明朝、船は港に着いた。
船を降りてからすぐに前を見ると、大きな城が遠目ではあるが姿を見せていた。

(あれがフォード城か)

ロファースはそう確信する。
小さな港の為、特に目ぼしいものもなく、フォード港をすぐに出て真っ先にその城の見える方向へと向かう。
だだっ広い平原が広がっていて、城の姿は見えるのだが、道程は長そうだ。
彼の中には今、初めてエウルドス以外の国を訪れる期待感と、好奇心のようなものが溢れている。
歩きながら、いつもとは違う景色を見るのもなんだか楽しめた。

(‥‥もう何年も、毎日毎日、エウルドスに居て、教会に居て、剣の鍛練ばかりしてたからなぁ)

今までは毎日欠かすことなく剣の鍛練に励んでいた。
ただ、護りたいものの為に。少しでも早く、護る力を得る為に。
だが結局、自分にはそんなことは無理だった。
戦いが何よりも嫌いなんだと知ってしまったからだ。
それに、中途半端な決意だったのだ。明確に守りたいものが定まらないまま、剣を手にしていたのだから‥‥

ーー剣を持つことだけが守るということではない。

神父の言葉を思い出し、それを胸に刻む。


◆◆◆◆◆

しばらく歩いた後にようやく足を踏み入れたフォード国の城下町は、エウルドス王国に負けず劣らずの規模と賑わいを見せていた。
ロファースはキョロキョロと辺りを見回しながら街中を進む。

(来たはいいけど、さて‥‥どうしたものかな)

エウルドス王国を離れた理由は、エウルドス以外の国を見るためーーという名目だ。
エウルドス王国のやり方に疑問を抱いたから。

ならば、他の国はどうだろうと、それを見極めたいと。
しかし実際に他国に訪れてはみたが、何をどう見極めたらいいのかとロファースは悩む。

勢いだけで飛び出してしまったーーこれではまるで、急な思い付きで行動してしまっただけだなとロファースはため息を吐いた。

ふと、間近に迫ったフォード城を見上げる。
ちょうど城の真上に陽が昇り、その光で眩く城が照らされていた。

「綺麗でしょう?」

ーー不意に。
後ろから声を掛けられて、ロファースはビクッと肩を揺らした。声の方に振り向けば、真っ黒なフードを顔が隠れるまですっぽりと被った、いかにも怪しげな男が立っていた。

「僕はこの城が‥‥いや、フォード国と共に移り行く景色を見るのが好きなんですよ」

フードの男がいきなりそう話す為、「は、はぁ」と、どう返したものかとロファースは曖昧に頷く。

「君はフォード国の人間ではないですよね。観光ですか?」
「えーっと、まあ、そんな、ところです」

ロファースはぎこちなく返し、

「緊張してるんですか?それとも怪しんで?」

フードの男は笑いながら言った。顔は見えないが口元は見える。

(‥‥どちらかと言えば後者かな。失礼だけど、真っ昼間からそんな格好してたら見るからに怪しい)

口には出さず、そう思う。

「君が何をしに来たのかは知りませんがーーフォード国の城下町はなかなか見て回る価値のある場所ばかりですよ。観光にはうってつけです。そして」

男は一度言葉を区切り、

「ここから少し離れた場所にとても見晴らしの良い場所があるんです。緩い崖の頂上ですけどね。そこは是非訪れるべきですよ。昔は観光名所だったんですけど、今ではさっぱり忘れられた場所で、今は僕だけの秘密の場所です」
「秘密の場所?秘密なのに言っちゃうんですか?」

ロファースは首を傾げた。すると男はクスクスと笑い、

「君に運命を感じたんですよ、ええと」
「ろ、ロファースです」

ひきつった顔をしながらもロファースは名乗った。すると、男は小さく頷き、

「ロファース君‥‥ですか。良い名前ですね」
「はぁ、ありがとうございます」
「ああ、引き止めてしまいましたね」

と、男はようやく解放してくれそうだ。

「また機会があれば会えたらいいですね。僕はこの国の一部みたいな者ですから」
「え?一部?って‥‥あれ!?」

数秒目を離しただけだというのに、フードの男の姿は忽然と消えていて、

(なっ‥‥なんだったんだ、一体)

まあ、考えても仕方がないかと、もう一度だけフォード城を見上げ、気を取り直すように城下町を歩いた。

ーー街には当然、充分なほどに全ての店が並んでいて、宿屋に薬屋、食材屋、武具屋、飲食屋‥‥その類いの店がいくつもある。
エウルドス王国もそうであったが。

そんな風に綺麗な建物ばかりが並ぶ道を歩いていたが、薄暗い小道を見つけ、ロファースは足を止めた。何故だか興味が湧いてくる。
好奇心と言うものであろうか。迷いもせずに、足は小道を進んでいた。
意外にも小道は長く、進んで行くうちにようやく何らかの景色が見えてきたが‥‥

