10

通り雨だったのだろうか。
激しく降っていた雨は止み、空には虹が掛かっている。
彼は昔と遥かに変わったフォード国の土を踏み締め歩く。
だんだんと冷たい風が吹いてきて、夕刻に近づくのがわかった。

フィレアの家にある裏庭に向かい、遠目に彼女の育ての親であるアイムの墓が見える。
フォード国を見守りながら、時折アイムのことも見守っていた。
ロファースが初めてフォード国に訪れた日にアイムに出会っていたのを見ていたからだ。
たった一度の邂逅だが、何かしら互いに運命を感じていたのだろう。
だから、アイムを見守った。
貧困街に生き、それでも誇り高く生きた女性を途中まで見守った。見守る必要がなくなる程、アイムは強い人間だった。

ーーそんな彼女の墓の前に人影が見えて、

「レムズ君。君が僕に用があるとクリュミケールに言われたんですが‥‥」

クレスルドが人影ーーレムズに言えば、

「やっと来たか!遅いぞお前!っていうか、お前の顔、初めて見たんだが‥‥」

レムズが怒るように言うが、クレスルドがフードをを外し、素顔でここに現れた為、レムズは驚きながら彼を見た。

「ああ、そうでしたね。レムズ君には初めてでしたね、顔を見せるのは」

そう言ったクレスルドにレムズは舌打ちをして、

「なんだよまともな顔じゃんか!怪しいフード被って隠す意味がどこにあるんだか‥‥まあいい。そんなことより!ほら、あっち見ろよ!そして泣け!」
「はい?」

レムズは顎で裏庭の片隅を指した。
レムズが何を言っているのかがわからず、クレスルドは疑問の表情をしたが、促された通り、裏庭の花壇がたくさんある場所に目を向ける。

「花が何か‥‥」

そこまで言って、言葉が止まった。クレスルドは目を見開かせて沈黙する。
ーー驚いていた、本当に。
視線の先には、諦めかけていた存在が、困ったように笑って居たのだ。

「クリュミケールの声に導かれたんだとさ」

後ろでレムズが静かに言う。

理由はわからない。だが、英雄の言った通りだったのか?
クレスルドは思い、信じきれない気持ちを抱え‥‥だが、もっとたくさん、詳しい話を聞いたり、何か言うべき言葉を探す。
だが、口から出た言葉は、簡単なものだった。

「‥‥お帰り、ロファース君」

ーーと。その言葉だけを絞り出すのがやっとだった。
視線の先にいる彼ーーロファースはそれに微笑んで頷く。

「‥‥はは。クリュミケール‥‥知っていて、言わなかったのか。知っていて、僕の独りよがりな怒りを受け流していたのか。本当に‥‥嫌な女神様だ」

クレスルドは片手で額を押さえながら乾いた笑いを溢した。そんな彼を、レムズは滲む涙を拭いながら笑って見つめる。

クリュミケールは言っていた。

『大切な人が死んだ。大切な友が。母親を‥‥何も知らずに憎んだ。目の前で、救えずに死んでしまった人もいた。それでも、こんな私でも生きている。それにロファース、君を必要としている人達がいるんだ』

『だから、君が生き返った理由はわからないし、君が生きてきた経緯も知らない。けど、君が生きることで救われる人もいる。けど、答えを見つけるのは君自身だよ、後悔しないように‥‥』

そう、言っていた。
自分を必要としてくれている人がいる、自分が生きることで救われる人がいると。
ロファースは唇を噛み締め、震える声で、

「二人共‥‥待っていてくれて、助けてくれて‥‥本当に、ありがとう」

そう、感謝の言葉を述べた。
その言葉にレムズは首を横に振り、

「助けられたのは俺だよロファース!かつてお前が俺を守ってくれて‥‥俺の存在を認めてくれた!ロファースとこいつに、無力だった俺はどれだけ助けられたか‥‥」

堪えていた涙がボロボロと溢れ出てしまい、レムズは俯いて歯を食いしばる。

「‥‥僕もさ。僕もロファース君に、レムズ君に救われた‥‥君達二人が、僕に人間らしい気持ちを教えてくれた‥‥」

クレスルドがそう続けた。

二人からの言葉に、ロファースは視線を落とす。

再び生きれる幸福感。
再び生きれる罪悪感。

その二つが入り交じって、死んでしまったかつての友セルダーを想い、惹かれていた女性アイムを想い‥‥
もう、この世界に存在しないエウルドス王国やエモイト国‥‥出会った人々を想う。

