形を成すもの


アドルとキャンドルはニキータ村の再建をしている間、草原を越えた先にあるアガラの町の宿屋で寝泊まりをしていた。
キャンドルの知り合いが営んでいる為、融通を利かせてもらえている。

アドルもキャンドルも、あの戦いの最中であまりカシルと話すことはなかったが、カシルがクリュミケールの為に行動していたことは聞かされていた為、彼の今回の行動についてはすぐに頷けた。
レイラフォードでレイラの側に一ヶ月いたようだが、心ここにあらずの状態だったのだろうと二人は推測する。

ーー‥‥夜風が冷たい。
キャンドルはカシルと共にアガラの町へ向かった。アドルはもう少ししてから戻ると言い、クリュミケールとよく過ごした、ニキータ村が見渡せる小高い丘に立っていた。
ぼろぼろになってしまった村を改めて見つめ、アドルは息を吐く。

「父さん、母さん‥‥」

両親と幸せに暮らしていた日々を思い出し、胸が締め付けられた。
冷たい風が頬を撫でていく。

(クリュミケールさん‥‥リウス‥‥皆‥‥)

ニキータ村で共に過ごした人々の顔が浮かんで、寂しさが増してきた。
クリュミケールとリウスが後悔していたことを思い出す。

クリュミケールは自分のせいでニキータ村は襲われたのだと。
リウスはロナスの行為を黙認することしかできなかったと。

だが、二人が悪いわけではない。恨んだりなんかしない。
二人は、大切な友人で家族なのだから。
だから、帰って来てほしい。今すぐにでも会いたい。生きていると信じているから。

‥‥そろそろアガラの町に戻ろう、そう思った時、背後に人の気配を感じてゆっくりと振り返った。
アドルは目を丸くし、ぽかんと口を開ける。

それは、見覚えのある姿だった。

長い金の髪が風に揺れ、エメラルド色の瞳が宵闇に輝く。白いワンピースがふわりと靡いた。
その人は口を開き、

「ただいま、アドル」

そう言って、柔らかく微笑む。
自然と体が動き出し、アドルは一歩一歩その人に足を進めた。
その人の前に立ち止まり、その人の顔をじっと見つめる。アドルは頷き、

「お帰りなさい‥‥」

と、微笑みを返した。

ーー懐かしい‥‥そんな風に感じてしまう。その人は微笑んだままだ。でもそれは、知らない微笑みだった。

「‥‥連れて来てくれたんですね」

アドルはそう言い、その人は目を伏せる。

「ええ‥‥約束だから」

その人は腕に抱えていた小さな人形をアドルに手渡した。
アドルはそれを受け取り、人形の中に面影を見る。
すぐにわかった。これは、彼女なのだと。
力強く人形を抱き締め、ギュッと目を瞑る。

(お帰り‥‥お帰り、リウス‥‥ごめんね、側にいてあげられなくて‥‥ごめん‥‥)

心の中で、何度も言った。

「最期に頼みがあると‥‥必ず、あなたの所に届けてほしいと‥‥その子は、微笑んで言っていたわ」

その人の言葉にアドルはもう一度頷き、人形を見つめ、

(‥‥リウス。君は寂しくはなかったのかい?どんな思いで、笑っていたんだろう‥‥おれは、良かったのかな。あの場所に残らなくて、良かったのかな‥‥これで、良かったの?)

自責の念に駆られる。

『ありがとう、アドル‥‥そして、お母さんやニキータ村のこと、本当に‥‥ごめんなさい』

それが、彼女と交わした最後の言葉なのだ。最後まで、彼女は謝っていたのだ‥‥

『泣かないで、アドルには笑っててほしい‥‥カナリアという人形の偽りの日々‥‥誰にでも無邪気に明るく笑って、真っ直ぐなアドルの生き方が‥‥とても羨ましかった。アドルと話す度に、自分は生きているということが、伝わってきた』

その言葉と、初めて見たクリュミケールの涙が重なる。

(クリュミケールさんは‥‥こんな思いでいたのかな。こんな思いで‥‥泣かないと決意していたのかな‥‥なら、おれも‥‥泣くわけにはいかないよ。リウスはおれに、笑っていてほしいと言ったんだ‥‥)