「えっ」

と、ロファースは小さく声を漏らす。
確かに、街ではあった。当たり前だ、フォード国の城下町から繋がっていたのだから。
だが‥‥ボロボロになった家、半壊しかけた家、そして何より‥‥痩せ細った人々。
光景に、ロファースは後ずさってしまう。

「‥‥あれ?珍しい‥‥貴族の方ですか?」

か細い声だった。
だけど、綺麗な声だった。
ロファースは掛けられた声の主に振り向き、

「えっ‥‥貴族?」

そう聞き返す。
自分に声を掛けたのは、歳の近そうな少女だった。

茶の短い髪をし、薄汚れた白が基調となったワンピースを身にまとっている。片腕には造花や小物の入ったボロボロにほつれた手提げ鞄を下げている。
髪の色と同じ茶色の瞳が、少し不安気にロファースを見つめていた。

「いや‥‥俺は貴族じゃなくて、旅人って言うか‥‥」

なんと説明したものかとロファースが口ごもると、

「旅人さんですか‥‥あの、じゃあここがどういった所かも知らないんですよね?」

ロファースが頷くと、慌てるように少女はロファースの腕を掴み、

「とりあえず私の家に来てください。貧困街以外の人が居ると、皆‥‥変な目であなたを見るだろうから、とりあえず来てください」
「え?貧困街?えっ、ちょっ、まっ‥‥!?」

少女はグイグイとロファースの腕を引っ張り、彼は戸惑うままついて行くしかない。

連れて来られた場所は一つの小さな家だが、やはり周囲と同じくボロ家だった。

「さ、中へどうぞ」

と、少女はロファースを招き入れる。
渋々と、言われるがままにロファースは中に入った。

中に入ると、普通の家とはどこか違うなと感じる。
必要最低限の家具類しか無い。いや、それすらも全て揃っているのかどうか微妙なところである。
殺風景と言っていいだろう。

「さ、どうぞ座って。椅子はないけれど」

少女がクスッと笑いながら言うので、ロファースは床に座り込む。ギシッ‥‥と、木材でできた床が軋んだ。その後で、少女もロファースの前方に座る。

「‥‥あなたは旅人さんだから仕方無いんだけど」

少女はいきなり、注意をするような口調で話し出し、

「あなたみたいな綺麗な格好をした人がここに来ちゃいけないの。皆、自分が惨めになっちゃうから。あなたは旅人さんだけど、ここには貴族を疎んでいる人がほとんどだから‥‥パッと見たら、誰だってあなたをフォード国の貴族だと思うわ。冷やかしに来たんだって思うわ。だから、ごめんなさい。ちょっと強引になっちゃったんですけど、あなたにその話をしておかなきゃと思って‥‥」

真剣な表情の後で、少女は柔らかく微笑む。

「‥‥あ。あの、なんで、その、ここは‥‥」

ロファースが何か聞きたそうな素振りを見せると、

「ここがなんなのか、気になるんですよね」

と、少女は察するように言い、

「見た通り、ここは貧乏人たちの暮らす場所。何百年も昔にフォードの王族の血筋は途絶えてしまったらしいの。昔は‥‥もっと豊かな国だったそうよ」

少女は小さく息を吐き、

「王族の血筋が途絶えてしまうーーそれはすなわち、国を統治する存在がいなくなるということ。何百年もの期間、フォード国を治める存在はいなくて、この国は衰退していったらしいわ」
「えっ?でも、今のこの国には確か‥‥王も女王もいますよね?」

ロファースは首を傾げる。

「そうよ。でもね、正統なフォードの血を持った人達ではないわ。時代を経て、いつの間にやら作り上げられた‥‥ただ、国を治める為だけの統治者みたいなものなの」

少女は立ち上がり、床に置いてある一冊の古びた歴史書を拾い上げ、

「いつの時代か詳しいことは明記されていない。調べていけば、だいたい何百年も前だと思うの。フォードの血筋が途絶えてしまったのはね。作り上げられてからの王と女王は最悪よ。統治の仕方が全然出来てない‥‥だから、国が二つに別れてしまったの」

再び少女はため息を吐き、

「民が国に治めるお金だって馬鹿みたいに高いし、払えなければ見捨てられる。誰も私たち貧乏人を救ってくれない。打ち捨てられた地、とでも言えばいいかしら。何十年も建物を建て直すことすらできないままよ。フォード国にとって、私達はいないような、ゴミのような存在なの‥‥ごめんなさい。なんだか、嫌なこと言っちゃって」

