼と羅刹によって作り出そうとしているのだという。
「あいつは雪村の家を再興して――人間を排除し、人間たちに虐げられ続けた鬼の居場所を作ろうとしてる。その変若水の実験台として兄様に目をつけたのよ」
「君の兄上は……」
「兄様はね。鬼を変若水で強化するにはいったいどれほどの濃度が必要か、その実験台として変若水を飲んだわ。あたしとじい様の目の前で!」
志麻の肩が小刻みに震えている。
その手はきつく握りしめられて指が白くなっていた。
「兄様はいつも優しかった。いつも笑顔で、あたしに薬草の名前を一つ一つ教えてくれた。まだ小さかったあたしが泣けばすぐに走ってきてなぐさめてくれた。いつもじい様を手伝って、足の悪かったじい様をおぶって村との行き来をしてた。そんな兄様が、あたしやじい様のこともわからなくなって……血に狂った化物になった。じい様はあたしを庇って兄様に殺されたの。そしてあたしは………兄様を斬ったわ」
命が消えゆく瞬間に兄は自分を取り戻した。
そして。
「殺してくれてありがとう、それから……ごめんって言ったの。自分のせいであたしを一人にしてしまう、って」
――もしも兄が薫と出会わなかったら。
もしも自分があんなことにならなかったら。
もしも人間が鬼を滅ぼさなかったら。
そんな、「もしも」が積み重なって。
彼女はここから動けなくなってしまった。
「二人が死んでからはずっと、二人の仕事を引き継いで暮らしてきた。……そのうちに、迷い込んだ男を喰らっているだとか気が触れているとか噂がたって“山姫”なんて呼ばれてたわ」
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