憎しみも愛しさもいつか全てが眠りについて
「愚者達を呪い、愚者として‥‥?」
目の前の少女の言葉に、クルエリティは目を見開かせた。
「そうよ。結局は、誰しもが愚か者だった。誰かの為に生きて、誰かの為に死んで、自分の為に生きて、自分の為に死んで。平気で誰かを傷付けて、平気で誰かを救ってーー人は皆、完璧じゃない。皆、愚者なのよ‥‥私達も、ね」
システルはそう言って、コアが守っていた魂達の光を見つめる。
「まだ、選べるわ。コアやリフェさん達のように、この世界で消滅するか、それともやり直すのか」
「選んだとしてーー‥‥」
クルエリティは冷めた目でシステルを見つめ、
「その答えを君に言う必要はない」
そう静かに言い、システルは「そうね」と、頷いた。
「‥‥だが、確かに君と僕は似ている。犯した過ちは違えども、僕らは完璧な異常者だった。だからこそ、君は僕のことを理解できるんだろう」
クルエリティはその場にしゃがみこみ、冷たく赤い雪の上にマーシーを横たわらせ、それからすぐに立ち上がって自らのコートの中を探る。
取り出したのは、ナイフだ。
「毒は塗り込んでいない分だけどね」
そう言い、そのナイフをシステルの足元に投げ、自身ももう一本隠し持っていたナイフを左手に持つ。
「‥‥」
システルは無言で足元のそれを見つめた。
「時間がない、早く拾いなよ」
と、クルエリティに促され、システルは数秒、彼のなんの表情もない目を見つめ、言われたようにナイフを拾い上げる。
「似ているからこそ、最期の瞬間に邪魔になる。リア爺の呪いだ、魔女が撒いた毒だ、夢の世界だ‥‥そんなのは関係ない。僕は僕自身の意思で彼らを恨み、憎み‥‥殺して復讐したいと願った。今でもこの憎悪は変わらない」
言いながら、手にしたナイフの刃を、自身の心臓の辺りに数回、とんとんと軽く当てた。
「どうせ終わるのなら、どうせ死ぬのならーー君を殺し、僕は一人で死を待つ。理解者なんかいらない。この憎悪に身を焦がし、それを抱えて僕は全てを呪い続ける。君にもわかるだろう?この欲求がーー叶えたいことがあるのなら、その心は誰にも止められないということをーー!!!」
言葉が終わると同時に、クルエリティはナイフを強く握り、システルを目掛けて走る。
システルも手にしたナイフを強く握り、真っ直ぐな青い目でクルエリティを見据えた。
『誰だか知らないけど、ディエさんの傍には私だけでいいの。他のものは全部不要なの。だから、始末するわ、ディエさんの邪魔になるもの全部、私が。フフ‥‥ウフフ』
あの日、ナイフを手にして異常に堕ちていた自分は、愛に狂った。
そして、クルエリティは憎悪に狂っている。
彼の言葉はシステルの心に強く響いた。
そう、そうだ。
手に入れたいものがあるのなら、その欲求は、止まらない。
止まらないーーはずだった。
向かってくる切っ先を、システルは手にしたナイフで弾き返す。殺り合う意思を見せたシステルを見てクルエリティはにやりと笑い、ナイフを振り回した。
その動きは、滅茶苦茶だーーいや、彼自身、体内に回った毒のせいで、本当は動くのもやっとなのであろう。
だが、振りかざした刃に殺気は宿っていた。
ーーこれは、と、互いに思う。
『これは、異常から抜け出せていた場合の、未来の自分の姿だ』と。
『これは、異常を抱え続けていた場合の、未来の自分の姿だ』と。
目の前に居るのは、自分が選び取らなかった道の自分なのだと。
だからこれは、お互いの意思を、存在を、生きた証を勝ち取る為の殺し合いだ。
「ーーっ」
クルエリティに右腕を切りつけられ、ぷつっと裂けた皮膚から軽く血が飛ぶ。
反撃して凪ぎ払ったナイフで、クルエリティの右頬に切っ先をなぞらせる。
言葉などもう必要ない、この愚かな戦いを勝ち取った時にこそ、証明できるのだ。
どちらの選んだ道が、正しかったのかを。
「はあっーー!」
「ーーはっ!!」
腕から、足から、頬から、額から、首筋からーーもはやどちらの痛みなのか、どちらの体から溢れ落ちる赤なのかもわからない。
ただ、お互いに譲らなかった。
最早それは、子供染みた意地だ。
【認めたくない自分自身】を打ち倒す為に、強く強くナイフを握って離さない。
譲らない意思を宿らせた、真っ直ぐな青い目を疎ましく感じた。
深い深い憎悪を宿らせた、真っ直ぐな銀の目を疎ましく感じた。
「君はーー」
「あなたはーー」
正しくなんかないーー!!!!!
どちらが発したのか、その言葉と共に相手のナイフを弾き飛ばす。
弾かれたナイフはくるくると弧を描き、雪の大地に落ちた。
ナイフを弾いた者は真っ直ぐに目の前の相手を睨み、ナイフを弾かれた者はーー‥‥
「‥‥ふ」
と、諦めるかのように目を閉じて笑い、
「‥‥疲れたね‥‥はは‥‥はぁ‥‥君の意思は‥‥よくわかったよ」
手持ちぶさたになった左手で降参ポーズを作りーー‥‥クルエリティは彼女の最期の一撃を待った。
システルはこくりと頷き、切っ先をクルエリティに向ける。
(さあ、終わりにしよう‥‥)
少しずっしりとした重みが、クルエリティの体を襲った。
その感覚に、クルエリティは閉じていた目をはっと開け、ナイフが大地に落ちていく様を見つめる。
「これで‥‥終わりよ、クルエリティ。私が選ばなかった、私」
システルは小さく、優しい声で言った。
クルエリティを襲ったのは、ナイフなどではなく、その身はシステルの腕に包み込まれていた。
「‥‥これで、終わりか‥‥僕がなれなかった、僕」
そう言って、クルエリティは疲れたように笑う。
「言ったように、私の場合は皆が居たから‥‥でもあなたは、救われる前に、深い海の中で一人、異常を抱え続けていた‥‥私も、皆‥‥いいえ、ロスが居なかったら、あなたのようになっていたわ」
「ああ‥‥わかるよ」
クルエリティは左腕をシステルの腰に回し、
「あの瞬間、海に投げ込まれなければ‥‥僕もフェイスお姉ちゃん達と同じように、囚人に救われていたんだろう。そしたら、君のように生きれていたかもしれない‥‥」
「‥‥誰がどう動くのかーー‥‥たった一つの行動で、判断で、導き出される結末は変化する‥‥でも、起こり得たことは、事実だから‥‥あなたの生き方も、私の生き方も、真実よ」
その言葉に、クルエリティは心の中で頷いた。
「‥‥囚人の妹‥‥肩を、貸してくれるかな。実を言うと、立つのがやっとなんだ‥‥マーシーのところに、行きたい」
言われて、システル自身も血を流しすぎて頭がくらくらし、体が冷えてきて、感覚という感覚がわからなくなってきたが、
「ええ、わかったわ‥‥」
と、クルエリティに肩を貸し、足を引きずりながら二人は歩く。
マーシーの前まで戻ると、クルエリティは足の力が抜けてしまい、ドシャッーーと、雪の中に倒れこんでしまった。
システルは慌ててその場に座り込み、うつ伏せに倒れてしまった彼の体を仰向けにして、力をなくしたその頭を膝に乗せてやる。
クルエリティはゆっくりと左手を伸ばし、マーシーの手を握った。
「‥‥憎悪に身を焦がしたことは、罪とは思わない。だけど、関係ない君をこんなにしてまったのは‥‥僕の罪だ‥‥」
もう、目を開くことのないマーシーの横顔を、クルエリティは目を細めて見つめ、
「君の魂がもし救われたのなら‥‥僕と違って、今度は幸せにおなり。僕の居ない世界で‥‥幸せに、なるんだよ、マーシー‥‥」
静かに、祈る。
「‥‥このままじゃ、彼女、寒いわね‥‥ほら、クルエリティ。抱き締めてあげて」
と、マーシーの体をクルエリティに寄せれば、クルエリティは左腕でマーシーの体を包んだ。
「‥‥あら?」
何かが耳を掠め、システルは顔を上げて不思議そうに忘却の地の孤独の城を見つめる。
「気のせい、かしら‥‥歌が‥‥聴こえる?」
「これは‥‥鎮魂歌、だね」
クルエリティが言って、システルは首を傾げるので、くすっと彼は笑い、
「知らないのかい‥‥?鎮魂歌、レクイエム。魂の、死者の安息を願う歌さ‥‥歌詞は、この国のものだね‥‥」
「まあ‥‥物知りね」
「‥‥海の中で、知識だけは頭一杯に植え付けられたからね」
皮肉げに言い、システルは歌声に耳を傾ける。
「うーん‥‥聞き取れないわね」
歌声は聴こえるが、歌詞までは聴こえない。
「はは‥‥知りたいのかい?」
「安息を願う歌だなんて‥‥今の状況にぴったりすぎて、気になるわね」
そう、システルは微笑む。
しかし、次の瞬間、システルは目を丸くした。
ーー魂よ、安らかに
正常なる人よ、異常なる人よ、今だけは変わらずに安息を与えよう
主よ、賢者に慈悲を
主よ、愚者に慈悲を
いつの日か雪解けが訪れ、世界に溶けた魂よ
光が差し込み、その魂が新たなる道へ至る日よ
その日まで
主よ、彼らに安息を
主よ、彼らに慈悲を
ーークルエリティが、聞こえてくる歌声に合わせ、それを、口ずさんだのだ。
愚者の口から紡がれる、鎮魂歌。
「まあ‥‥あなた、本当によく‥‥」
システルは言葉を止め、祈るように目を閉じた。
一呼吸置き、静かに膝の上に乗せた頭を優しく撫でる。
「‥‥おやすみなさい、クルエリティ。どうか、良い夢を」
先に眠っていたマーシーの隣で、クルエリティは少しだけ困ったような顔をして眠った。
「‥‥ディエさん、兄さん、ミモリさん、フェイス‥‥これで、良かったのかしら‥‥」
本当にクルエリティを救うべきだった人達を思い、次は自分の番だと、終わりを待つ。
(‥‥寒いわね)
一人になってしまったことを感じ、身震いして、先刻、シャイによって見せられた別の未来のことを思い出す。
『寒くないさ、腹も空かせねー‥‥俺が居るからな。俺がずっと一緒だ』
ロスはそう言って、異常に狂ったシステルと最期を共にした。
そんなことを考えているからだろうか、ぼんやりと、隣にロスの幻覚が映る。
だが、それは、優しく微笑んでいた。
「‥‥ロス。ミモリさんから解放された魂‥‥なのね?」
そう言えば、ロスは頷き、
「‥‥バカね、私」
ぽろぽろと、涙が溢れてきて、システルは泣きながら笑う。
「ずっとずっと、傍らにあった愛を無下にして‥‥最後の最期に‥‥あなたの愛をこんなにも、噛み締めることになるなんて」
クルエリティと刃を交えていた時、ずっとずっと、ロスの姿が浮かんでいた。
幼い頃からずっと、ロスが居たから、だから、自分はクルエリティみたいにはならなかったから‥‥
ロスはシステルの側にしゃがみ、透けた手で、涙を拭おうとしてくれる。
その行為にシステルは震えながら笑い、
「私なんかを、愛してくれて、本当にありがとう‥‥ロス‥‥大好きよ。だから、お願い。魂がもし救われたのなら‥‥幸せになって。私の居ない世界で‥‥今度はあなた自身のために生きて」
そう言って、もはや触れることは出来ないというのに、静かに、口付けを交わした。
いつしか鎮魂歌も鳴り止み、降り続けていた赤い雪も止んだ。
赤い大地は消え去り、真っ白に、何もなくなる。
だが、その光景をシステルは見なかった。
膝の上で眠るクルエリティの頭に手を置いたまま、システルも眠ってしまっていたから。
雪解けは、誰の目に映ることもなく訪れた。
・To Be Continued・
空想アリア