アドルは顔を上げ、

「‥‥案内します。あなたが本当に話すべきは、おれじゃないから‥‥でも、リウスのこと、本当にありがとう」

そう言って優しく微笑み、ついてくるようにと促して歩き出す。

草木が夜風に揺られる中、二人は無言でアガラの町を目指した。

ーー静まり返ったアガラの町に着いてすぐ、自分とキャンドルが借りている宿屋へと向かい、ガチャリと部屋の扉を開ける。

「おっ、アドル、遅かったな!」

部屋に入ると、キャンドルが夕食の準備をしていた。作り終えた料理にラップをかけている最中のようだ。
彼の知人が経営する宿屋の為、調理室を使わない時間だけ特別に使っていいと許可を得ており、大体は毎日、キャンドルが食事を作ってくれている。

「ん?」

キャンドルは手を止め、アドルの腕に抱かれた人形を、そして、後ろに立つ人を見つめた。

「兄ちゃん、カシルさんは?」
「へっ?あっ‥‥ああ、ちょっと前に、外に出てくるって‥‥」

それを聞くと、アドルの後ろに立っていた人は飛び出すように駆け出し、宿から出て行く。

「おっ、おいアドル!ありゃあ、どういうことだ!?今のって‥‥」

困惑するキャンドルに、

「おれにもよくわからない。でも、あの人はただ、約束を守ってくれたんだと思う」

そう言って、リウスであった人形を見つめた。


◆◆◆◆◆

半ば、レイラに言われたからーーなのかもしれない。
レイラが言わなければ、恐らく自分はクリュミケールとの約束を守る為に彼女の側に居続けただろう。
ここに、アドル達の元に来たのはいいが、本当にこれで良かったのだろうかと、約束を破ることになるのではないかと、再びレイラを傷付けてしまったのではないかと、アガラの町を少し出た平原で、カシルは静かに夜空を見上げていた。

アガラの町に振り向くと、こちらに向かってくる人影が見える。
こんな時間に発つのは旅人か何かだろうと思い、特に気にすることなく町に戻ろうとした。

しかし、長い金の髪が宵闇に浮かぶ。見たことがある人だった。

思わず立ち止まってしまったカシルの方へと、その人は足を進めてくる。
そして、近くまで来ると立ち止まり、エメラルド色の目でカシルを見つめた。
だが、先にカシルが口を開き、

「君は‥‥リオラ、か」

その人をそう呼ぶ。
その人ーーリオラは視線を落とし、何も言わず立ち尽くしていた。

「‥‥君が目覚めたということは、やはり君が【見届ける者】の力とやらを使って世界を救ってくれたのか?」
「‥‥」

カシルからの質問にリオラは目を閉じ、

「クリュミケールがなぜ、私を目覚めさせたのかがわからない。私が目覚めた時、あの子の肉体に魂はなかった。私はね‥‥憎らしかったのよ?リオが、クリュミケールが!なのに‥‥あの子は私を目覚めさせた。私が世界を壊すかもしれないのに、命を懸けて私を目覚めさせた‥‥その真意が知りたかった。同情なのか、違うのか‥‥意味が、わからないの」

リオラは両手で自分の顔を覆い隠し、

「そんな理由よ‥‥そんな理由で、私は力を使った。でも‥‥紛い物の力じゃ足りなくて、たぶん‥‥最後はクリュミケールの力で世界は壊れなかった‥‥結局、私はなんだったの?なんの為に‥‥女神になんて作り替えられたの?」
「‥‥」

恐らく泣いているのであろう。肩を震わせる彼女を見つめ、

「ゆっくりでいいから聞かせてくれないか?君や不死鳥、彼女が何を成したのかを、わかる範囲で構わない」

カシルにそう言われ、リオラはカシル達が去った後、クリュミケール達が何を語り、何を成したのかを話した。
しかし、その後は本当に何も知らない。
水晶の中で眠っている間、リオラはクリュミケールの細胞と繋がり、クリュミケールが見る世界を共有していた。
しかし、目覚めてからは途切れた。
クリュミケールが死んだから?
それとも、神々は消滅し、【見届ける者】という存在自体がなくなったから?

リオラが知っているのは、魂のないクリュミケールの肉体、リウスと不死鳥の消滅‥‥

「これからは私として生きろと‥‥【見届ける者】なんて関係ないと‥‥」

立ち話もなんだと、平原に立つ岩に腰を掛け、カシルはリオラから経緯を聞いた。
リオラ自身、目覚めてからまだ、気持ちの整理がついていないのだろう。
言葉を詰まらせながら話している。

「‥‥君は世界を壊さなかった。なら、それが結果だ。彼女や不死鳥は君を信じた。君は、それに応えたんだ。なら、彼女が言ったように、もう何にも縛られなくていい。リオラとして、生きたらいいんだーーあいつに、会いたいんだろう?」

