幼い頃、指切りをした
騒々しさと血生臭さが続く街中を進み、前を歩く義兄の背中を静かに見つめた。
昔も、こんな日があったなとヴァニシュは思う。
まだ、ディエが打ち解けてくれなかった頃、彼の後ろを離れて着いて歩いたことがあった。
結局、彼は振り返ることも言葉すら掛けてくれなかったが。
「雪までは降らなかったけど、昔も、凄く寒い日がありましたよね」
ディエの背中に声を掛けるが、返事は返ってこない。
「あの時も、ディエさん今みたいに寒そうな服装してて、父さんと母さんが心配してあったかい服を用意してくれたけど無視して」
「鼻から信用してなかったんだよ、あの二人」
ようやくディエが言葉を返して、ヴァニシュは苦笑して肩を竦め、
「それでも‥‥私にとっては本当の両親だったから」
そう言った。
「母さんが死んだ時は恐ろしさと悲しさが入り交じって、父さんが壊れた時はもうどうしたらいいかわからなくて。そんな生活を続けていたら、貴方達が現れて‥‥皮肉にも、貴方が父を殺し、村ごと燃やした」
「あの時は、お前のことも忘れていた。だが、あの男を見て、こいつは、この村ごと殺らなきゃならねえと思った」
それを聞いたヴァニシュは頷き、
「わかっているんです。貴方は私をあんな形ではあれ、助けてくれた。でも、それでも‥‥今でも、貴方は過ちを犯し続けている。わかっているんです、異常のせいだって。でも、わかってても、私にはそれが、許せない」
歯を軋ませながら悔しそうに吐く。
「貴方が生きて帰って来て、嬉しさもあった。今度こそ、義兄妹として、生きれるのかもって。でもやっぱり、耐えられなかった。貴方が異常に呑まれ、過ちを繰り返す姿を見ているのが。そのせいで‥‥父と母が死んで、ロスさんの右腕があんなことになって‥‥それを思い出したらつい、殺してやるなんて言葉しか浮かばなくて、それで義兄さん、出てって、本当に帰って来なくなったから‥‥」
頭では全て理解していても、ヴァニシュにはどうしても全てを赦し切れていない面があり、きっと何度も何度も、知らない内にシャイだけじゃなく、ディエのことも傷付けていたのだろうと感じた。
「私は自分を普通だと思っていた。貴方みたいな異常者とは違う。人を殺したり傷付けたりしないって。でも、私は私自身の正しさに囚われて、他人の心を知らない内に傷付けていた。他人の意見にちゃんと耳を貸すこともあまりなかった」
その場に立ち止まり、振り返ることのない彼の背中を見つめたまま、
「でも、私も、殺してしまったんですよね‥‥父に言われたからとはいえ、宿った命を。私も、話さなかったから、自分の気持ちを。だから、今更すぎるけれど、聞かせてほしいんです。義兄さんはあの日、どんな思いで異常に堕ちたのか、どんな思いで今まで居たのか」
「‥‥そんなもの」
ディエはようやく顔だけ振り向かせ、
「お前のその毒かもしれないってのを診てもらってかーー」
言い掛けて、ディエは大きく目を開け、その場からすぐにこちらに走り出そうとして、ヴァニシュは疑問気に立ち尽くしていたが、
「いやぁ、なるほど実に滑稽だ」
ヴァニシュの真後ろで嘲笑うようなその声が聞こえ、ズシャァッーーという音と共に「まず一人」‥‥そう声が重なる。
「なっ‥‥あなた、は!」
ヴァニシュは振り向き様にその姿を捉えた。
シャイと対峙していた男ーークルエリティ。
「あ、でもちょっとミスったかな。僕はさぁ、あまり人を殺すの慣れてないから時間掛かるんだよね。どうしてもじわじわ殺っちゃう感じ。はは、君みたいにズバッと殺せたら楽なんだろうなぁ」
あの時と同じ果物ナイフを手にしながら彼は笑う。
ヴァニシュは息を整え、今ナイフで切られた場所、左の脇腹辺りを押さえた。
前回、腕を掠めたようではなく、今回はずぶりと抉られ、ドクドクと血が流れている。
