嘘が生み出した真実
二人はようやく走る足を止め、荒んだ呼吸を整えた。
「こ、ここまで来たらっ‥‥大丈夫か?」
ロスは後ろを振り返り、男達が追って来ていないことを確認する。
「システル、大丈夫か?」
と、隣で上半身を曲げ、俯いて息を整えているシステルに声を掛ければ、
「ええ‥‥」
彼女はそう答え、顔を上げた。
鋭く透き通った空色の目が、ロスを捉える。先程までの弱々しい姿と違うそれに、ロスはごくりと息を飲んだ。
「シス‥‥」
「あの子は?」
名を呼び掛けて、システルはロスの背後を指差した為、ロスは慌てて背後を見る。
「へ‥‥?!な、なんだ、こいつ!?」
ロスは驚いて後ずさった。
背後には、ピンク色のTシャツと真っ赤なスカートを履き、お月様のようなまん丸な頭に、真っ白な顔ーー目も、鼻も、口も、耳も、何一つ無い子供のような背格好をした者が立っていて‥‥
それがシステルに近付こうとした為、ロスは咄嗟に身構えたが、
「待って」
システルが制止した。
「本物のあなたに、お願いがあるの」
それは、あどけない女の子の声を発し、
「助けてほしいの。お兄やんを、家族たちを」
「一体なんの話?」
システルは目を細め、それをーー少女を見据える。
「私は、助けてあげられないの。少しの手助けは出来るけど、ぜんぶ手伝えないの。でも、あなたは‥‥生きてる人で、本物だから。本物の、家族だから」
「‥‥?」
少女が何を言っているのか、システルもロスも当然理解できなかった。
「でも、家族だけじゃないの。あなた達の大切な人達も、もう巻き込まれてるの。本当は私たちだけの問題だったけど、あなた達も、赤髪の魔女の物語に入り込んでいる。だから、あなた達ももう、関わっているの」
「赤髪の‥‥魔女?」
システルとロスは同時に言い、
「もしかして‥‥」
「まさか‥‥」
二人で顔を見合わせる。だが、そこでロスは、ハッとした。
「ちょっと待てよ、システル‥‥お前、まさか、記憶が‥‥」
先刻もディエの名前を呼んでいたし、何より先程からどこか様子が違っていた為、まさかとロスは思う。
だが、システルはそれには答えず、
「ねえ、わからないわ。本物とか、家族とか、魔女とか。一体、あなたは何を言いたいの?」
問い質すように少女に聞き、
「それは‥‥魔王と魔女が昔‥‥」
説明しようとした少女に、
「だから、わからないからはっきり言って。大切な人達に、赤髪の魔女。よくわからないけど、ディエさんやママ、シャイさんも関わっているってことなんでしょ?細かい事情なんてどうでもいいの。ただ、あなたは一番に何が言いたいの?」
ざっくりとシステルは少女にそう突き付けた。
少女は俯き、しばらく沈黙を貫いた末に、
「最初に言ったように、助けてほしい。私の‥‥大切な家族を、皆の願いを‥‥」
か細い声でそれだけ言う。
「私達がディエさん達に合流したりしたら、あなたの家族を助けることができるの?」
「‥‥わからない。でも、そこにみんな、集まってるから。雪降る街に、みんな、いるから‥‥」
「そう」
システルはロスに向き直り、
「パパ、行きましょ。でも、雪降る街ってどこかしら?」
「えっ?し、システル?!ちょっ‥‥俺、話に着いていけてねえんだけど。そ、それ‥‥その子、知り合いなのか?」
「知らないわ」
「は?!だったらなんで」
システルは顔のない少女を見つめ、
「だってその子、私を見て泣いてるのよ。悲しさじゃなくて‥‥悔しさ?嫉妬?そんな目を、私に向けて、それでも私に助けを求めているわ」
「目?泣いてる?」
顔なんかないぞ、と、ロスは首を傾げて怪訝そうな表情をする。
システルは少女を見つめたまま、
「本当はあなた自身であなたが言う家族を助けたいのよね」
そう言ってやれば、少女は小さく頷いた。
「家族なんて、私はよくわからなかったけど、今ならわかるわ。以前の私は欲に呑まれ、自分のことしか考えていなくて、酷いことばかりしてしまったわ。でも‥‥何もかも忘れてしまっていた私のことを、パパとママは、見捨てなかったのね、見守ってくれたのね。だから、だからね、ああ、これが家族なんだって、思ったの」
