3.2.1 で恋に落ちる



※高校生設定 ※景光の苗字が出ています


 その日は、何もかもうまくいかなかった日だった。

 例えばセットしたはずの目覚ましがまだ五歳の弟に止められてしまって遅刻してしまいそうになったり、うっかりローファーを左右逆に履いてしまったり、学校に着いたら着いたらで鞄の中に自室の机に置いていたはずの辞典が入っていたりなど。本当に厄日かと思うぐらいにツキに見放されていた。
 ああ、特に最悪だったのが昼休みのとき担任にノートを提出しに行った帰り、この学校では名を知らない人はいないほど有名な人物への告白現場に居合わせたことだろう。本来なら立ち入りが授業時のみとされている視聴覚室が開いているのはおそらく、五時間目の授業で使用されるからで。入口近くで会話しているふたりは私の存在には気づいていないが、このまま立ち去ろうとしたら気づかれかねない。
 それは少し……いや、とても困る。

「……悪い、おれ、好きなひといるから」

 決定的な断わりが立ちすくんで動けなくなっている私の耳にも届いた。それと同時に息を呑むような、女子生徒の声も。

「そう、ですか……」
「あと、おれ。あまりしつこいのも好きじゃない」

 しつこい。たぶんこの女子生徒からのアピールのことを指している。まあ当然だろう、他クラスである私にも彼女はある意味有名だった。B組に猛烈なアピールをする女子がいると、友人伝いに教えられた時思わず真顔になったものだ。それぐらい、彼女のアピールは凄まじかった。
 別に私には関係のないことだけど、部活の顧問である先生が問題視しているのを見るにこの言葉はかなりのダメージを伴って彼女に届いたことだろう。なんせ恋した相手から直々に『好きじゃない』という言葉をもらったのだから。
 あー……こりゃ明日大騒ぎになるぞ。

(……、いやいや、そうじゃなくて)

 私はそろそろ教室に戻りたい。戻って待たせている友人とお昼ご飯を食べなければ食べ損ねてしまう。時刻を確認すればちょうど昼休み終了まで二十分弱。
 はぁ、と息を吐いたとき女子生徒が飛び出すように廊下を走り去っていった。ああ、やっと終わった。

「……いるんだろう、苗字さん」

 終わってはなかった。

「逃げてもいいけど、きみ、短距離苦手だよね。それに男は抵抗されるほど燃えるから」
「聞きたくなかった情報をどうもありがとう何ですかね」

 がらりと引き戸が開けられ中から出てきたのは女の子に告白された男とは思えない無表情の男───私が高校で一番苦手な降谷零、同じクラスで隣の席でもある。何の因果か分からないが所属する委員会ですら一緒という非常に迷惑な腐れ縁だ。

「おれが告白される前からここにいるだろう? だったら何を思っているかなんて分かっているはずだ」

 何を思っているか───。確かに私はそれをよく知っているはずだった。何故なら、

『好きだ』

 私は、

『おれと付き合ってほしい』

 二週間前に彼から告白されているのだから。
 そしてそれを私は断っている。理由はひとつではないし本人に伝えるつもりもなければ誰にも言うつもりはない。
 そこからだろうか、降谷くんからのアプローチが激しくなったのは。
 振られたなどと周りに言っているような素振りはなかったけれどその顔の良さを生かして隣の席を確保したり、委員会なんて私の意見を聞かずに「先生、苗字さんとやります」とかなんとか言って勝手に決めてしまうし。彼の幼馴染みである諸伏くんは何故か微笑ましそうな、どこか苦笑いの表情で降谷くんの行動を止めるわけでもなく見守っていた。いや止めてよ。

「……いくら言われたって、私は降谷くんとお付き合いするつもりはないよ」
「どうしてだ?」
「目立ちたくないもの」
「目立つ? どうしておれと付き合うことが目立つことに繋がる。……ああ、周りの人たちのことか。気にしないでいいじゃないか」
「私が気にする」

 降谷くんは心底「わからない」といった表情で私を見ている。

「どうしておれと苗字さんのことで周りにとやかく言われなきゃならない?」

 大変ごもっともな回答を頂いてしまい、私は何も告げれずに唇を噛む。
 まただ。いつも降谷くんは真理をついてくる。人が自然と逃げ出してしまいそうな正しさをいつまでも失わずに、生きてきた証とでも言おうか。
 それが、私は何故か酷く苦手だった。あの全てを見透かしているような海色の眼に囚われたら最後、今までの自分を見失ってしまいそうで。

「……それは、そうだけど」
「おれにはきみのことがわからないよ」

 困ったように笑うこの表情は、決して他の人間には見せないもの。正確には、私と諸伏くん以外には見せない、であるが。

「五時間目が近い、戻ろう」

 ずっと不思議に思っていることがある。

「おれは諦めないからね」

 どうして降谷くんは私のことを好きになったのだろう。

***

「名前ー?」
「なに」
「うわ、何その顔。死んでる?」
「死んでないよ、ちょっと悩んでて」
「恋の悩み?」
「ちっげぇわ」

 その後、全ての授業を終えて同じ部活仲間である友人と帰路についた。相当悩んでいたらしく彼女から指摘受けてしまった。人の変化には鈍いって有名なのに。本人には言わないが。

