隣の席の赤葦くん 上
「よろしくね、苗字さん」
夏の日差しが厳しさを増してきた頃、私のクラスでは最初の席替えが行われた。教卓前に立つ先生の視界の端で尚且つあまり周囲の視線を感じない席、要は窓際の一番後ろを希望した。でも最上級の席はもちろん競争率が高く他クラスでは公平にくじ引きやじゃんけんで決められていると聞いたことがあったが、今年はなんだか運が味方をしているようで見事、厳正なるくじ引きの結果、その席を獲得することができた。あとは隣の人がうるさすぎなく、仲の良い友人だったなら完璧だったのだけれど流石にそこまでは運も面倒を見きれなかったらしい。
徐々に自分の新しい席に着席していくクラスメイトを眺めていると、私の隣からも椅子を引く音が聞こえ、ちらりと気づかれぬように視線をやるとそこには、去年から同じクラスにも拘わらず話したことは二、三度程度しかない赤葦くんがいた。
「……うん、よろしくね」
切れ長の目を微かに細めて挨拶をする赤葦くんに返事をしつつ、私は十数分ほど前の自分の選択を後悔していた。なぜ窓際の席を選んでしまったのだ、と。理由は単に彼に苦手意識を持っているからだ。赤葦京治という男は別に強面の顔立ちとか言葉遣いが粗暴で、誰からも怖がられているとかそんなものではなく、むしろそれらとは無縁な性格をしている。男女問わずクラスメイトは口を揃えて「大人っぽい」だの「真面目だよね」だの彼を高く評価していて、私も大いに頷けるしこれが苦手な要因ではない。ではなんなのか。私が持つ苦手意識の理由を誰かに話せば十割の人間が首を傾げ、私の気にしすぎだと逆に赤葦くんを擁護するような話になってしまう。
「おれ、何かしたかな」
「どうして?」
「人一倍、線を引かれてるような気がして」
……これだ。私は他人への態度を前にも変えたことがある。けれどもその変化に誰一人として気づかず、今回も些細な綻びさえ取りこぼさないようにしていたというのに、彼は私を見透かしたように核心をついてくる。
苦手だと自覚した日からほんの僅かに私は彼から距離を取るようになった。とるとしても、周りが気づかないように神経をすり減らして、うまい具合に赤葦くんと会話をしないようにしていただけだけども。
「……気のせいだよ、でもそう見えたならゴメンね」
「いや、大丈夫」
そう言ってようやく視線を黒板へと向けた彼にひとりほっとしていると、彼は「おれさ」と零す。一応まだ授業中のため続きを促すように首を傾げれば、赤葦くんはこちらを一度だけ見て、
「苗字さんとは去年から仲良くなりたいと思ってたんだよね」
本日最大の爆弾を落としたのだった。その言葉が言い終わった直後にチャイムが鳴り、この授業が最後だったために生徒たちが生み出す喧騒が耳に届いても、私は隣の席に座る男が発した言葉の意味を理解できずに、ぽかんと目を見開いて間抜けな顔を晒し続けていた。その間も赤葦くんは部活動に行くための準備をしていて、私が再起動したのは彼が机から離れる直前だった。
「ハァッ!?」
間抜けな顔と大きな声を認めた赤葦くんは珍しく笑いをこぼし、笑いを抑えるのに必死なようだった。すると今度は衝撃すぎて動けない私の近くに歩み寄り、男子の手にしては綺麗な指が何かのメモを私に押し付けてきた。咄嗟に受け取るとそこには綺麗な字で恐らくはLINEのIDが書かれていて。
これはあれですか……連絡先に追加して、連絡をしろというお達しですか……?
「じゃあまた明日」
最後の最後まで人のことを翻弄し続けた赤葦くんは大きなスポーツバッグを背負って教室を出ていった。一連の行動を見ていた者はおらず、未だに室内の喧騒は保たれたまま。一方私は彼の苦手意識にもうひとつ追加されていくのを他人事のように思えていた。普通にスマホを突き合わせて交換すればいいのにだとか、聞きたいことは山ほどあったはずなのに何も言葉にすることができずにただ息が吐き出された。
地に足がついていない感覚とは、まさにこのこと。目の前で繰り広げられた会話は変わりようのない現実で、残念なことに察しが悪くない私はとんでもない事実に気づくのだった。
「え……つまり、否が応にも話さなきゃならないってこと?」
自分に問いかけてみてさっと血の気が引いたのが分かる。別に彼のことは嫌いじゃないし仲良くしろと誰かが言うのなら努力はするが、やはり一度苦手意識を持っていると簡単には払拭してくれない。だから今までは色んな方法であまり関わらないように生きてきたというのに。
───梟谷学園高校に入学して二度目の夏。去年と同じく平穏に過ごそうと思っていたのに、今年は一筋縄では行かなそうな予感に、私は頭を抱えながら机の突っ伏してため息をつくのだった。どれだけ悩んでも席はもう決まってしまったし今更変更も認められないので、私が折れるしかない。
だいじょうぶ、だいじょうぶだ私。自らが折れて我慢して相手が満足するまで待機するのは得意だろう? それと同じだ、平常心、平常……、
「できるか!!」
ガンッ、と両手で机を叩いた音に驚いたクラスメイトの視線が集中していることに気づきながらも、そちらに注意を払う余裕なんか私にはなく本日二度目の、大きなため息をついた。
数十分前の私よ、選択はきちんと吟味した方がいいぞ。適当にふざけ半分で一等席を希望すると厄介なことになるからな。と過ぎたことを悔やんでも過去は戻らない。
これはもう諦めて明日からの会話を覚悟しなければならないのかもしれない……できれば御免被りたかったものであるけれど。
181106