幻夢の彼方にお別れを


ここはきっと、境界線なのだろう。
永遠に続くような暗闇の中、光など差し込まないこの静かな場所。

自分の進むべき道がどこなのか、それを、自分の意思で決める場所だ。

けれども、もう決まっている。
彼の在るべき場所は決まっている。

ただ、今は歩いた。
ほんの少しだけ彼が居た、懐かしき胎動の地へ。

彼女の姿を見つけて、彼は歩みを止める。
時間が歪んでしまった彼よりも、少しだけ若い少女。
けれども彼のーー。

「‥‥あなた、どうしてここに」

闇の中で、彼女が彼の姿を捉え、大きく目を見開かせた。
彼は、彼女の存在を知っていた、けれども彼女のことは知らなかった。

「まさか君が‥‥ね」

彼はため息混じりに言って、どうして気づかなかったのだろうと思う。
彼女とは、二度会った。

赤髪の魔女と対峙した時、それから彼と共に居た時。
ーー否、無意識の内に彼は気付いていたのかもしれない。
彼女の声に。
だから、二度会った時、どちらの時も彼女をナイフで切りつけたのかもしれない。

腹が、立ったのかもしれない。

「『殺してごめんなさい、殺してごめんなさい、私のせいで、私のせいで‥‥』って。ずっと聞こえていた。疎ましい声が。この声が、僕を助けてくれなかったんだと、僕は思った。ずっとずっと、うるさかった、頭の中で謝り続けるこの声が」

彼は彼女に言葉をぶつける。彼女は申し訳なさそうに目を伏せて、

「‥‥ごめん‥‥なさい」

ーーと、また、謝るだけだ。

「なんで謝るんだよ、なんでそれしか言えない!?どうして‥‥どうして僕を産んでくれなかったの!?どうして僕を殺したんだよ‥‥!!だから、だから僕は‥‥お前のせいで、僕の人生‥‥滅茶苦茶だ‥‥」
「ーーッ!!」

その言葉に、彼女は泣いた。
聞き覚えがあったからだ。

『‥‥あなたのせいで、私の人生‥‥滅茶苦茶だ‥‥』

その言葉を、彼女はかつて放ったことがある。
でも、でも‥‥

「そう‥‥そう、だね。私じゃなくて‥‥私が‥‥クルエリティ、あなたの人生も、ディエさんの人生も、滅茶苦茶にしてしまったんだね」

彼女は、ヴァニシュはそう言った。

自分と出会ってしまったせいで、ディエは異常に堕ち、挙げ句、彼を理解しようとせず苦しめ続けた。

そして、まだ自分が子供だったとはいえ、父親に言われるがまま子供をおろしてしまい、その魂が、目の前にいる彼ーークルエリティであり、彼の人生を苦しめてしまっていたのだと。

もし、あの時に産んでいれば‥‥
それでも幸せではなかったのかもしれない。
異常に狂った父親の元から、ヴァニシュは離れることは出来なかったから。
ましてや、子供が子供を育てるなんて、出来なかったかもしれない。
それでも‥‥泣いているのだ、目の前で、クルエリティは。

なぜ産んでくれなかったのかと。

ヴァニシュにとっては最善な選択ではなかったが、クルエリティにとっては、産まれてくることが最善だったのだ。

「私はずっと後悔していた。子供を‥‥殺してしまったことを。でもこの後悔が、あなたをずっと、苦しめていたんだ。そうだね‥‥あなたが産まれていれば、あなたは誰にも出会わず、裏切られることはなかった‥‥ここまで、苦しまずに済んだ」

ヴァニシュは涙を拭い、

「はは、だめだなぁ。こんな時、ディエさんみたいにすらすら言葉が出てこないや」
「‥‥あの人は、君を恨まないでって。全部、俺が悪いって言ってた。わからないよ‥‥誰が悪いとか、そんなの、どうでもいいんだよ‥‥悔やまれたって、僕は両親の傍に、いれなかったんだから。それは事実なんだから」

クルエリティはぽつりと言い、

「ただ、聞かせてよ‥‥あの人は、君が僕のこと知れたら、喜ぶとか言ってた。どうなの?目の前に、君が殺した魂がいる気分は?」

そう、問いただす。
ヴァニシュは数秒クルエリティを静かに見つめ、

「びっくりしたけれど‥‥嬉しかった。あの命が、形になっていたんだと知って。あなたが、生きていたんだと知って‥‥独りよがりだけど、私は救われた。でも、あなたは‥‥ずっと一人で苦しかったんだよね‥‥」

