銀貨と白百合
気が付けば書斎には白い花が生けられていた。
豪奢な造りの部屋にすらりと立って、少し首を傾げてこちらを見上げるている。
彼女の笑顔が頭を過って、俺は少しだけ唇を歪めた。
「旦那様、セグレート候がお見えです。」
「お迎えしよう。紅茶を。この間カンシオンが寄越した菓子も一緒に頼む。…ああそれと、チェスを一式、こちらへ。」
一礼してみせた小間使いの眼に少しの怯えが走ったように思えたが、俺がそれを捉える前に彼は部屋を出て行ってしまった。
政変以降、この国は変わったという声は国内外問わずよく聞く。
事実、教皇の独裁など今や過去のものだ。それも全て若き王妃様のお蔭だと宣う輩はどの階級にも居る。この俺もそんな輩の一人に数えられていると思うと笑えてくるのだが。
先ほどの少年が手早くチェス盤をセッティングし始めた。上品な木目を目で追いながら、俺はゲームの様子を克明に思い起こした。
真っ白なクイーンが真っ黒な陣営に突っ込んで行く。既にキングを倒された白の女王は残された僅かな駒を使って快進撃を始めた。守る王を持たぬ彼女の細い脚が真っ黒なビショップを蹴倒す様を、俺はぼんやり眺めるだけだ。
机に目をやると、客人を呼ぶには散らかり過ぎていることに気づく。少年がおずおずと書類を束ね始めたので、それを止めて自ら手を動かす。
少年を下げる頃には盤上の戦争は終わりを迎えていた。女王の周りには白い駒と、生き残った少しの黒い駒が集まっていたようだ。
砂糖に群がる蟻によく似ている。
気持ち悪い。
彼が来るまでにはもう少し時間がある。
俺はいつもの本を手に取ると、俺はページを捲り始めた。
異国の教典だ。
かの国では商人とは背教者の職業だという。なんでも、教祖を敵に売ったのが商人あがりの気弱な男だったとか。その男が、俺のお気に入りの登場人物だ。
きっと悩みに悩み、夜も眠れず、食も通らず、精神の擦り切れる思いをして震える手で銀貨の袋を受け取ったのだろう。
その気の狂いそうな苦悩が俺には心地良い。
男が許しを乞う一説を読みながら俺はまた唇を歪めた。
控えめなノックが響く。
ゆっくりと扉が開く。
不敵な笑みを浮かべる客人に俺は一礼してみせた。
なあユダよ、君は独りだったから失敗したのさ。
俺は君の失敗を嘲笑うようなことはしないぜ。
「ようこそ、セグレート卿。」
エドワード(えんぺると♂)の独白
一年ほど前に書いた文を手直ししたもの。
オルディネさんを貸してくださったキルコ様に感謝を込めて。
外町れみし