聞き終えたロファースは首を横に振り、

「ゴミだなんて、そんな‥‥俺は‥‥知らなかった。この国の裏側が、こんなことになっているだなんて‥‥噂話や表面だけを見て、普通の国なんだと、決めつけていた」

ロファースはそう言いながら視線を落とす。少女は俯くロファースの顔を覗き込み、

「そういえば、あなたの名前を聞いてなかった」
「‥‥あっ。俺は、俺はロファース」
「ロファース‥‥私はアイムよ」

二人は小さく微笑み合い、

「アイムさん‥‥あの、アイムさんはその、家族は‥‥」

ロファースが聞くと、

「アイムでいいわよ。私とあなた、歳も変わらないんじゃないかしら?家族は‥‥私のお父さんとお母さんはね、昔、病気で死んじゃったわ。私は一人っ子だから、他に家族は居ないの」
「じゃあ、ここに一人で?」
「ええ。でも、もう慣れた、と言うか、ここでの暮らしも一人で平気。みんな、良い人達ばかりだし。苦労を知っているからこそ、人に優しく出来る人達ばかりだから‥‥中には、心が折れて全てに無関心なったり、自暴自棄になってしまう人もいるけれど‥‥」

そう言って、アイムは深く息を吐いた。
ロファースはそんな彼女の、この地の境遇を聞き、申し訳ない気持ちになってしまい、再び視線を落とす。

「じゃあ、ロファースは?ロファースの家族は?あなたはどこから来た旅人さんなの?私、この国以外のことを知らないから、知りたいわ」

だが、アイムは明るい。明るい笑顔で、明るい声で話している。
だから、ロファースは素直に話した。

自分は幼い頃に戦争で両親を亡くしたことを。
だが、小さい頃だったので、両親の顔も何も微塵にも覚えていないことを。
教会に引き取られ、そこで暮らしていたことを。

エウルドスという国の話を。
その国で剣の修行に励み、騎士になったが、昨日騎士を辞めて、旅をすることにしたことを。

「ロファースも家族が居ないのね‥‥思い出も、ないのね」
「でも、神父様や他に引き取られた子達が俺の家族みたいなものだったからさ」

ロファースは苦笑し、

(‥‥それに、エウルドスは豊かだから‥‥たとえ孤児になったとしても、教会やどこかが引き取ってくれるし、この国のように貧困の差が出ることはなかった)

そう思うと、心苦しさを感じてしまい、アイムの顔をまともに見ることができなかった。すると、

「でも、どうしてロファースは騎士を辞めちゃったの?」

ーーと、痛いところを突かれたとロファースは苦笑し、

「‥‥んー。世界を見てみたかったんだ。俺はエウルドス王国しか知らなかったから。世界を見てみたかった‥‥うん‥‥そう、だな。ただ、それだけの、ちっぽけな理由で‥‥俺は、騎士を辞めたんだ」

ロファースは話さなかった。エウルドス王国に疑心の念を抱いていることを。
エウルドス王国が戦争でエモイト国にしたことを。
しかし、なんて自分勝手な理由なんだろうとロファースは思う。
アイムは‥‥貧困街の人々は国を出て自由に生きれないのに、自分は簡単に騎士を辞めて国から逃げ出してしまった。
自分には与えられた場所も立場もあったと言うのに‥‥
なんて身勝手で、ちっぽけな人間なんだと自嘲する。

「ううん、ちっぽけじゃないわ、とっても素敵よ。とても素敵な理由だと私は思うわ」
「え?」
「だって‥‥私なんか、ここでただ生きて、外の世界に出ようなんて思ったこともない。ここで生きて、ここで死んで、何事もなく、貧乏でも‥‥ただ、平凡に生きれたらそれでいいから。あなたのその理由が、私には大きく、輝いて見えるの」
「それ、は‥‥」

ーーそれは、仕方のないことじゃないか。
口にしてしまいそうになって、ロファースは唇を噛み締めた。
だが、不思議な少女だと思った。彼女の言葉は、生き方は、とても不思議に感じてしまう。
与えられた場所で、過酷な運命を受け入れて、笑って生きている。
だからこそ、こう口にしてしまった。

「あの、さ‥‥俺と、一緒に行かないか?」

ただ、彼女を憐れんでしまったのかもしれない。ただ、彼女はこんなところにいるべきではないと思う。
偏見かもしれない‥‥それでも、間違っているとロファースは感じてしまった。
アイムは思いもよらない彼の言葉に目を丸くした後で、

