天長の元へ1
空に浮かび、雲に覆われた、真っ白な世界…
そのはずであった。
「天界って言うより、地獄みたいだな」
そう、ユウタが言う。
ハルミナとユウタはレーツの力により、無事天界に飛ばされた。
ハルミナは天長が居るはずの城へ向かおうと進み、道中、なんの状況も知らないユウタに天界や魔界、現在の人間界の状況を、先刻ようやく話したのだった。
村人達が黒い影に飲み込まれたと聞き、話した直後はユウタは当然動揺する。
そして、
――助けが来るまでこの中に居ろ
そう言って、自分を銅鉱山に閉じ込めた腹違いの兄と、
――タイトさんのことだ。何か察してあんたを助けたんだろうぜ
そう言った、ジロウの言葉をユウタは思い出していた。
「じゃあ、ジロウが言ったように、奴は…何かを知っていて、本当に俺を助けたのか?わからないことばっかだ…」
ユウタはそう、困惑するが、
「でも今は、村のことも何もかも心配だけど、ジロウを助けないとなんだよな」
ハルミナを見て言う。
「ええ。ジロウさんを…そして、異変が起きつつある世界達を…」
ハルミナはそう言い、再び天界の現状に視線を戻した。
真っ白な世界は、真っ黒に埋め尽くされている。
無数の黒い影たちだ。
そして、天界に住む人々の姿が一つも見えない。
考えられることは、黒い影に飲み込まれたと言うことだけだ。
しかし、それらは活動を停止しており、置物のようにピタリと止まっている。
(さっき、銅鉱山でフェルサさんは黒い影の動きを操っている感じだった…)
ハルミナはそれを思い出していた。
「あ、あんたは…」
「え?」
ふと、声が聞こえて、ハルミナとユウタはキョロキョロと辺りを見回した。
建物の影に、ぐったりと凭れ掛かるように座り込む人影が見える。
「…エメラさん!?」
その姿を確認し、ハルミナは声を上げた。
「ひ、酷い怪我だな?!」
誰だかは知らないが、ユウタは叫ぶ。
エメラは身体中に傷を負っていた。
天使はそれぞれに治癒術を使えはするが、
「くっ…、自分で回復する力もなくてね」
今のエメラはそれも出来ない程、魔力を消費している様子である。
ハルミナはエメラの側に屈み込み、慌てて治癒術をかけ始めた。
その様子を、エメラは目を細めながら、
「あんた…異分子のくせに、治癒術なんか使えたのね」
「はい」
「しかも、あたし達の使う術とは違うわね…」
「…はい、私は魔界育ちですから」
異分子という言葉。
つい先日まではそれに怯え、胸に突き刺さっていたが、今のハルミナにはそれはなかった。
「何よ。やるじゃない、あんた」
治癒のスピードを見て、エメラは言い、
「それに、吹っ切れたような顔して、ちゃっかり髪まで切っちゃって、人間の男まで連れて…何よ、あんた、男がデキたわけ?」
そうエメラに言われ、
「違いますよ」
治癒術をかけながら、ハルミナは苦笑いする。
そして、彼氏扱いされたユウタは、
「ああ、俺は違うぜ。なんたって、ハルミナさんとは出会ったばかりだし、それに、ハルミナさんが好きなのはジロウだもんな」
悪意なく、素でそう言った。
「!?」
エメラの治癒が丁度終わり、ユウタの言葉を聞いてハルミナは慌てて立ち上がる。
「ゆ、ユウタさん?!わ、私がジロウさんをす、す、好きだなんて、いつ言いました!?なんでそうなるんですか!?」
見る見るうちに顔を真っ赤にしていくハルミナに、
「え?ああ、まぁ、ジロウは気付いてないだろうけど、端から見たらハルミナさんの好意はバレバレだと思うけど…ち、違った?」
「ぅ…」
真顔で言うユウタに、ハルミナは言葉をなくしてしまう。
その背後でエメラがため息を吐き、
「なーによ。あんた、ジロウ、とか言う人間に惚れちゃったわけなの?」
