夜明け前
ぬるい夜である。
ざり、と自分で蹴った地面の鳴る音でアルバートは目を覚ました。
辺りはすっかり夜に沈み、虫のさざめく合間に梟の声が響くほどだ。
はて、俺は一介の奴隷に戻ったのであったかと思い巡らしてようやく自分を囲う腕の温度に気づく。
服の上からでも分かるほど鍛え上げられたそれは、さもそこにあることが当然であるかのようにしっかりとまわされている。
ふと後ろへ体を預けてみた。
腕の主はうう、だか、んん、だかよくわからない声を立ててより強く抱き込んだ。
安心した寝床で眠る子どもの仕草である。
首を傾けて大きな子どもの顔を仰ぎ見る。
精悍な顔立ちには大きな傷跡が残っていた。彼に初めて会った時から変わらず居座るものである。
いつの傷かは知らない。
たまにそれが妙に腹立たしくなる。
アルバートは女と生きてきた。
彼の仕えた主人のほとんどは女で、残りは野心家と好事家であった。
彼女たちは総じて柔らかく美しかったが、総じて哀れであった。
無理もない。常に誰かに焦がれ、同時に妬むのだ。そんなんじゃ擦り切れるにきまってる、とアルバートは思う。
擦り切れた彼女たちは趣味嗜好から人間関係、果てはその寝室事情まで知りたがり、挙げ句の果てには恋敵の息の根を止めるまで止まらない。なんてこともなかったとは言えない。そのために使われることには慣れっこだった程度には。
擦り切れてしまう、と思う。
このままでは、彼女たちが自分に命じた時のあの声の震えを理解してしまう。
そこまで考えると、息の詰まる思いで瞼を下ろした。
夜は未だぬるいままだ。
何を求められているかなんてとっくの昔にわかっていて、それに応えてやるのが奴隷の仕事であることもわかっている。
しかし。仮にこの暴君がこのまま自分に入れ込んで、伴侶にこの貧相な男を選ぶような、そんな不幸があるだろうか。
眠るなら男ではなく女を抱いて、柔らかく優しい歌声に微睡む方が良い。彼なら娘であれ息子であれ溺愛するだろうし、大変有望な人物に育てるだろう。彼に似合うのはそんな生活だ。貴族らしくおおらかで寛大な、愛する人々に囲まれた生活。
そこにいるアルバートは一介の使用人でしかない。
本来ならそれが当たり前なのだ。
悲観的な思考を振り払うようにため息をつくと、未だ健やかに眠る主人を仰ぎ見る。
未来がどうであれ自分には仕事がある。
まず目の前の仕事は、朝食に間に合うように屋敷に戻ることだ。
アルバートは、主人を起こすべくいつものように口を開いた。
本当に久しぶりに文を書かせていただきました。
企画に参加中のアルバートの軽いお話です。
突然お借りしてしまった謝罪とお礼を花梨様に。
外町れみし