カシルの言葉に、リオラは最愛の人の姿を頭に描いた。

「‥‥会う、資格があるのかしら‥‥私のせいで、シュイアをずっと苦しめていた、縛り付けてしまっていた‥‥それに、カシル。あなたは、クリュミケールが好きなんでしょう?告白をしていたのを、見たから」

それに、カシルは気まずそうにリオラから視線を逸らす。確かに、ずっとクリュミケールを通して世界を見ていたと言っていたが、全部見られていたのかと改めて実感すると気恥ずかしさを感じてしまう。

「私のせいでクリュミケールは死んだのよ。なら、あなたは私が憎いでしょう?憎しみの連鎖は途切れないものね‥‥」

しかし、カシルは首を横に振り、

「そんなことはないさ。シュイアは根が真面目だからな。思い込んだら一直線だ。俺は、待つのに慣れているから。それに、君もたくさん苦しんだ‥‥シュイアも。ようやく苦しみから解放されたんだ。遅くなったが、残りの人生は‥‥思うように生きたらいいと思う」

リオラは唇を震わせ、今のカシルの言葉を何度も巡らせる。
彼は待っているのだ、クリュミケールの帰りを待っているのだ‥‥待つことが、できるのだ。
そして、何も憎んではいないーーそんな目をしているのだ。
思わず、リオラは隣に座るカシルに抱きつくと、彼の胸の中で啜り泣く。
カシルはそんな彼女の背中を軽く叩き、

「リオラ。君には俺の他に会うべき人がいるだろう?来る場所を間違えているぞ」
「っ‥‥ううっ‥‥目覚めたら、ニキータ村にいたの‥‥きっと、クリュミケールの意思ね。だから、アドルに、人形の女の子のことを伝えて‥‥あなたにも、伝えなきゃと思ったの‥‥クリュミケールの、最期を‥‥でも、違うのね、あなたは、信じて、いるのね‥‥ごめんなさい‥‥ごめ‥‥」

漏れ出た謝罪の言葉はカシルの手で軽く塞がれて、

「君は何も悪くない。君が笑ってくれたら、それでいい。彼女もそれを望んで‥‥君とシュイアの再会を望んでいるはずだ」

胸の中で泣き続ける彼女の体を支え、夜空に浮かぶ星を見上げる。

ーーシュイアが今、どこにいるのかはわからない。
だが、恐らく『楽園』があった跡地に足を運んでいるのではないだろうか。カシルはそう思っていた。
リオラにそれを伝えると、すぐにでも行ってみると言い、こんな深夜の為、ついていこうかと聞けば、

「もう、迷惑を掛けてばかりじゃいられないわ。あとは、私が解決する‥‥そして、シュイアとちゃんと話をするわ。クリュミケールの話も、する。あの子の見た世界しか私は知らないから。あの子のことを少しでも知って‥‥もし会えるのなら、それまでに、あの子を理解した状態で‥‥自分の中の答えを出して、クリュミケールに向き合いたい」

そう言って、一刻も早くスノウライナ大陸に向かう為、港町へ向かって行った。夜の便も出ている為、乗船するつもりなのだろう。

まるで、世間知らずだな‥‥そう感じ、しかし、見送った後にカシルはあることに気づいた。

(リオラは楽園の塔での生活しか知らない‥‥人並みの生活はしていなかっただろう。船など乗ったことがないはずだ。恐らく、彼女の見ていた光景で道なりだとか、船の存在を知っているだけ。それに‥‥当たり前だが手ぶらだった。金なんてないんじゃ‥‥)

数秒固まった末、カシルは慌てるように駆け出し、リオラの後を追う。
まだ遠くへは行っていなかった為、すぐにリオラの姿が見えた。カシルは声を掛けようとしたが‥‥足を止め、口を閉じる。

もはや、偶然などとは言えはしない。
運命、引き寄せられたーーそんな、類いだろう。

リオラもそれに気付き、立ち止まる。

草原には、漆黒の鎧を身に纏った剣士がいたのだから。

「っ‥‥ど、どうして」

疑問と、消え入りそうな声でリオラは聞いた。

「‥‥ニキータ村に、行く途中だった。フォードに立ち寄った時、フィレア達にニキータ村でアドルとキャンドルの二人が頑張っていると聞いてな‥‥俺も‥‥ニキータ村の件は止めることすらしなかったのだから」

剣士は、シュイアはそう答える。

しばらくの沈黙が流れた。
ずっと、何十年も、会いたかったはずなのに、お互い大切だったはずなのに‥‥
いきなりの再会に、一歩踏み出せない。

「シュ‥‥イア。あの、あのね、クリュミケールが‥‥不死鳥が、命を懸けて、私を」
「わかっている。お前のことは任せろと、必ず叩き起こして連れて帰ると‥‥リオは言っていた。本当に‥‥あの子は‥‥いつも約束を守るんだな」

