明るい光に吸い寄せられた蛾のように
『あの、赤髪のお美しい主様は、本当に私達の救世主様だよ!』
忌まわしい思い出。呪わしい思い出。
『お前も‥‥が‥‥見てやる。見捨て‥‥絶対に。だってここ‥‥お前が大好きな‥‥の魂だって一緒に‥‥』
彼はきっと、約束してくれた。
自分を見捨てないと、助けてくれると。
けれど、どうだ?
実際自分は、痛い思いをたくさんした。
生きたこの身で、痛い思いを、たくさん。
赤い血、赤い髪、赤い海。
赤、赤、赤ーー。
狂いそうなほど長い時間、それに囲まれてただ時が過ぎ行くのを待った。
誰も、自分を助けてはくれない。
彼の、囚人の名前を呼んだって、来てくれない。
フェイスお姉ちゃんも、来てくれない。
フォシヴィーさんも、デシレお兄ちゃんも、ユーズお兄ちゃんも、ナツレさんも、誰も、誰も。
リア爺はこわい。
だって、僕の目を抉ったから。
僕の腕を引き裂いたから。
でも、でも、流れてくる記憶の中で、どうして?なんで?
囚人は彼を、救った。
これだけ痛い思いをして、助けを叫び続けた僕を置き去りにして‥‥
「裏切り‥‥も、の」
ぽつりと、そんな言葉が小さく聞こえ、こっそりと夜食のパンを頬張っていたマーシーはびくりと全身を跳ね上がらせる。
恐る恐る振り向けば、彼ーークッティはベッドで眠ったままだった。
(ね、寝言かぁ)
マーシーは、ほっと息を吐く。
彼は時々、悪夢に魘されていた。今も、こんな寒い地域のはずなのに、汗だくで眠っていて。
ーー裏切り者、囚人、フェイス、赤い、憎い、許さない。
そんな寝言を、まるで恨み言のように彼は吐く。
(‥‥でも、すっごくひどい汗。あ、そうだ!宿のお風呂場に綺麗なタオルがたくさんあったから、借りてきてあげよう)
マーシーは頬張っていたパンをミルクで流し込んでごくりと飲み込み、クッティが起きないようこっそりと部屋から出た。
一階にはディエという男が泊まっていることをマーシーは思い出し、暗くなった廊下をこそこそ歩き、ゆっくりと視界の悪い階段を下り……ようとしたところで足を滑らせ、数段目まで滑り落ちてしまう。
「きゃ‥‥」
なんとか、大声を出すのは我慢できたが、
(うう‥‥お、お尻がいたいよう…)
涙目になりながらも、マーシーはお風呂場を目指そうとしたーーところで、一階の窓の外に目を奪われた。
雪空に、ぽっかりと満月が浮かんでいる。
「わ‥‥!?」
思わず大きな声を出してしまったマーシーは慌てて口元を押さえ、キョロキョロと辺りを見回す。
(雪が降ってても、月が、みえるんだ。きれい)
マーシーは窓に張り付くほど空を見上げ、そして、こんな真夜中に人影を見つけた。
それはまるで、白銀。
降り続ける雪の中、月明かりに照らされ、銀の髪がキラキラ輝いていて‥‥
神秘的とか、そういう言葉は子供の頭では浮かばず、ただただ‘綺麗’と称するしか出来なかった。
ぽーっと見惚れていると、銀髪の人は雪と一体化した。
否ーーただその場に転け、顔面から降り積もる雪に突っ込んだ。
「!?」
マーシーは慌てて真夜中の街を駆け出し、
「だっ、大丈夫‥‥ですか!?」
雪中に突っ伏した人に声を掛ける。
「う‥‥うー」
その人ーー少年は顔を上げ、身を起こし、全身にべっしょりこびりついた雪を振り払った。
「はー、考え事しながら歩いてたら滑っちゃったよ」
銀の短い髪に、真っ黒な目、青いマントを靡かせながら、少年はヘラっと笑う。
「ん?あれ?君、この街の人?見たことない‥‥ような‥‥」
「あっ‥‥あたし、この街に来たばかりなんです」
「へえ?こんな辺境の地に‥‥なんにもないでしょ、ここ」
少年は不思議そうに言い、それから、
「っていうか、一人で?」
そう聞かれ、
「えっと、なんだろう、友達?と一緒に‥‥」
クッティをなんと言っていいのかわからず、友達ということにした。
「まあ、別になんだっていいけど‥‥でも、もう真夜中だし、女の子が一人で危ないよ。夜の街は特に、異常者たちの巣窟だから。君は、知らない方がいい」
「い、いじょう、しゃ?そーくつ??」
「んー」
首を傾げるマーシーに少年は、
「こわーい怪物達の暴れまわる時間ってことかな。でも大丈夫。奴等の視界にさえ入らなきゃ、相手にはされないから。だから、ほら、友達のところに帰‥‥」
「あ、あなたは?あなたはこの街の人?」
「んー」
マーシーに聞かれ、少年は困ったように笑い、
「まあ、そうなるかな。ほら、街の外れに灯りすらない建物があるだろう?あれ、昔は綺麗な図書館だったんだ」
「へえー」
「でも、今の時代、本を読む人なんていなくなったから、誰も立ち入らなくなって、寂れちゃったんだよ」
「あ!友達が、本を読むの好きなんです!」
「あの紫の子か‥‥」
ぼそりと少年が言い、聞き取れなかったマーシーは首を傾げている。
「でも、秘密にしておいてくれるかな?君は大丈夫。君ならいつでも遊びに来てくれていいよ、ぼくはあそこで暮らしてるんだ」
「え!?あ、あそこに?」
「うん。だから、あまり知られたくなくて。だから、約束してくれるかな?ぼくはコア」
少年、コアは右手をマーシーに差し出し、
「あ、あたし、マーシーです。八歳です」
と、二人は握手を交わした。
「ぼくは十五歳。あ、あと、敬語じゃなくていいよ、しんどいでしょ。普通に喋ってくれていいから。そうだ、マーシー」
コアはズボンのポケットに手を入れ、
「これ、あげる。たくさん作ったから」
差し出されたのは、四角く白い紙に貼り付いた、桃色の花。
「‥‥?」
不思議そうにマーシーがそれを受け取ると、
「知らない?押し花。その花はね、こんな雪だらけの地で唯一咲く花なんだ。こんな、満月が出る日にね。でも、満月が消えると、たちまち枯れてしまう。だから、そうやってたくさん、押し花にして残してるんだ」
コアの言葉を聞きながら、マーシーは珍しそうにそれをずっと見つめていた。
「さあマーシー、そろそろ本当に帰って。奴等が来るから」
「ね、コア!図書館に会いに行ってもいいんだよね!」
「ああ。でも、一人でね。他の人は連れてこないでね」
「わかった!約束!」
「うん、さあ早く行って、マーシー」
コアはマーシーを急かし、状況をわかっていないマーシーは呑気に笑顔で手を振りながら、宿屋に戻った。
それを見送ったコアは息を吐き、魔法みたいにその場から姿を消す。
そのすぐ後で、ぞろぞろゾロゾロとどこからか人が集まり、翌朝にその人々は雪の中に埋もれることとなるのであろう。
宿屋に入ったマーシーは、もう一度だけ窓から満月を見ようとしたが、
「振り返らない方がいいですよ」
と、誰かに静止される。
「あ‥‥ディエさん、でしたっけ‥‥」
いつの間にか窓際の壁に凭れるようにして、ディエが立っていた。
「あ、でも、今日は綺麗な満月が」
「ほら、お迎え、来てますよ」
そう、階段の方を促され、そちらを向くとクッティが立っていて。
「あ、クッティ!起きたの!?」
マーシーは慌てて手にしていた押し花をポケットに押し込んだ。
「マーシー、何してるんだい?まさか一人で外に‥‥」
「えっと」
「俺が部屋の棚をちょっと倒しちゃったんですよ。で、その物音に驚いたお嬢さんがただ見に来ただけ。そうですよね?」
にっこりと、ディエはマーシーの顔を覗き込み、マーシーは全力で首を縦に振る。
「ふーん‥‥まあ、なんでもいいけど。じゃあ、私は部屋に戻るから、マーシーも早くおいで」
クッティはそう言い、踵を返した。
「あ、ありがとうございます、話を合わせてくれて‥‥」
マーシーはペコッとディエに頭を下げ、
「大したことはしてないですよ。じゃあ、俺はもうちょっとここに居るんで」
「は、はあ」
そんな出入り口に突っ立って何をしているんだろうと疑問はあったが、このままではクッティの機嫌を損ねてしまう恐れがある為、マーシーは慌てて階段を駆け上がった。
部屋に入ると、すでにクッティは椅子に腰掛けていて、窓の外を見ている。
「ね、ねえクッティ。今日、綺麗な満月でしょ?」
マーシーが言えば、
「ああ、そうだね、綺麗に‥‥浮かんでる。でもマーシー、君はもう駄目。下で見たんだろう?」
「あう‥‥」
「ほら、早く寝ないと、体に悪いよ」
「う、うん」
マーシーは頷き、寝支度を始める。
(あ!そうだあたし、クッティにタオル取ってこようと思ったんだ!でも、もう大丈夫かー)
そんなマーシーの思いを余所に、クッティは窓の外を見つめ続ける。
月は、もう浮かんでいなかった。
ただ、雪の大地に赤が滲み、浮かぶだけでーー。
・To Be Continued・
毒菓子