「い、いえ…その…」
否定できないハルミナに、エメラは少しだけ寂しい表情をして、
「…あの時のカーラの気持ちは、考えてあげたの?」
そう言うので、ハルミナは首を傾げる。
「あんたを人間界に行かせる時にカーラがあんたに言った言葉よ」
エメラに言われ、
――…君を愛しているんだ
ハルミナはその言葉を思い浮かべる。
「…リーダーのあれは、私と過ごして来て、家族みたいなものだと…」
「…バカね。違うに決まってるじゃない」
エメラの声が珍しく弱々しくて、ハルミナはギョッとする。
「カーラはね、あんたを助けた罪と、ラダンとウェルを庇い、今、牢獄に居るのよ」
「…え?」
「まあ、こんな現状で牢獄なんか関係ないし、カーラ自身も自分で出れるらしいんだけど、何か考えがあるのか出て来ないのよ」
それから、エメラは苦笑し、
「牢獄で一度、カーラと話をしたけど、もう、もうね。笑っちゃうくらいあんたへの愛しか話さないのよ、あのバカは…」
話しながら、とうとうエメラは涙を流してしまう。しかし、真摯な目でハルミナを見つめ、
「あんたが誰を好きになろうと知ったこっちゃない。けど、お願いよ。カーラの気持ちも、考えてあげて?あいつ…あいつね、もう長くないって、ミルダが言ってたのよ。きっとあいつ、あんたへの未練たらたらで、一人で死ぬつもりなのよ…」
そう話すエメラに、ハルミナは銅鉱山でフェルサと対峙した時の出来事を思い出した。
あの時に見えた、カーラがハルミナの為に魔力を分け与えた光景を…
「ねえ、小娘…いいえ、ハルミナ。あんたにならわかるでしょ?カーラがどれ程あんたを大切にしているか。だから、あたしじゃダメなのよ。カーラの想いを救えるのは、あんたしかいないの」
「…」
ハルミナは俯く。
フェルサは言っていた。
カーラはフェルサを愛しているのだと。
それに、ハルミナ自身、カーラの想いに答えられるような気持ちを確実には持ち合わせていなかった。
「エメラさん。今は、リーダーの話は置いておきましょう」
ハルミナがそう言うので、
「なっ…!あ、あんたねえ、カーラがどれだけ…」
「…約束します。後で、必ずリーダーには会いに行きます。あのリーダーですよ?長くないなんて、そんなことない。きっと、大丈夫」
「…」
ハルミナがそう微笑んで言うので、エメラは言葉を詰まらせる。
今までハルミナとまともに話すことなんてなかったが、それでも、以前までの彼女とは大分変わったことだけはわかった。
「…ええっと。流れはなんとなくしかわからないけどさ、とりあえず、今は状況確認だけしとかないか?エメラさん、だっけ?ハルミナさんから聞いた天界とまるで違うんだけど…この地獄のような光景、一体何があったんだ?」
罰が悪そうな顔をしながらも、ユウタが話題を変える。
エメラはどこから話すべきか考え、そして口を開いた。
ミルダとマシュリが黒い影を生み出していた根元だと言うことを。
そして、ハルミナが人間界に行った後から天長は行方不明であり、それに伴い、ミルダとマシュリが動き出した。
影武者の中身は黒い影で、ミルダとマシュリはそれをフェルサと呼んでいた。
人間と魔族を憎んでいたフェルサが黒い影と言う兵器を生み出す実験の発案者であり、そのフェルサを止める為に、昔、カーラがフェルサを殺した。
ミルダとマシュリはフェルサの意思を継ぎ、人間と魔族に復讐する為に、黒い影を生み出し続けている。
更には、天界、人間界、魔界の住人を黒い影にすると言い、言葉通り、天界は黒い影で覆われてしまった。
(私がフェルサさんから一通り聞いた話とほぼ一致する…でも、影武者の中身は黒い影でフェルサさん?銅鉱山で会った彼女は一体?)
ハルミナは考えるが、答えは出ない。
「ラダンはウェルと。あたしはマグロと行動してたんだけどね…途中、マグロがマシュリを見つけて追い掛けて行って…あたしは黒い影と戦ってあのザマだったわけ。でも、急にこうして黒い影の動きが止まったのよ」
エメラは言いながら、辺り一体の不気味に活動を停止している黒い影を見た。
「天長の声が天界中に響いたのよ」
「天長の?」
「あたし達、上級天使に城に集まるように言っていたわ。ついさっきなんだけどね…もしかしたらそれで、ミルダ達が黒い影の動きを止めたのかしらね」
そこまで聞き、ユウタがハルミナに顔を向け、
「ハルミナさん!」
「ええ、やはり、城へ、ですね」
ユウタとハルミナが頷き合うので、エメラは首を傾げた。
「ねえ、あんたは魔界へ行ったのよね?でも一体…」
尋ねようとしたエメラに、
「エメラさん、すみません。私達は急いで天長に会わなければいけないんです。状況は後程話します。なので、すみませんが転移魔術で城へ連れて行ってもらえないでしょうか?」
そう言ったハルミナにエメラは目を丸くする。
「ああ、あんたは一応、下級天使だから転移も出来ないのね。まあ、いいわ。気に食わないけど、今のあんたは、嫌いじゃないわよ」
エメラは言いながら、ハルミナとユウタを手招きした。
ハルミナは苦笑し、
「私も。エメラさんはもっと恐い人だと思っていました」
そう言うので、
「…ふん」
と、エメラは鼻を鳴らす。
「確かに、見た感じ気のキツそうな感じだよな。でも、天界の女性って、エメラさんみたいに綺麗な人ばかりなのか?」
そう言ったユウタに、
「褒めてるのか貶(けな)してるのかどっちよ」
エメラはそう言いながらも、転移魔術を唱えた。
そして、あっという間に光景は変わり、目の前には大きな城が聳(そび)え立っている。
「う、うわ。城なんてファンタジー世界みたいだな…」
人間界ではあり得ない光景にユウタはまじまじとそれを見上げた。
そして、三人は静かすぎる城の中へ入る。
見張りも何も居ない廊下を進み、目的の場所で立ち止まった。
大きな真っ白な扉。
天長の間へ繋がる扉である。
「もう、他の上級天使達は居るのでしょうか?」
ハルミナがエメラに聞けば、
「わかんないわよ。でも、カーラは牢屋に居るからここには居ないでしょうね」
と、エメラが言った。
「あの、エメラさん」
「何よ」
「ここでユウタさんと待っていてもらえませんか?」
「…。…はぁ?!」
エメラは当然驚く。
「ユウタさんはジロウさんの友人なんです。はっきり言って、この先で何があるかはわからない。だから、お願いします」
「ハルミナさん、俺も一緒に…」
「お願いです、ユウタさん。ジロウさんが目覚めた時、あなたに何かあったら、私は彼に顔向けが出来ない…」
「…ハルミナさん、そこまでジロウのことを……うっ、あいつの友達として泣けてきた」
「そ、そんなんじゃなくて…」
そんな二人のやり取りにエメラはため息を吐き、
「わかったわ。でも何かあったらあたしも中に入るから。あんたに何かあったら、こっちこそカーラに顔向け出来ないんだからね」
「エメラさん…、はい」
ハルミナは頷き、そして、扉に手を当て、王の間に繋がる扉を開いた。
床には真っ赤な絨毯が敷かれている、だだっ広い広間。
その中心の遥か先にある階段の上に、玉座があった。
天幕で上半身はすっぽりと隠れ、足元しか見えはしないが、威圧感を放つ存在。
そして、絨毯を間にし、ミルダ、マシュリ、ラダン、ウェル、マグロ、影武者…そして、スケルが立っていた。
ハルミナは驚くような一同の視線を浴び、でも、それに見向きもせずにつかつかと部屋の中央まで進み、
「天長、お話があります」
そう、その場に跪き、頭を垂れた。