そう言って、視線を落とした。
クルエリティは小さく息を吐き、

「‥‥もう、いいよ。僕は、決めたから。僕は、僕を裏切った全てを愚者として呪い続けるって決めたから。僕は復讐をやり遂げるよ」

しかし、そう言ったクルエリティの表情は、どこか穏やかであり、

「マーシーは、ただ一人、僕に慈悲を与えてくれた。囚人の妹は、ただ一人、僕を理解してくれた。充分だよ‥‥」

静かに、目を閉じる。

「さて、話は終わり。こんなとこにいないで君もさっさと進みなよ。もうすぐ、境界線が別たれるよ」

クルエリティはそう言った。

ここは、赤髪の少女の夢物語の世界ではなく、赤髪の少女が滅ぼしてしまった本物の世界へと至る場所。
この話が本当ならば、もう時期、ここは世界になるだろう。
流れ行く魂達が先へ、闇の先へと進むのが見えた。

「君、ここに残るつもりだろう?」
「え?」

クルエリティに言われて、ヴァニシュは目を丸くする。

「だって全然、歩こうとしてないから」
「‥‥そう、だね。勝手だけれど‥‥罪と共に消えてしまおうと思ってた。そしたら、あなたが来たから」

それを聞いたクルエリティは苦笑し、

「それは困る。僕の復讐が果たされない」
「?」

なんのことだろうと、ヴァニシュは首を傾げた。

「‥‥ねえ、一つだけ、お願いがあるんだ」
「うん?」
「僕を‥‥抱き締めてくれる?さっき、父さんがしてくれたみたいに‥‥」
「‥‥」

言われて、ヴァニシュは一瞬困ったような顔になる。

ーー自分が、この子に触れてもいいのだろうかと。

ヴァニシュは一歩前に進み、恐る恐る、腕を伸ばした。ゆっくりと、彼の背に腕を回し、自分より背の高い彼を抱き締める。

こんな日が来るなんて思わなかった、そう、ヴァニシュは体を震わせた。
クルエリティは、どこか懐かしい温もりに身を任せ、目を閉じる。

「‥‥おかあさん」

と、小さく呼んだ。
その言葉に、ヴァニシュはぎゅっと目を閉じる。

「ねえ、母さん。約束して。今度は、父さんとちゃんと、見守るって。傍に居るって。三人で幸せに暮らすって‥‥約束してよ」
「‥‥約束する。絶対に、守るよ、今度は‥‥」
「必ず、必ず幸せにして。お願いだよ?絶対に、幸せにして」

幸せになりたかった男は、繰り返し『幸せ』という願いを言葉に乗せて紡ぐ。

「‥‥」

本当は、もっと色々ぶつけたかったし、もっと話してみたかった。もっと、温もりを感じていたかった。

叶うなら‥‥三人で、居たかった。

温もりが消えた場所で、クルエリティは静かに立ち尽くす。
ヴァニシュの姿は消え、ここにいるのはクルエリティただ一人だった。

(叶うなら‥‥今度は、幸せになれますように)

ーーさあ、断罪の時が訪れる。
罪は罪。
だが、この復讐は果たされなければならないーー。
安息など、与えてはならない。
‥‥そう、一部を除いては。

(これで、僕の復讐は‥‥果たされた)


剣に魔法、王様やお姫様、魔物。
そういったものが存在する、すなわちファンタジーな世界。

しかし、遠い昔に魔女だか魔王だか呼ばれた者が世界に毒を撒き散らした。

それは、人の精神に入り込む毒。

人々は自分の中に様々な異常を抱えることとなった‥‥

果たして世界は、異常(abnormal)から抜け出せるのだろうか?

そしてこれは、そんな世界のほんの一部の人達のお話。

そして、見るに耐えない後味の悪い話もあるかもしれない。
逆に、幸せな話もあるかもしれない。

それは人によっての解釈次第である。


ーーさあ、そんな夢から覚める時が来た。
魔女の夢から解放される時が来た。

かつて、赤髪の少女が多くに、そして最愛の弟に裏切られて壊してしまった世界。

人が、本当に生きていた世界。

夢の中で生まれた魂は、コアという少年の力により守られ、世界に散っていく。

目まぐるしいその光景に、クルエリティは目を細めた。


・To Be Continued・

空想アリア



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