天界の夜1
天界は夜を迎えていた。
夜の城内はどこか不気味である。
静かな廊下にはマグロの足音だけが響いていた…
「おや、マグロくん。任務は終わったのに何故こんな時間に城に?早く家に帰らないと、君の両親が心配するよ?」
掛けられた声に、マグロは足を止め、
「…マシュリ先輩こそ、こんな時間まで何を?」
そう、声の主に振り向きながら言った。
「私は残務処理だよ。これでも忙しいからね」
「…」
「ん?用がないなら本当に帰るべきだよ」
しかし、マグロは少し沈黙した末に、
「影武者に会わせて下さい」
「君はやけに影武者の件に突っ掛かるね。会わすも会わさないも、影武者は重要な場の為だけに用意する数合わせだからね」
「中身は、いつも同じ人なんですか?」
マグロの問いに、マシュリは「そんなことは天長しか知らないよ」と、答える。
マグロはしばらくマシュリを見つめ、意を決したように口を開き、
「じゃあ、質問を変えます。フェルサさんは、本当に死んだんですか?」
「……ウェルに聞いたのかな?」
マシュリはほんの一瞬だけ沈黙したが、すぐにいつもの調子に戻った。
「ウェル先輩は関係ありません。質問に答えて下さい、マシュリ先輩」
「…はあ。つまらないね、マグロくん。以前の君のがよっぽど良かったよ。扱い易い、と言う意味で、ね」
マシュリはそう言いながら笑い、ニヤリと笑ってマグロを見る。
マグロはマシュリの本音に僅かに心が痛んだが、それでも黙ってマシュリを睨み続けた。そして、
「フェルサ義姉さんは殺されたんだよ、カーラにね」
「……は?」
マグロはぽかんと口を開ける。
ミルダ、カーラ、フェルサ。
その三人は世界がまだ一つだった頃からの知り合いだとウェルは言っていたが…
「はい。それだけだよ。もういいだろ」
マシュリが言うので、
「まっ、待って下さい!な、なんでカーラ先輩が!?」
マグロがそう叫んだ所で、
「喋りすぎだぞ、マシュリ」
マシュリの背後からミルダが現れた。
「……あはは、ごめんよミルダくん。義姉さんは君の妻だからね、私がでしゃばって話すことじゃなかったかな?」
マシュリはそう言いながら笑う。
「マグロ。影武者の中身が見れたら貴様は満足なのか?」
「え…」
ミルダの言葉に、マグロはたじろいだ。
しかし、マグロの返答を待たずに、ミルダの側に影武者が現れて…
「まさか、本当に見せる気なのかい?」
呆れるようにマシュリが言い、
「どうせ見た所で、カーラと同じだ。何も出来んだろう」
ミルダが言った。
言いながら、ミルダは、頭から足元まですっぽりと影武者が纏っている白いフードを掴み、バサッ…と、それを剥いだ。
「え」
静かな城内に、マグロの僅かな声が響く…
「これで満足か」
ミルダに問われ、
「ど、どういう…」
マグロは影武者の中身にそれしか言えない。
それは、見覚えのある姿だった。いや、姿と言うのか…
「なぜ、なぜ影武者の中身が…黒い影なんですか!?」
近年、この天界に現れ、そして無差別に人を襲う、神出鬼没な、人の形をした真っ黒な影の生物。
「ミルダくん、どこまで話すつもりだい?」
「別に全部でも構わん。もう、明日には天界は黒い影で覆われるからな」
「まあそうだけど」
目の前で話す二人の会話に、マグロは疑問しか浮かばない。
「天界が、黒い影で覆われるって……何を…」
「まあまあ、マグロくん。落ち着きなよ。まずは影武者の話だろ?」
マシュリはニコリと笑い、
「影武者の中身のこの黒い影は、フェルサ義姉さんなんだよ」
「……フェルサさんは、カーラ先輩が殺したって…」
「そう。黒い影の実験をしているフェルサ義姉さんを止める為に、カーラは、奴は義姉さんを殺した。たった一人の私の家族を……アイツは殺したんだ!!」
「ま、マシュリ先輩?」
いつも冷静なマシュリが感情を露にしたことに、マグロは驚く。
(た、確か、マシュリ先輩は早くに両親を亡くし、フェルサさんがマシュリ先輩を引き取って、弟として一緒に暮らしていたって、ウェル先輩は言ってたっけ…)
とにかく、マシュリにとってフェルサは大切な存在だという認識は容易く出来た。
しかし、マグロには気になることがある。
「でも、さっきからどういうことなんですか?黒い影の実験って…」
「兵器を作る為さ。人間や魔族を根絶やしにするね」
「根絶やしに?!」
マグロの驚きを余所に、マシュリは話を続けた。
「義姉さんは憎んでいたのさ。私たち天使を空に追いやった人間を。長年戦い続けた魔族を。争いがなければ、私達はこんな空で暮らす必要は無かったのだからね」
「そ、それだけの、理由で…?」
マグロのその一言が気に食わなかったのか、マシュリはギロリとマグロを睨み、
「当たり前だろう?憎んで当たり前だ!!だから義姉さんは実験をしたのさ。人間が、ネクロマンサーがしたように、義姉さん独自の方法で、死体を……」
「マシュリそこまでだ」
と、そこで、ミルダはマシュリの肩を掴む。
「出て来い、貴様ら」
ピシャリと、ミルダは言い放った。
すると、
「……」
廊下の柱の影から、ラダンとウェルが姿を現す。