「でさー、長谷部さん。こってり絞られたみたいだよ」
「はせべ……ああ、降谷くんのことが好きなイケイケ女子?」
「うん、うちの部員が見たらしくて、剣道部の顧問の先生って生徒指導の先生でもあるでしょ? 多目的室で怒られているところを見たみたい」
「へぇ」
「興味ない?」
「降谷くんと長谷部さんと接点がないからね、何聞かされてもへぇとしか言えないよ」
「そっか」

 直接的な影響はないとはいえ、あれ以上の騒動を起こすとなると将来に関わりかねないと思う。長谷部さんも流石にいっときの想いである恋心を将来より優先することはないだろう、そう思いたい。またそれが原因で彼からネチネチ言われるのは勘弁である。
 商店街を抜け交差点で友人とはお別れだ。

「じゃあね名前。私が言うことじゃないけど、きちんと考えてあげたら」
「おー、善処するよ」
「その善処はいつするのかな」

 クスクス笑いながら帰っていく後ろ姿を見送り、私は人知れずため息をついて自宅への道のりを歩き始めた。交差点を左折して信号を渡りきれば家はもうすぐ目の前だ。今日は色々あって疲れた、早く帰ってゆっくりしよう。
 ……と、したのだが。

「やあ、苗字さん」
「おー今帰りか」
「なにしてんの。ふたりとも逆方向でしょ」
「いや、ゼロがどうしてもって言うから……」
「そこはもうちょっと頑張ってくれ幼馴染みどの」

 家の手前にある公園の入り口に、目立つ容姿の二人が見えまた再びため息をついた。なぜこうも普通に日々を過ごさせてはくれないのか。きみたち、前世で私が迷惑かけました? それなら謝るから見逃してよーーー。
 というか、なんで私の家を知っている。怖いよ。

「ああ違うよ。きみの忘れ物を届けるために先生に聞いたんだ」
「個人情報保護法どこいった」
「さあ」

 せんせい……。

「まあまあ、いま渡せられたら無問題モーマンタイだろ?」

 私と降谷くんを見かねた諸伏くんが助け舟を出し、彼から忘れ物というノートを受け取ろうと手を伸ばしたとき、

「……降谷くん?」

 そのノートは、降谷くんの手から離れなかった。いや、渡してはくれなかった。
 おっと? これは嫌な予感がプンプンするぜぇ?

「いつもきみは逃げる。だからちょっとこれは利用させてもらうよ、少し話をしようか」
「ノートが絶対に必要とかじゃないから……」
「ま、まあまあ苗字さん! ちょっとだけでもいいから話を聞いてやって! じゃあオレ帰るから! ゼロ、きちんと話すんだぞ!!」

 そんじゃ! とダッシュで走っていく諸伏くんにあっけにとられながらも目の前で苦くも安堵したような笑みを浮かべる降谷くんに、私は承諾の意味を込めて頷いた。たぶん、ここで頷かなければもっとアプローチが激しくなるのは確実だ。ならいっときの恥を偲んでついていったほうが、未来のためである。

「おれはね、」

 夕時に流れる音楽は既に鳴っている。それに比例して子どもたちの影が見えない公園に入り、私たちはブランコに並んで座った。

「小学生のとき、よく馬鹿にされていじめられていたんだ」
「いじめ……?」
「苗字さんが思っているようないじめではないよ、ほら、おれの髪の毛はあまり見ないだろ」

 だからよく怪我をしていた。そう続ける降谷くんの目はここではないどこかを懐かしそうに見ている。

「あのときも怪我の痛みで泣きそうになって公園の遊具の側でうずくまっていたら、女の子が来た」
「その子は、持っていた絆創膏を貼ってくれた」
「おれの髪や目を馬鹿にせず、挙げ句の果てには『きれいだね』と言って撫でてくれた」

 ───嬉しかったんだ。

「覚えてないならそれでいい。でも、おれは小さなときからきみのことが好きだったんだよ」
「……ぜんぜん、おぼえてない」
「だろうね。なんせきみは迷子になった果てにたどり着いたんだから」

 だけどね、と続ける。

「おれは、見定めた獲物をみすみす逃すつもりはないよ」

 そう言って彼はぶらんこから立ち上がり、私の前に跪いて左手をとった。
 触れられた手の温かさが、なんだか懐かしいと思ったのはなぜだろう。

「もう一度言わせてくれ」

 深呼吸を何度か、目を瞑ること数秒。降谷くんは私を見た。

「苗字名前。おれはきみが好きだ。今はまだ好きになってもらわなくても構わない。だけど覚えておいて、いつかきっときみを好きにさせてみせるよ」

 夕日をバックに佇んで愛の言葉を告げる彼が眩しく、自分でも訳がわからないぐらいに気持ちの整理がつかない。
 でも、これだけははっきりと言える。

 わたしは、
 降谷くんの言ったとおりに絶対彼を好きになってしまうんだろう。と。


181030






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