「残念だったねぇ、お姉さん。貴女、今ペンダント持ってるからさぁ、姿、丸見えだよ」
「!!」
言われてヴァニシュは冷や汗を流した。医者の元に行く為、医者が正常者なのか異常者なのかわからない。だからそのまま、ペンダントを所持していた。
ヒュンッーー!と、クルエリティ目掛けてナイフが一本飛び、
「おおっとこわい!」
茶化すように言いながらクルエリティはそれを避け、ディエを見る。
「やあやあ魔女に愛された殺人鬼様。その節はどうも。まさか君がこの街に来てくれるなんて、本当に驚いたよ」
「失せろ異常者」
しかしディエはクルエリティの言葉に耳を貸すことなくそう言い放ち、
「異常者に異常者って言われてもなぁ。ほら見てみなよこの街の惨事。世界中の異常者が今、ここに集おうとしているんだよ、魔女の力によってね」
「せ、世界中の‥‥?」
その場に片膝を突き、患部を押さえながらヴァニシュが聞き、
「ああ、そうだよ。彼女はここで」
「クルエリティーー!」
そこで、女性の声が彼の名前を叫んだ。
それは医者の家から。扉の前にリフェが立っている。
「おやおやぁ、お姉さん。マーシーは元気かな?それよりなんでその名前を?マーシーから聞いたんだろうけど」
ニコニコ笑いながら彼はリフェを見ていて、
「クルエリティ、貴方は、なんてことを……!貴方の嘆きを、助けたいという思いを、私は信じた、信じたのに‥‥」
彼女は悲痛な声でそう叫ぶが、
「さーて。邪魔も入っちゃったから僕はもう行くよ。お察しの通りこのナイフには毒が練り込んであるから、正常者のお姉さんも早く診てもらった方がいいよ。じゃあ、またね、殺人鬼様。君を使って魔女殺しをする日は近いよ」
飄々としたまま、彼はその場を立ち去り、異常者達の波に紛れて行く。
「‥‥一体なんなんだ、あの人は」
ヴァニシュは立ち上がりながら呟き、リフェに振り返った。
彼女はディエとヴァニシュを見て、疑う様子なく早く中に入るように促す。
「傷は、治りそうね。毒は軽いものだからこっちも大丈夫。今、少し取り込んでいるの。この部屋で待っていて」
リフェはヴァニシュの傷口を見ながら早口で言い、簡易な止血処置だけをして急いで奥の部屋に走って行く。
言われた部屋に入り、中にあった椅子に腰掛けた。
「‥‥う。大丈夫と言われても、さすがに血は止まってないからキツいな」
今しがた巻いてくれた包帯の上から傷口を押さえ、ぽつりとヴァニシュが言い、
「いいからじっとしてろ。血が流れすぎたら死ぬぞ」
なんてディエが言って、
「クルエリティと呼ばれてましたね。なんか、義兄さんをどうにかしたいみたいですが、なんで私ばっかこんな目に」
そう、ヴァニシュはため息を吐く。
「‥‥悪かったな。俺がまた、先々歩いてたから」
ディエが謝ってきて、
「昔も、こんなことがあった。お前、俺の後ろをこそこそ着き回って、何回か転けまくってたが俺はそれを無視した」
「‥‥知ってたんですか」
「ああ。勝手に俺の両親がお前の両親に俺を売って、新たな金目当てにお前の両親がガキの俺を買って、勝手に義妹なんて存在作って、本当に鬱陶しかった」
「‥‥ですよね」
ヴァニシュは苦笑した。
「お前が焦げたクッキー食わそうとした時は笑えたなぁ」
「あ、あはは」
「お前が俺の目を綺麗だって言ってくれたのが、嬉しかった」
「‥‥」
「お前が俺みたいな脱け殻を義兄扱いして人間扱いしてくれたことが嬉しかった」
初めて聞く彼の本心に、ヴァニシュは静かに耳を貸す。
「だから、何をしてでも守らなければと思った。お前に憎まれ続けようと、お前から何を奪おうと、お前が生きてくれるんなら、俺は悪役にでもなれるし、傍にいるのが俺じゃなくても構わねえ」
「‥‥義兄さん、そんな」
ヴァニシュは目に涙を浮かべ、
「私は、私も、貴方の義妹でいたいと思った。辛いこともあったけど、貴方と過ごした義兄妹としての日々は、幸せだった。村から子供達が居なくなって、義兄さんが居てくれたから、私は大丈夫だった」
「あの時、俺が大人だったら、もっと強かったら、異常なんかに頼らずに、あんなことにならずに、お前だけを連れ出せた」
ディエはドンッーーと、テーブルに拳を落とし、
「今だって俺はキレてんだぞ。お前がこんな危険な場所まで一人で来たこと、重要な話を一人で抱えていたことーー結局、俺なんかよりロスの方が、お前のことよくわかってることとかな」
「‥‥」
「それに」
「いたっ!」
真正面に座るディエがヴァニシュにデコピンを食らわせて、
「義兄さん呼びは腹立つって出てく時に言ったろ」
「‥‥あ、はは」
今思えば、ディエが死にかけた間際にも『名前で呼んでくれ』なんてことがあったし、今回ディエが小屋を出て行く際にも『義兄さんとか呼ぶな気持ち悪い腹が立つ』など言っていて、なるべくそう呼ばないようヴァニシュは気を付けていたが、
「だって、仕方ないじゃない。貴方は私の義兄さんなんだから」
苦笑して言った。
「でも、色々聞いて、そういうのも、傷付けたりとかしてた‥‥んですよね。その、貴方は私が好きだと‥‥さっきのクルエリティさんも言ってたし、ロスさんもそんな感じで言ってたし、システルさんもさっき」
「‥‥」
「もしそうだったとしたら」
あの奇妙な旅路を思い出す。
奇妙で、恐ろしくて、おぞましくて、時に楽しくて。
システルとシャイがディエを囲んで、システルを好きなロスが怒鳴って、ヴァニシュはそれを眺めていた。
何日か、何日か続いた不思議な日々。
「シャイさんはとても綺麗で、システルさんはとても可愛い。そんな素敵な女性二人に愛されて、ディエさんは贅沢ですよ」
可笑しそうにヴァニシュが言えば、頬にディエの手が触れて、
「お前がいいんだ」
そう、穏やかな声音で彼は言った。
「じゃあ、約束して下さい。システルさんに優しくしてあげて下さい。シャイさんを思い出す時がいつか来たら‥‥シャイさんにも優しくしてあげて下さい。もしかしたら、今のディエさんなら、二人からの愛情に気付けるかもしれない。もしそれでも本当に私がいいと思うんなら、その時は私もちゃんと考えてみます」
ヴァニシュが言えば、ディエはあの日みたいに、幼いあの日みたいに、笑ってくれて。
少しだけ、わだかまりが溶けたような、そんな気がした。
「考えてみますってことは脈があるんだろ?なら今すぐ抱いていいか」
「殺しますよ。脈はゼロに決まってんでしょ異常者め!今は義兄妹です。まったく‥‥さんざ見知らぬ女の人抱きまくって汚らわしい。異常者ってなんでそんな欲求不満なの?ロスさんを見習って下さいよ」
「犯った後、殺してるからいいだろ、異常者しか殺らないし犯らない」
「汚らわしい!」
「お前な、俺がどんだけ我慢してると‥‥お前のせいでこっちは」
「ああもう汚らわしい!そういうのやめてくれたら株が上がるのにな!」
「‥‥チッ。考えとく」
「‥‥ふふ」
ヴァニシュは吹き出し、
「なんか、昔に戻れたみたい。やっぱり私が自分のことしか考えてないからダメだったんだわ。あなたは今でもちゃんと、私の義兄さんだ」
「お前は昔のがかわいかったけどな」
扉から聞こえてくる声に、戻って来たリフェは息を吐く。
(誰かは知らないけれど‥‥なぜかしら。囚人さん、クルエリティ、それにこの二人。何か‥‥似たような感覚がするわ‥‥とにかく今は、マーシーちゃんに専念しないと‥‥)
マーシーが居る方の扉を疲労しきった顔で見つめた。
マーシーは一室のベッドで横になりながら、
「クッティ遅いなぁ。また、コアにも会いに行きたいなぁ。あーもうっ!寝てるの退屈ー!クッティのばかー」
自分の境遇をまだ知らないまま、友達が、クッティが迎えに来てくれるのを待っていた。
・To Be Continued・
毒菓子