「ラダン先輩!?ウェル先輩!?」
二人の姿を見て、マグロは驚いた。
「こそこそと、あまり褒めれない趣味だな、貴様ら」
ミルダに言われ、
「ちょっと夜の散歩して、たまたまここに来ただけっすよ」
ラダンはしれっと言う。
しかし、ウェルが一歩前に出て、
「フェルサさんは、黒い影との戦いで命を落としたと言っていたではありませんか。カーラさんが殺しただなんて……それに、影武者の中身のその黒い影が、フェルサさん?」
フェルサのことを知るウェルは、疑問気にマシュリとミルダを見る。
「気が変わった。ここまでだ。貴様らに話すことはもう無い」
ミルダが踵を返す為、
「そ、それやったら、あいつに、カーラに会わせて下さい!」
ラダンが叫んだ。
「…カーラか。ははは」
「なっ、何がおかしいんですか」
ミルダの笑いにラダンが聞けば、
「奴も結局、愚かだったな。フェルサにも、異分子にも、首を突っ込まなければ良かったものを…」
ミルダはそう、嘲笑するように言い、
「奴はもう長くない。あそこで一人、死なせてやれ」
「……は?」
ラダン、ウェル、マグロ。
三人の声が重なる。
「ま、待ちなさいよ!カーラが長くない!?死ぬですって!?」
すると、どこに隠れていたのか、エメラまでもが現れた。
「おやおや、勢揃いか。君も悪趣味だね、エメラ」
「そんなことはどうでもいいのよ!」
マシュリの嫌味にエメラは苛立ったように声を荒げ、
「あたしは、カーラに何をしたのか聞いてんのよ!!」
「まさか貴様ら、気付かなかった……いや、何も知らなかったのか?傑作だな」
すると、再びミルダは笑う。
「気付かなかった?知らなかった?」
マグロが真意を求めるようにミルダの言葉をなぞるように言えば、
「異分子は天界の存在とはいえ、魔界の気をその身に宿してしまっている。あの髪の色が証拠だ。天使は魔界では力を出し切れず、魔族は天界では力を出し切れず…」
「どう?わかるかい?」
ミルダの話の途中で、マシュリが他の者に問うが、誰も答えは出ず…
「幼い頃に魔界に居すぎた異分子は、天使と言うよりは魔族に近い体になってしまっている。すなわち、天界で暮らすと言うことは、力を出し切れない、魔術の力が弱まる、怪我や病気になれば治りが通常より悪い、その他にもあるが、まあ、生き地獄に近いな」
「……そういや…」
すると、ラダンが何か思い出すように言い、
「カーラが嬢ちゃんを連れて来た頃、嬢ちゃんが高熱を出したとか言ってたな…」
「それがどうしたってのよ」
エメラが聞くと、
「そう、それが答えだ」
ミルダが言った。
「こ、答え……高熱で治りが悪い。最悪、死に至る?」
ウェルが言えば、
「うん、さすが最高の治癒術者。それしか脳がないが、さすがだね」
マシュリがパチパチと手を鳴らした。
「お、お前なぁ…!」
マシュリの態度にラダンが苛立つと、
「今回だけではなく、今後もそういった危機がある。カーラはそう思い、自分の魔力……すなわち命を異分子に注いだのだ。異分子が天界で難なく、普通の天使として生きれるように」
ミルダの言葉に、ラダンも、マグロもウェルもエメラも、沈黙する。
「しかし、モルモットはそのことを知らず。あはは、カーラも可哀想だよね。そのことを話していたら、きっとモルモットは離れて行かなかったのに」
「か、カーラの命が…」
マシュリの言葉など耳に入らず、エメラは声を震わせた。
「そういえば、カーラ先輩は、人間界への扉を開いた時も、ハルミナさんに魔力を分けていましたよね…」
「そう、それが僅かに残ってたカーラの命。だったかもね」
マグロの言葉にマシュリが笑いながら返す。
「奴自身、特殊な存在だったんだ。自分の為に生きていれば良かったものを」
ぽつり、と言ったミルダの呟きは、誰の耳にも入らず…
「尚更、カーラさんに会わせて下さい。治癒しか脳の無いわたくしになら、何か出来ることが……」
「もういいじゃないか。カーラはまさに命を懸けて愛した者を救ったんだ。その愛した者はもう天界には居ない。なら、未練だってないはずだろ?」
ウェルの言葉を遮って、マシュリが言い放った。
(そうなの?カーラには未練がもうない?本当に?)
エメラはぐるぐると考え、
――うん。もう会えないよな、きっと。寂しいね
あの、牢屋でのカーラとの会話を思い出す。
「いいえ違うわ。カーラは未練たらたらよ。未練だらけよ。さてはあんた恋愛経験ゼロね?」
エメラはマシュリに言った。
「ぷっ」
それに、ラダンが思わず吹き出し、
「そう、ですね。それに、フェルサさん、そして黒い影の話も詳しく聞かなければなりません」
ウェルが続いた。
「それに、マシュリ先輩に言いたいことや聞きたいことが、たくさんあるんです」
マグロが言う。
「こっちはもう話すことなんかないのにね。ミルダくん、どうする?」
「……」
マシュリはミルダを見ると、ミルダは影武者、フェルサだと言う黒い影に手を翳した。
すると、フェルサの体から黒い光が溢れて…
気付いた時にはもう、マグロたち四人は、無数の黒い影に囲まれていた。