「一緒に‥‥?ふふ、ありがとう。でも、私だけここから逃げ出せないわ」

と、困ったように笑った。
出会って数十分しか経っていないが、彼女の答えはわかっていたというのにーー。

「あっ‥‥ごっ、ごめん!俺、なに言ってんだか‥‥」

そう言って、自分の身勝手な言動を恥じ、慌てて立ち上がる。

「もう行くの?お茶も出してないわ」
「いっ、いつまでもいたら悪いし‥‥」

なんだか恥ずかしくなって、ロファースは一刻も早くこの場から逃げ出したい気持ちになった。
それに、あまり長くここにいると、複雑な感情が溢れ、余計なことを口にしてしまいそうになる。

「あっ‥‥俺は貴族じゃないし、金持ちじゃないから少ないけど、良かったら、これ‥‥」

ロファースは手持ちの金を少しテーブルに置いた。アイムは瞬きを数回した後で首を大きく横に振り、

「ロファース!ダメよ、私、こんなの貰えないわ!同情なんてそんな‥‥嬉しくないわ!」

そう言って、置かれた金を返す為に手を伸ばそうとすると、その腕をロファースに掴まれ、

「違う、同情なんかしてないよ!」

そう声を上げる。

「じゃあ、これは何?私を不憫に思ったからじゃないの?」
「違う!君の生き方を俺はーー」
「私の生き方が何!?じゃあ、疑問に思わないの?私たち貧困街の人間がどうやって生計を立てているのかって!」

その言葉に、ロファースはアイムが持っていた手提げ鞄を思い出した。中には造花や小物ーー恐らく全て手作りであろう。それを売って生計を立てているのだろうかと、床に置かれた手提げ鞄を見つめる。その視線にアイムは頷いた。

「そう‥‥遠くには行けないから、毎日近隣に売りに行くの。もちろん、なかなか売れないわ。たまに、私達を憐れに思った人が買ってくれるだけ‥‥後は、力仕事をしたり、人が嫌がるような泥仕事。中には稼げるからって体を売って子供を生んで‥‥その子供を売る人もいるわ」

そこまで聞いたロファースは何も言えず、目を見開かせたまま立ち尽くし、言葉の続きを待つ。

「私にはそれは出来ない。貧しくても、体を売って、そして生まれた子を売るなんて、怖くてできないわ」

アイムは悲しげな表情で言うが、そのことに対する認識が『怖くてできない』だけなのだ。
ロファースからしたら、そんな生き方は信じられない。エウルドス王国では男は騎士となり、女性は国の中で仕事を営むことができるから。
わざわざ何かを作って毎日売りに行くだとか、ましてや‥‥
それに、いつかはアイムも自らの体を省みない生き方をしてしまうのではないだろうか。
出会ったばかりの自分に貧困街の境遇を教え、それでも明るい笑顔を向けてくれたこの少女の人生が穢れるのは、どうしても嫌だと感じてしまう。

「アイム‥‥俺は今日からたくさんの世界を見て回って、たくさんの知識を身に付けて‥‥いつかそんな日が来たなら‥‥貧困の差なんか無い、そんな世界を作りたい。君に同情したわけじゃない。俺の方こそ、君の生き方が大きく輝いて見えた。だから、君には待っていてほしい‥‥凄く、勝手な話だけど‥‥」
「‥‥」
「あっ‥‥いや、何を待っていてというか、その‥‥」

ロファースはごにょごにょと言葉を濁し、数秒、二人は見つめ合う形となる。しばらくして、口を開いたのはアイムの方だった。

「あなたが何を考えたかはわからないけど、私は一生、自分を売るようなことはしないわ。私の両親は、毎日毎日働き続けて病にかかって死んでしまったけど、決して私を見捨てなかった。だから、私はその誇りを捨てない‥‥自分なりの生き方で、生きていくわ」

凛とした声で、だが、優しく微笑む彼女にロファースは目を奪われた。

ーーなんて、芯の強い少女なのだろう。

ゆっくりと頷き、親愛の意味をこめて彼女を抱き締める。
一瞬アイムは驚いたが、歴史書の中で『騎士は戦友や親しい者と親愛の抱擁を交わす』という習わしを目にしたことがあった。
二人は数秒の間、抱き締め合い、

「わっ‥‥と、いきなりごめん」

照れ臭そうにしながら、ロファースは彼女の体を離す。アイムは可笑しそうに笑った。

「‥‥その‥‥君に会えて良かった、アイム。もっと話していたいけど、長くいれば君の迷惑になるから‥‥」

その言葉に、アイムは微笑み、

「あなたみたいな人と話せて楽しかったわ。こんな場所で良かったら‥‥旅先で少しでも覚えていてくれたなら‥‥また、いつでも来て」

そんな彼女の言葉に頷き、言葉ではなく微笑みを返して、ロファースはアイムの家から出た。

ほんの僅かな時間、たった数十分の会話。
それでもなぜだか、二人には特別なものであった。



*prev戻るnext#

しおり


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -