「……二人、かな。一人は小柄…」
生い茂る草を踏みわけてゆっくり近づいてくる足音は山崎の耳にも届いたが、聞き分けまでは出来ない。
長年にわたる森での生活で志麻の五感は常人よりも研ぎ澄まされているようだ。
「いずれにせよ、歓迎できるお客さんではないみたい」
そう志麻がつぶやいた時だった。
「志麻、いるんだろう?」
「……!!」
不躾な来訪を告げる声に志麻の体がこわばる。
「……なん、で」
「志麻くん?大丈夫か」
かたかたと震える彼女の手を山崎は咄嗟に掴んでいた。
「志麻、入るよ」
返事を待たずに戸を開け、入ってきたその人物を見て山崎は目を見開く。
「……雪、村…くん?」
否。
よく似ているが違う、この人物は。
「あれ?…お前……新選組の、土方の犬じゃないか」
そう言って、酷薄な嘲笑を浮かべたのは。
「……南雲、薫…!」
忌々しそうにつぶやいたのは志麻だった。
「なんだよ、そんな顔するなよ。こんな深山の森の奥までわざわざ来てやったのにさあ」
沖田と共に別れた彼女によく似たその顔は、三条制札事件の際に現れたという人物に違いなかった。
「久しぶりに会ったっていうのに、その態度はないんじゃない?仮にも雪村は東の鬼の元締めだろ」
「………あなたは、もう土佐の南雲家の者でしょう」
「…ああ、そうだよ。南雲は俺が死ぬほど大嫌いな、生きるために人間なんかに手を貸した大馬鹿の集まりさ。だから俺は雪村の家を再興して南雲も、風間も。西の鬼も人間も全部ぶっ潰してやるんだ」
その酷薄な笑みは、一体誰に向けられたものか。
「何しに来たの」
声を荒げる志麻には構いもせず薫は告げる。
「…お前を迎えにさ。俺は、雪村を再興する。人間たちを全て踏みにじって、羅刹と鬼だけの国を作るんだよ。血脈の薄い鬼も、変若水を飲めば鬼としての力を手に入れられる」
薫の唇が弧を描く。
「お前の兄はそれを、家の再興を望んだんじゃないか」
その言葉に志麻が激昂した。
薫をにらみつけ、手は爪が食い込むほど握りしめられている。
「…そう言って兄さまを殺したのはあんたじゃないかっ!!」
「何を言っている、殺したのはお前だろう?」
悪びれもせず、ただ淡々と。
それでいて愉悦の表情を浮かべて告げられた言葉に山崎が息をのむ。
「山姫なんて呼ばれているのは勿体無いよ。俺たちはあんな狐狸変化とは違う、人間なんかよりもずっと崇高なんだ」
「……あたしは、山姫なんかで充分よ。雪村が滅んだあの時にあたしも死んだはずなの。今ここにいるあたしは、ただの残照。ここで静かに朽ちていくべき者よ」
「……お前も、俺を否定するのか」
嘲るような表情の奥に寂しさが浮かぶ。
「…じゃあ、お前はここで死ぬといい。その死に損ないの新選組の犬と一緒にね」
戦装束の外套の裾を翻して薫は家を出ていく。
「おじさん、あいつらの実験台にしてみれば?羅刹が鬼に対してどこまで戦えるか、見てみたいでしょう」
「ああ、それはいい考えだ。昼間にどれだけ戦えるのか、確かめてみたかったからね」
それまで家の外にいたもう一人の声に山崎の目が見開かれた。
「綱道さん……!?まさか、まだ羅刹を作り続けていたのか!」
急いで起き上がり、刀を取る。
だが脇腹の傷がじくりと痛み、そのまま山崎は膝をついた。
「くそっ……満足に動けもしないのか、俺の体は…!」
「……烝さんは、動いちゃ駄目。絶対に、無理しないで」
山崎の手から刀を取り、志麻は入口へと向かう。
「志麻くん!?駄目だ、一人で戦うなんて…っ!やめろ志麻!……志麻っ!」
山崎が必死に呼ぶが、志麻は振り返りもしない。
ただ、山崎の悔しさの滲んだ叫びだけがそこに残された。
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