遠くで潮騒が聴こえる。

 

白杖で確かめながら歩いていると
遠くから駆けてくる
聞き慣れた足音がした。

僕の後ろまで来ると
一旦息を整えて
僕の前へと回り声を掛ける。



「赤司。」

「こんにちは、真太郎。」

「手を掴むのだよ。」



僕が小さく頷くと、
真太郎はゆっくり
僕の腕に触れ、
下におろした自らの肘の
少し上辺りを握らせた。
うん。ここまでは完璧。






僕は目が見えない。
先天性のものではなく、
病気が原因の後天性。

バスケが出来なくなって
荒れ果てた僕を
キセキの皆は根気強く向き合ってくれた。
中でも親身になってくれたのが
副主将だった緑間真太郎だった。

真太郎は僕を少しでも支えようと
晴眼者の勉強をしたらしい。
おかげで真太郎と居る時は
見えないのにも関わらずスムーズに事が運ぶ。


真太郎は、
やはりというか何というか。
変わった男だった。

言葉遣いは変だし愛想はない。
余り笑わず何時もおは朝に夢中。
自身の事には無頓着なのに
僕が怪我をすれば大騒ぎ。
不器用だけど
優しい優しい真太郎。

そんな真太郎に、僕は惹かれた。
伝えようとも思わなかったけれど
誰より近くに。
傍に、いたかった。



でも、今日でお別れ。
今日で最期。
僕は明日、米国へ発つ。
視力が戻るかも知れない、
僅かな希望に縋る為に。






「…?真太郎、道が違う。」



真太郎と会った時は
僕を気遣かってか
決まって同じルートを辿り
駅近くの喫茶店へ入るのだけれど、
今日は既にいつも右に曲がる
交差点を過ぎていた。

掴んでいた腕を少し引くと
真太郎が立ち止まり、
振り向く感覚がする。



「悪いが。今日はちょっと違う所へ行きたくてな。
少し、付き合って貰うのだよ。」



そんなに遠くないから大丈夫なのだよ。
と、秘密を囁くように
真太郎が耳元で話すから
僕は顔が熱くなるのを感じながら
そっぽを向く。
そんな僕の反応が楽しかったのか真太郎は喉の奥で軽く笑い
再び歩き出した。












「…着いたぞ、赤司。」



真太郎の言った通り、
目的地に着いたのは本当に
あれから直ぐだった。



「…波の、音…?」



聴覚しか情報源がない僕は
微かに聞こえる潮騒を感じて、
真太郎の方へ振り返る。



「正解、だ。」



真太郎は僕の手を取り
ゆっくり歩き出すと、
足裏が硬いアスファルトの感触から
柔らかい砂のものへと変化した瞬間、
キュッと、可愛らしい音が鳴った。
吃驚して掴んでいた真太郎の
肘を強く引いてしまうと、
真太郎は安心させるように俺の頭を撫でる。



「鳴砂と言うらしいのだよ。これならお前も
…少しは楽しめるかと思った。」



夏らしい事、したいと言ってただろう?
そう言って僕の頭から
手を離して歩を進める真太郎は
何処か嬉しそうに砂を踏む。


夏が終わりに近付いたせいか
誰の声もしない砂浜で
真太郎が踏み締めた鳴砂が、
キュッ、キュッ、と可愛らしく鳴り響いている。
なんだかそれがとても
真太郎とは似合わなくて
思わず笑みが思わず零れた。



「もう少し海辺へ寄ってみるか。」

「…うん、」



誘われるまま真太郎の手を握り
海辺へと足を運ぶ。
片足ずつ真太郎に靴を脱がして貰って
触れた海は擽ったくて、
そういえば海に来るなんて
病気になる前以来だったと気が付く。
海は好きだった。

暇さえあれば海へ来て
何ともなしにただ海をずっと眺めて。
夕方の、海と空が同化する瞬間が好きだった。

視力を失って一番辛かったのは
その景色をもう
己の瞳で写し出せないという事実。

でも今は、
海よりも
真太郎の顔が見たい。

夕焼けを浴びながら
綺麗な深緑色の髪は
どんな光彩を浮かべてるのか
どんな瞳で
どんな表情を浮かべるのか。






「赤司…っ?!」



真太郎が急に驚いたような声を上げて
かさついた細いのに節くれだった手が
僕の頬へ触れて濡れる。



「し、んたろ…っ」

「赤司、」



何にも映さなくなった瞳から
零れ落ちる雫は無視して
すっかり冷え切った掌で
真太郎の顔を撫でる。
指先から感じる真太郎の顔、
表情は朧げで切ない。

涙を零し続けながらも僕は
真太郎の顔に触れ続け、
真太郎は何かを察したのか
何も言わずに僕を
強く抱き締めてくれていた。









僕が漸く落ち着いたのは
陽射しがすっかり傾き、
夜を告げる風が肌寒く
秋が近い事を知らせている頃だった。



「し、真太郎…?」



僕は落ち着いた。
落ち着いたのだけれども、
真太郎は僕を抱き締めている
腕を離そうとはせず、
寧ろ先程よりも強い力で
抱き締めてくる。
折角落ち着いたのに
激しい動悸が身体を支配していく。
お願いだから離して欲しい。



「赤司、」



願いが通じたのか真太郎の
腕から力が抜け
ホッとして上を向いた瞬間、
柔らかくて温かいものが
口唇にあたった。




「しん…っ」

「本当は伝える気なんてなかった。
お前は明日米国へ行ってしまうし、
お前の気持ちも解らなかったから…。
でも…、」



そんな涙を見せられたら
期待せずにはいられないのだよ。



そう言って真太郎は
僕の頬を両手で包み込み
もう一度
己の唇で僕のそれを塞いだ。
先刻のような一瞬ではなく、長く。
そして深く合わさった口唇に
痺れたように身体が動かなくなっていく。



呼吸が上手く出来なくて苦しい。
意識が朦朧としてきて
真太郎の腕に縋り付くと
漸く真太郎は口唇を解放してくれた。

呼吸を整えるために
深呼吸を繰り返す僕の顔に
真太郎は小さなキスを繰り返す。
気恥ずかしくて真太郎から
顔を背けると、
真太郎は耳に唇を寄せて囁いた。



「好きだ。」








失った光も、
失った景色も。
全てが
君にを手に入れる為に
必要な対価だったのなら
それでいい。

でも、
神様、どうか。
彼だけは奪わないで。


 





遠くで
潮騒が聴こえる。





 













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