そう言って、シュイアは寂しそうに笑う。

「リオラ‥‥俺は君に何もしてやれなかった。あの日、君を塔から連れ出したばかりに、君は死んでしまった‥‥君を救うために生きていたのに、何もしてやれなかった‥‥何十年も水晶の中で、独りにしてしまった」
「ううん‥‥連れ出してくれて、嬉しかったのよ。悪いのは私よ。あなたを何十年も縛り付けてしまった‥‥あなたは私の為に生きてくれた‥‥なのに、私は水晶の中で憎んでしまった。人間を、世界を、クリュミケールを‥‥」

そして‥‥と、リオラは俯き、

「私のせいで、あなたはたくさんの幸せを掴めなかった‥‥あなたを好いてくれる人がいたのに‥‥」
「俺は、お前が大切なんだ、何よりも。今も‥‥変わらない。だから、多くを切り捨てた、自分の意思で‥‥」

そう言いながら、シュイアはリオラの前に立ち、彼女を抱き締めた。あの日から再び、ようやく触れることができた。

「私、生きているのね‥‥まだ、生きている‥‥」

温もりに、リオラはそう実感して涙を流す。

「シュイア‥‥私、生きて‥‥いいのかしら‥‥だって、私の代わりに、クリュミケールが‥‥あなたの、大切な子が‥‥」

シュイアは強くリオラを抱き締め、

「リオが託してくれた未来だ。生きよう、リオラ‥‥お前がここにいる。それだけで、俺には再び生きる理由ができた。今度はもう、お前を失わない。最後まで、傍にいる‥‥そして、信じて待とう、リオを」

その言葉に、泣きじゃくりながらもリオラは何度も何度も頷いた。ふと、シュイアは平原を見渡すと、そこにはもう、カシルの姿はなかった。


◆◆◆◆◆

「あっ‥‥カシルさん!」

宿屋の一室にカシルが入って来た為、アドルは慌てるように椅子から立ち上がり、

「あのっ‥‥リオラさんが!」
「ああ、もう会った」

慌てるアドルをよそに、カシルは平然とした様子でアドルの向かいの椅子に座った。

「で、リオラはどうしたんだよ」

カシルが来た為、先程ラップ掛けした料理をテーブルに運びながらキャンドルが聞く。
すると、カシルはふんと鼻を鳴らし、

「‥‥バカ兄貴が偶然現れたからな。大丈夫だろ」
「バカ兄貴って‥‥」

それに、アドルとキャンドルはシュイアを思い浮かべ、なるほどなと理解した。

「ってか、不思議な感じだよな。俺とアドルはさ、あんまお前と接点なかったじゃん?いまいちまだ、お前のことよく知らねーし」

キャンドルが言えば、

「確かにー。じゃあ、これからいろいろ聞かないとだね!」

アドルが続ければ、カシルは嫌そうな顔をする。

「そんな顔すんなよなー!これから長い付き合いになりそうじゃん?お互いを知るってのは大事だぜ!もちろんこのキャンドル様がニキータ村を出てから何をしていたかも聞かせてやろうーー‥‥まあ、何はともあれ晩飯が先だな!」

言いながら、テーブルに食事を運び終え、キャンドルはアドルの隣に座った。

「うーん、おれは何を話そうかな」

アドルは真剣に話題を探しながらスプーンを手にする。
アドルとキャンドルが目の前で賑やかに話していて、気付けば当たり前のように食卓を囲んでいるこの状況。
きっと、クリュミケールもそうだったのだろうなとカシルは思う。

アドルとキャンドル。
この二人は無自覚にこうして、赤の他人を受け入れるのだろう。
だからこそ、リオは、クリュミケールは、変われたのだろう。
一人で生きることをやめて、アドルの側で五年も暮らしていたのだろう。

カシルはコートのポケットから青の輝きを失っていない約束の石を取り出す。

『これは【約束の石】と言って、願いが叶うと言われているお守りなんだ。いつか、君に何か願い事があれば、その石に願うといい』


◆◆◆◆◆

「‥‥」

人々が寝静まった夜の街。
形は変われど、昔から変わらずにフォード国はここにある。
始まりの地であり、終わりの地だ。

しかし歴史は進み、レイラフォードだなんて、現在の女王の名前を取った国となる。
しかもそれを名付けたのは‥‥過去の英雄の残骸ーー否、忘れ形見の神様の女の子なのだ。

因果応報‥‥彼らの想いは、こんな時代に形を成し、報われた。

「いやはや。切り捨てなかったんですね、結局」

にやついた声。しかし、振り向かずにフォード城を見つめ続けた。

「しかし、さびしいものですねぇ。【紅の魔術師】と呼ばれた僕も、もう魔術が使えないんですから」
「ふん‥‥それもまた、因果応報だ。普通の人間として、普通に死ねばいいさ、紅‥‥」

夜風に銀の髪を靡かせて、ラズは【紅の魔術師】と名乗った男、クナイに振り向く。

「はは。君ならわかるだろう?たとえ魔術がなくなっても、僕らの体は‥‥まあ、こんな話はいいです。妖精王様はこれからどうなさるおつもりで?」
「‥‥何も。私の中の同族の魂は解放された。もう、憎しみの輪廻は無くなり、私には‥‥とうとう何もなくなった。その瞬間、妖精は、ザメシアは死んだんだ‥‥こんな、残骸だけを残してな」

そう言って、ラズはその背に透明の翼を羽ばたかせた。翼だけが残り、魔力なんてものはもはやない。
自分はただの人間に羽がはえた、ただのバケモノだとラズは言い放つ。

「‥‥バケモノを前にバケモノの宣言ですか。はは、君はバケモノなんかじゃありませんよ、ザメシア。どれだけ血肉を浴び、汚され、尊厳を奪われても、こんなにも美しいままですし、ね?」

クナイのその言葉に、ラズは金の目を鋭く光らせて彼を睨み付けた。

「お前は小さな王の名を委ねられた。クナイ王の。そして、フォードの歴史を見守ることを託された。それきり、お前が何をしていたかなどは知らない。力を弱体化させられた私も人の世にまぎれ、創造神や女神達へ復讐すべく、ただの子供として身を隠していたのだからな‥‥だから咎めるつもりはない。だが、私は今でもお前が憎い。妖精族惨殺の首謀者であり‥‥ザメシアを陥れたお前がな」

口調を強め、ラズは泣きそうな顔でクナイーー紅の魔術師を見る。それに彼はわかっていますよと頷き、

「実はこんな僕にもね‥‥オトモダチ、なんてものが出来たんですよ。わけあって、失ってしまったんですけどね。だから、少しわかったんです。君達が何を必死に叫んでいたのか、何を必死に守ろうとしていたのか‥‥それを奪ったのがこの僕です」

紅の魔術師はにこっと笑い、ラズの前まで歩くと、彼の体を包み込むように抱き締める。

「だから、わかったんです。もう、この時代には僕と君しかいない。過去の残骸は散らばっているけれど、形を成しているのは僕と君だけ。だからこそ余計に君を‥‥」

ラズの体がぎこちなく固まっていることに気付いた。かつての王としての振る舞いをしていても、怯えは消えないのだろう。
紅の魔術師はクスッと笑い、ラズの体を離す。

「僕はもう何もしませんよ。もう、君を傷付けることも陥れることもしない。神々の物語は全部‥‥この時代で終わったのだから」
「‥‥そうだ。終わったんだ。だから、私とお前はもうなんの関係もない。もう私に関わ‥‥」

ぶわっ‥‥と、ラズの言葉を遮るように強い風が吹いた。

「まだ少し、僕にはやるべきことがあるんです。大事なオトモダチの為に。だから、本当に全てが終わったら‥‥僕が大事なものを取り戻せたら‥‥君のもとに帰って来ます。君を一人さみしく死なせるつもりはありませんから」

そう言って、紅の魔術師は唇を軽く重ね、始まりと終わりの国から去っていった。
取り残されたかつての妖精王は自身の唇をごしごしと腕で拭い、

「‥‥相変わらず気持ち悪い奴だな」

うんざりするような顔でそう言った。
紅の魔術師の真意はわからない。なぜ、用済みになった今でも自分に執着しているのかがわからない。

(罪の意識か?いや‥‥奴に限ってそんなものはないはずだ。だが、奴の言う通りか‥‥もう、私達二人以外、誰も‥‥いなくなった)

結局、生き残ってしまった。
そう思うと心が痛む。
かつて誰かが言っていた。

ーー生きてください、ザメシア様。
ーー死ぬな、ザメシア。


人々は遠い昔に何かを成し、今でもそれを背負って生きている。
何百年も前からの者もいれば、何十年も前、何年も前、昨日だとか、今日だとか。

過去を背負いながらも、それぞれがそれぞれの時間を新しく進み出していく。
未来へと向けて。


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