――あの出逢いから約一年。
ランスさんは、よく私の家へ訪れるようになった。勿論、ゴルバットの毛繕いの為だ。彼はもう一匹マタドガスを持っているらしいのだが、まだお目に掛かったことはない。さすがに、設備の整っていない一般のマンションで、毒ガスが充満したら死んでしまう。

彼が家に来るのは不定期。しかし決まって夜に訪れ、朝に帰っていく。

仕事でしか人と関わりのない私も、ランスさんの前ではとても自然に笑えるようになった。そうして笑うのは、故郷に住んでいた頃、幼なじみと笑い合っていた時以来かも知れない。

ランスさんが泊まれば、必然的に私は料理を作るようになった。今まで一人暮らしだったから、全部フレンドリーショップの惣菜やら弁当やらで済ましていたのだが、客人にそんな物を出すわけにはいかない。

汚い部屋を晒すのが嫌で、小まめに掃除もしたし、彼が訪れては洗濯物を置いていくので、洗濯の知識も増えた。女性物と男性物の違いに驚いたのは、もう昔の話。

ランスさんが訪れる時は、必ずポケギアに連絡が入る。
「今晩は空いていますか?」電話越し、そう聞かれるのを楽しみにしている自分に、驚いた。

"恋愛なんてわからない"。
そう思っていた私なのに、いつの間にか、ランスさんをそういう対象として見てしまっていたらしいのだ。

ランスさんは私の仕事を知っているけれど、私は彼の仕事を知らない。尋ねたこともない。
時折、傷付いているゴルバット。傷は完治していたが、跡が残る程の怪我をしたのだろう。
ランスさん自身の綺麗な手にも、目を凝らせば傷痕がある。毎回長袖のシャツにスラックスなので、確かめたことはないが、体中傷痕だらけに違いないと思う。

――きっと、何か危険な仕事をしているのだろう。

それがわかっても、私にランスさんの訪問を拒むことは出来なかった。相棒のロコンが懐いているから、なんて建前を言いつつ、本心は私が来てほしいからだ。
詮索すれば、彼はきっともう来てくれなくなる。まだそこまで長い付き合いというわけではないけれど、きっと彼は、そうされることが嫌いだから。

――思えばきっと、料理や洗濯、掃除も、彼の為に覚えたのだ。
嫌われたくない、失望されたくないという思いが、まだ"恋心"を自覚していなかった私にそうさせた。

今日も鳴らないポケギア。
彼だけ着信音を変えているのは、私だけの秘密。
すっかり恋する乙女だな、なんて、自嘲する。

「会いたいなぁ・・・」

本人には、決して言えないけれど。迷惑だというのは、百も承知だ。

会いたくて、でも会えなくて、静かにテーブルへ佇むポケギアを見つめるだけの私。

会いたくて堪らない。
不定期に訪れ、帰宅する彼の背中を見ては、「行かないで」と思ってしまう。
「傍にいて欲しい」と願ってしまう。

「・・・少しで、いいの」

私に、振り向いてください。

いつの間にか、こんなに嵌まってしまっていた。
いつの間にか、よく知りもしない彼を愛してしまっていた。

きっと彼は、気付いていない。
私のささやかな――片思い。

始まりがあれば、必ず終わりというものは来る。
不定期に訪れる彼は、音沙汰もなしにいなくなってしまうのだろう。
私はただ、彼のゴルバットの毛繕いをするだけの存在なのだから。

その終焉を思うと、胸が「キュッ」と、締め付けられるように痛む。そんな胸を押さえたら、更に痛みが増した気がした。

「・・・今の私を見たら、レッドとグリーンは鼻で笑いそうだね」

心配そうに私を見上げるロコンが、「きゅう」と切なげな声を上げる。

「・・・マサラに、帰ろうか」

どうせ、私はフリーのブリーダーだ。コガネに留まる理由はない。空を飛べるポケモンを捕まえれば、何処へだって出張できる。
それは前々から考えていたことなのだけれど、行動に移せなかったのは――ランスさんと会えなくなるからだ。
彼の予約は突然だから、早々出向けはしない。カントーとジョウトは距離がある。

少しでも、彼の思い出の一部になれれば、それでいいじゃないか。
どうせ報われない恋だったのだ。彼はとても素敵な人だから、言わないだけで恋人だっているだろう。
私に、危険だと思われる"彼が生きる世界"へ、干渉する権利は、ないのだから。私では、駄目なのだから。