システルは俯いたままの少女に微笑みを向け、
「パパはずっと傍にいてくれて、ママは遠くから私を想ってくれた。酷いことばかりしたのに、私を嫌悪せず、受け入れてくれた。だから、今の私にとって、家族って言うのはとても特別なものだわ。あなたの家族がどんなものかは知らない。でも、あなたが見ているものと私が見ているもの‥‥なんだか似ているような気がするわ」
「シス、テル‥‥」
今の彼女の心理を知り、ロスは滲み出た涙を拭わず、頬に伝わせる。
記憶を失った、嘘と偽りの時間。
それでもその時間は、記憶を取り戻した今のシステルの中に何かしらの変化をもたらしていた。
「ねえ、私はシステルよ。あなたは?」
システルは自分より遥かに背の低い少女の前に屈み、真っ白な丸い頬に手を翳して、まるで触れるようにした。間近で見て気付いたが、少女の体は透けている。
だが、システルは少女を見つめ、柔らかく微笑んだまま、少女の口からその名を告げられるのを待った。
(ねえ、お兄やん。やっぱり、お兄やんの本物の、妹なんだね)
少女は体を震わせる。それは、怒りや恐怖からではない。悲しみからではない。
「‥‥フェイス。私は、フェイス。家族の中では、あなたと同じ、妹だよ」
◆◆◆◆
宿屋の一室で、ヴァニシュは街の異変に気付いていた。
あの旅で見てきたものと同じ光景、臭い、色。
真っ白な大地が昼間から赤く染め上げられている。
ヴァニシュは魔女の老婆から貰ったペンダントを外し、部屋から出た。
そこで、ディエが「あいつは色々ややこしそうだ。お前は絶対かち合うなよ」と言っていた男、クッティと、少女マーシーが一階にある風呂場の方に向かって行く姿があった。
初めての顔合わせの為、マーシーは不思議そうにヴァニシュを見てペコッと軽く会釈をし、クッティの方はヴァニシュの方を見て首を傾げていた。
そのまま、二人は扉の先に消える。
ヴァニシュは特に気にも止めず、外に向かう。何か、胸騒ぎがしていた。
「ねえクッティ!今、女の人がいたね!誰だろう?ディエさんの部屋の隣から出て来たけど、ディエさんの知り合いかな?」
マーシーが女風呂の扉に入る前にクッティに言えば、
「ん?女の人?何を言っているんだいマーシー。誰もいなかったろう?疲れてる?」
「え!?いたよ!今!だってあたしがペコってしたらペコってしてくれたもん!」
「はいはい。じゃあ長湯しちゃダメだよ」
クッティは信じる素振りもなく、男風呂の扉を閉め、脱衣室に入った。
信じてもらえなかったマーシーは当然立腹して頬をふくらませ、そのままピシャリ!と、大きな音を立てて扉を閉める。
◆◆◆◆
街の外では、どこからこんなに人数が集まったのか。ヴァニシュが初めてこの街に辿り着いた夜‥‥それより酷い光景が広がっていた。
雪を踏めば、同時に飛び散った肉片や臓物までもがついてくる‥‥
そんな光景の先に、見覚えのある姿があった。
ディエと、赤髪の美しい女性ーーシャイの姿。
だが、なぜかシャイは酷く悲しそうな表情をして、まるで魔法みたいに姿を消してしまった。
「シャイさん!?」
ヴァニシュは少しでも話がしたくてその名を呼ぶがすでに遅く、
「何だ?知り合いだったのか?」
ディエが振り向いてヴァニシュに言う。
「ってかお前、帰れって言ったのにまだ居たのか」
なんてディエは続けるが、
(私もだったけど、義兄さんはまだシャイさんを思い出していない‥‥?)
ヴァニシュにはそれが気掛かりで、
「い、今の人と、何を話していたんですか?」
「別に何も。あっちが人の顔ジロジロ見てきてただけだ」
「‥‥シャイさん」
それを聞いたヴァニシュは、今しがたシャイが姿を消した辺りを静かに見つめた。
あの表情。
彼女は今でも、目の前に立つこの男を愛しているのだと、ヴァニシュには充分理解できた。
・To Be Continued・
毒菓子