「本当に、生きていて、いいのだろうか‥‥」

そう、再び溢してしまった。
クレスルドはそんなロファースの前に立って彼の肩に手を置き、

「君自身の気持ちはそうだろうけど、僕は‥‥君が生きていてくれて嬉しい、それはレムズ君だって同じだ。だって、僕達はずっと、君を待っていたんだから」
「ああ‥‥ああっ!そうだぜロファース!」

クレスルドの言葉にレムズは大きく頷く。
ロファースは眩しそうに目を細め、それからクレスルドを見つめて、

「あなたは‥‥あなたはもう、赦されましたか?わかりあうことができましたか?妖精王と」

長き眠りに就く前に、ロファースとクレスルドが交わした会話だ。聞かれて、クレスルドは紅の目を逸らしてしまう。

「俺、神様の女の子達には少しだけ会えました。でも、妖精王とはまだ会っていません。妖精王とあなたは同じ時代に生きているんですね‥‥あれから時代は流れた。あなたはまだ、過去に足をとられているんですね」

視線を合わせることが出来ないクレスルドを見て、ロファースはそう察した。次にレムズを見て、

「レムズさんは凄く前に進んだんだってわかります。たくさん、仲間ができたんだって‥‥さっき見て、わかりました」

カルトルートを筆頭に、ハーフであるレムズを差別しない人々に出会え、レムズ自身がそれに心を許していた。
それを聞き、

「‥‥確かに、そうだな。お前は、昔と変わってねえよな‥‥見た目はまあ、魔術使いだったから仕方ないけど、中身も」

レムズも同意する。
クレスルドは七十年以上前と何も変わっていないように見えた。

「二人の言う通りです。僕だけが前に進めていない。過去に囚われたままでした‥‥でも‥‥」

紅の目が柔らかく細められ、二人の親友を見つめ、

「クリュミケールは約束を守ってくれた。僕は‥‥君達を取り戻せた。再び‥‥会えた」

そう言って、クレスルドは二人の肩を抱き寄せる。

「神様の女の子がいつか、ロファース君を救ってくれると言う話を待っていて良かった‥‥レムズ君がクリュミケールと出会ってくれて良かった‥‥」

抱き寄せてきた腕が震えていることに気づき、ロファースとレムズは顔を見合わせて笑った。

三人が過ごした日々は、たったの四日間だ。その四日間で、友達だ親友だ‥‥曖昧なものなのかもしれない。

だが、生まれてから一度もエルフの里から一歩も出ず、訪れたロファースとクレスルドはハーフであるレムズを奇異の目で見はしなかった。そんな二人の手伝いをしたいと、外の世界へ足を踏み出した。

変わらない毎日をぼんやりと過ごし、クレスルドは亡霊のようにフォード国に佇んでいた。だが、過去の魂を持ったロファースが訪れたことにより、世界の異変に気づいた。だが、ロファースは過去と何も関係ない、普通の人間だった。苦悩して生きる、人間だった。
ハーフとして傷付いて生きるレムズは自分なんかに心を開いた。ただ、疎まなかったというだけで‥‥

たくさんの想いを見て、生き方を見て‥‥
何百の月日を経て、紅の魔術師はようやく人間に成れた。いや、ロファースを見つけたあの日から、すでに人間だったのであろう。
昔だったら、ロファースとレムズの境遇を知っても、心は動かなかったかもしれない。
でも、七十年以上前のあの日、確かに心は動いた。

どうしてかつて、そう成れなかったのか。
そんな後悔も今更出てきたが、自分の罪と一生向き合って行く決意は、今のクレスルドにはあった。

「僕は‥‥僕も、前に進みたい。君達と、一緒に‥‥」

その言葉にロファースは大きく頷き、

「俺は世界を見て回りたい。あのフォード国が‥‥こんなに素晴らしい国になった。だから、あの日から変わった世界をたくさん見たい‥‥一緒に進みましょう。もう、何にも追われる必要はない‥‥だから、ゆっくりと‥‥」

ロファースは空を見上げる。
知らない空、知らない世界。知らない時代。
知っている人は、僅かしかいない。

(アイム‥‥俺は世界を見て、いつか君が言ってくれたように、大きく輝いた理由を持って生きるよ。セルダー、お前にもたくさん手向け話になるように、世界を見てくるから‥‥)

かつて、自分が本来生きていた時代で叶えられなかったことを、ロファースは叶えたいと願った。遅いかもしれないけれど、それでもーー‥‥

神によって再び与えられた生涯を、それに捧げたい。

エウルドス王国の真実を何も知らなかった。
リンドとディンオの叫びによって、異変を知った。
ガランダやイルダン、セルダーの変わり行く様を見ているのがたまらなく苦しかった。

一人では、エウルドス王国から逃れられなかったはず。
クレスルドに出会い、レムズやチェアルに出会ったからこそ、エウルドス王を‥‥倒せた。
最後までクレスルドとレムズがいてくれたから、もう一度、生きてみようと思えた。
だって、二人は泣いてくれたのだ。
四日間しか過ごさなかった自分の為に、泣いてくれた‥‥
そして、今。

こんなにも長い間、自分のことを諦めずに、待っていてくれた。

それを、嬉しいと感じた。

父のような人を、親友を、国を‥‥何もかもなくしてしまった自分に、

(こんなにも‥‥素晴らしい親友がいてくれて、俺は、幸せだよ、アイム)


◆◆◆◆◆

「終わったな」

物陰からクリュミケールは言った。

「なんか、聞き耳立てちゃったね」

と、カルトルートが隣で苦笑する。
二人は公園で話した後、なんとなく気になってフィレアの家をこそっと覗いた。覗いたら、この場面に居合わせてしまった。

「レムズ‥‥良かったな。本当に、良かった」

カルトルートは相棒の幸せそうな姿を見て、少しだけ寂しそうに、けれども心から祝福をする。
クリュミケールは苦笑し、

(私とリオラとレイラーーそしてロファース。死ぬ運命だった人間が生き返った。私はレイラに救われ、ハトネに救われた。そして、ハトネを救えず、女王を救えず、母を救えず、ニキータ村を救えず‥‥全てをリオラに押し付けて私はここに居る。でも、救えたものだって、あった)

どれだけ時間が経とうとも、クリュミケールは決して忘れない。
自分の無力さも、歩んで来た道も、楽しかったことも、悲しかったことも。

クリュミケールはもう一度だけ、三人の友の姿を見つめ、

「じゃあ、カルトルート。行こうか。皆、心配してる」
「うん、姉さん」
「‥‥あのさ」
「なあに?」
「私も君のこと、レムズみたいにカルーって呼んで、いいかな?」
「‥‥あはは、いいよ」
「ふふっ。じゃあカルー‥‥行こう!」

クリュミケールはカルトルートの手を握り、走り出す。

「わあっ!?そんなに急がなくていいよ!水溜まりできてるし、危ないよー!」

そう言いながらも、カルトルートは笑っていて‥‥
走る度に跳ねる水溜まりに、クリュミケールはにっこりと笑う。

雨は、好きだ。
シェイアードとの思い出が、色鮮やかに甦る。

本の世界で雨が降り出した時、濡れるのが酷く嫌だった。
道行く人々は急いで雨宿りしたり、走って家に帰ろうとしていたが、その姿でさえ、皆、楽しそうだった。それは、隣に誰かがいたからだ。
あの頃、シュイアと離れて、レイラを失って、一人になって‥‥雨なんて、嫌いだった。

でも、シェイアードが傘を持ってきてくれた。
世界が、輝いて見えた。

今でも輝きを失わない、一度は忘れてしまった思い出を胸に、クリュミケールは静かに笑みを浮かべながら前を向く。



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