「・・・最後くらい、笑って「今までありがとう」って・・・言えるかな」

ふと、ロコンが私の頬を舐めた。いつものように甘えるような感じではなく、とても切なげに。

そして私は、視界が滲んでいることに気が付いた。
――泣いてた、みたいだ。

自覚すると、それはとめどなく溢れてくる。
ぽろり、ぽろり、私の感情が具現化したみたいに、止まらない。

鳴らないポケギアをロコンごと抱き寄せると、更に涙が溢れた。必死に嗚咽を我慢するけど、今は「大丈夫だよ」って笑うことができない。

次に彼が来たとき、きちんと告げよう。
「故郷に帰りますね」と、彼の思い出だけ胸に刻んで、淡くて深い片思いとサヨナラするのだ。


「・・・名前?」


その時、幻聴が聞こえた。
彼が恋しすぎて、頭がおかしくなってしまったのだろうか。これでは、先が思いやられる。マサラに帰っても、暫くは彼を忘れられそうにない。

「・・・泣いているのですか?」

今度は、はっきりとその声が聞こえた。

「・・・ランス、さん?」

思わず問い掛けると、彼は「はい」と返事をする。

「な、なんで・・・いるんですか・・・電話・・・」

ランスさんは、部屋のリビングのドアノブを握ったまま、固まっている。そして「ああ・・・」と漏らすと、

「かけようとしたのですが、ポケギアの充電が切れてしまったんですよ。失礼ながら勝手に訪問させて頂いたのですが・・・女性が鍵も掛けずにいるとは、感心できませんね」

ならばインターフォンを鳴らせば良かったのではないかと思ったのだが、そのインターフォンが壊れていることを思い出した。

「それで・・・どうして泣いていらっしゃったのです?職場で嫌なことでもありましたか?」

貴方のせいです。だなんて、口が裂けても言えない。

「そんなところです・・・」

そう答えた私に、ランスさんは、鼻で笑う。人を小馬鹿にしたような、笑い方。今まで何度それを目にしてもときめいてしまうのは、恋する女のフィルターが私の目にも掛かっている証拠だ。

「私に嘘をつくだなんて、良い度胸ですね。名前?」
「え・・・」
「大方、失恋でもしたのでしょう?職場で嫌なことがあった時の泣き方とは、随分違う」

貴方に失恋したんです。という言葉は、必死に飲み込んだ。

私は、彼の前で泣いたことはない。だから、彼にそんなことがわかる筈がない。余程怪訝そうな表情をしていたのか、彼はソファにうずくまる私の隣へ腰掛けた。

「私は、職場では上の立場です。何度も部下を泣かせてきました。そのくらいの違いならわかります」
「そ・・・なんです、か・・・」

ランスさんは、私にも、私のロコンにも、とても優しい。部下を泣かせるランスさんが全く想像できなかったが、当初出逢った時のゴルバットの様子を思い出し、少し納得してしまった。

「・・・それで、貴女を泣かせた不届きな輩は誰なんですか?」

だから、貴方です。勿論、そんなことも言えない。
壊れ物を扱うように、私の頭を撫でてくれるランスさんの優しさがイタイ。

貴方が恋しくて
貴方が愛しくて
手の届かない相手だとわかっていながら恋をして
無理だとわかっていながらも、少しでも振り向いてくれたならば。

・・・そんなことを望んでしまう自分の愚かさが、惨めで、悲しかったんです。

「・・・し、つれんじゃ・・・ないですよ。ただ、故郷に帰ろうと、思って・・・コガネを離れるのが、寂し、くて・・・泣いてしまった、だけ、です」

必死に取り繕った言い訳という名前の、虚言。マサラに帰ろうと思っていたのは、本当だけど。
ランスさんの手の平が、私の頭の上で静止した。

「・・・帰るのですか?」
「その・・・つもり、です」
「戻って来る気は?」
「依頼があれば・・・コガネに来ることもあると思います」

ランスさんは、何かを考えているようだった。真っ赤になっているだろう目を見られたくなくて、私は顔を上げることができなかったけれど、雰囲気的に、考えているのだろうと理解する。

「・・・では、私の方が失恋のようですね」
「・・・・・・・・・・・・はい?」

私は、難聴になってしまったのかと思った。

「本当は、計画が全て終了してから告げるつもりだったのですが」
「え?」

ランスさんの暴露話に、私は驚きの連続だった。
実は、犯罪組織"ロケット団"の幹部であること。そこでは、自他共に認める"冷酷"という二つ名までついていること。ちなみに、出逢った時に酔い潰れていたのは、幹部の一人のお調子者らしい人に無理矢理飲まされて大変だったこと。

「・・・私に恐怖を感じますか?」
「え?いや・・・全く」

そう言うと、ランスさんはクスクスと笑った。

「私の知っているランスさんは優しいですし・・・ロコンも懐いてるし・・・」

実感が沸かないというのが本音だが、ロケット団で"冷酷"と言われているらしいランスさんが、私やロコンに優しかったのは事実だ。
それにしても、犯罪組織のロケット団。しかも、幹部。危ない仕事をしているのだろうと予想はしていたが、予想以上に危ない仕事だ。
っていうか、

「ランスさんが失恋って・・・ランスさんみたいな素敵な方を振る人もいるんですね」

すると、ランスさんはため息を吐いた。

「名前・・・貴女は馬鹿なのか天然なのか鈍感なのか、私の理解の範疇を越えているようですね」
「え!な、失礼ですよ!」

思わず顔を上げてしまった先に見えたのは、ランスさんの綺麗なエメラルドグリーンの瞳。

「随分と泣いていたようですね。瞼が腫れてますよ」

そう言うと、ランスさんの顔がどんどん近づいて来る。思わず目を閉じると、瞼に柔らかな感触がした。
ランスさんの柔らかな唇が、私の瞼に触れたのだ。

「・・・もうすぐ、組織にとって非常に重要な計画が実行されます。計画が成功しても失敗しても・・・」

真剣な瞳に、私の喉は声を紡げない。

「貴女を奪いに来てもよろしいですか?」

また、涙が溢れてしまう。
でも、その涙は先程とは違い、とても温かい涙。

私はランスさんの胸の中で、ただひたすら、首を縦に振った。

「貴方に奪われたい」と、そう懇願するように。




バ イ バ イ
(私の片思い)





song by the Gazette
「これで良かったんです・・・」
2011.04.21
―――――――――――
悲恋ソングな筈なのに、無理矢理HAPPY ENDにしてしまいました。
片思いの切なさが現れているといいなぁ、と思います。
それにしても、ランスさまが偽者ですいません。






「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -