ちょっと推しに告白されたんですが



 画面の向こう側であればきっと、興奮して叫んでいただろう。それぐらい、目の前で綺麗に微笑む男の言葉は魅力にあふれていた。

「──……いま、なんて」

 どうか冗談であってくれと柄にもなく心の中で全力で願うが、男──安室透はその笑顔を貼り付けたまま、そして、テーブルの上に置かれている女の手を離す気配もなく、こう言った。

「ですから、僕と付き合っていただけませんか」

 自信が常にある安室のことだから告白も自信を持ってするのだろう。だが、これはどういうことだ。なぜ、自分が告白されている。訳がわからない。その気持ちが顔に出ていたのか、安室は目を細めて笑い、すみませんと言う。なら今すぐ手を離してほしいところだ。
 頬が引きつりそうになりながら、意識が遠のきかけた瞬間、それを繋ぎ止めるかのように周囲の悲鳴が耳に届いた。


「名前さん?」
「……どこにですか?」
「やだなあ、そんなベタな返し方は求めてませんよ。恋人関係になりませんかって言ってます」

(ですよねーー!!ウン知ってた!!)

 と大きく心で叫んでも誰も気づいてくれるわけもない。名前は握られている方の手とは逆の手でオレンジジュースを持ち口に運ぶ。だけどそれだけで混乱は落ち着いてはくれず、混乱しすぎてスマホを落としてしまった。向かい側で驚愕に目を見開いているコナンに助けを求めるように視線を送るが、彼はあくまでも何も知らない無邪気な小学生を演じているようで何も口を挟んでこない。

「僕のことが嫌いですか?」
「なわけ……」
「そうですか」

 ない。と言い切る前にその意を汲み取った安室は酷く安心したように顔を綻ばせた。正直に言って安室さんかっこいい。顔がいいのだから容易にそういう顔はしないでほしい。危うく惚れかけるだろう。もう惚れてるけど。
 ……って、そうではない。
 そろりと横目で見上げれば、黙り込んだ#浅乃#をじっと見つめるアイスブルーのふたつの瞳。そこに映る自分の表情はとてもじゃないが見せられたものではなかった。目の前の人が何を考えているのか分かるはずもないし知りたくもない。

(困ったな……)

 恋人は居ない。将来を約束した、そんな運命的な男の子もいない。事実、この歳になるまで付き合っていた男性の数は片手で収まる程度だ。つまり、察していただきたいが、名前は男性経験が少ない。無知な自分であれば悲鳴を上げて、もちろんこちらこそとか言っていたのだろうが、そうはいかない理由がある。

 苗字名前は、この世界の人間ではない。この事実を知る人間は本人以外誰一人としていない。いるとしてもいたずらに彼女を呼び寄せた本人か。そしてずっと行ってみたいと遊び心でのたまっていた世界の中にいたなどと、普通に聞いていれば頭を心配されること間違いなしだが、本当のことだった。
 これを話す気もなければ話す理由もないだろう。そう思ってそれなりに交流を深め、生活していた矢先の、冒頭の告白だ。混乱するのも無理はない。

(いや、単なる恋愛感情であれば私も喜んで了承したと思う。彼を振ったらどれだけの面食いなんだよと自分でも殴るよ。でも、なあ)

 この上に事務所を構える私立探偵、毛利小五郎の一番弟子を名乗り、喫茶ポアロのバイトをしながら探偵業をしている安室透は、誰にも言えない秘密があった。そして名前は、それを、知っている。

(黒の組織に潜入中の、公安警察官で、トリプルフェイスだし)

 本名は降谷零であること、所属は警察庁警備局警備企画課「ゼロ」であること、世界に数多の取引先を持つ犯罪組織、ようは酒樽組織に潜入してる捜査官であること。それら全てを一般人である#浅乃#は知っていた。理由は簡単。元の世界で物語として描かれていたから。これほどまでに簡単な説明はない。───尤も、そんなことを安室の前で喋ってみた時が名前が死ぬ時だろう。いや、彼から引き金を引かれるよりも組織から瞬殺されるか。
 いずれにせよ、自らの頭にある知識は決して誰にもあかせない秘密である。

「別に返事を急がせる気はないんですよ。僕は想いを伝えられただけでも十分ですから、ね」
「は、はあ………」

 するりとようやく手を離した安室は完璧なウィンクを名前に向けて放ち、他の客のもとへと向かった。握られていた手にはまだ彼の温もりが残っていて、それが今起きたことが夢ではないことを痛烈に示しており、名前は火照った頬を冷ますために残っていたジュースを一気に押し込んだ。
 好奇と、若干嫉妬を含んだ目が自分に集まっていることは百も承知だが、構っていられない。
 安室透が苗字名前を好いているか否かで答えるならば、恐らく好いてはいまい。それぐらいは判別はつく。瞳に滲ませる好意の裏には懐疑の色があるのを、名前は見逃さなかった。彼の思惑を自分なりの解釈で言うとするならば、

(挙動不審な奴を偽物の愛情で絆させてペロリと(物理)頂いてしまおうってか)

 なにそれこわい。と両肩を抱いてしまうのは許してほしい。コナンからの不審者を見るような視線はなかなか堪えるものがあるけれど。

「……ねえ、名前姉ちゃん」
「ん?なにかな」
「安室さんとあのとき以外で会ったことあるの?」
「あー……二、三回ぐらい。外で偶然」
「へぇ……」

 数秒の沈黙。まじか、そっちから話を振ってきたのにそれ以上話を広げないんかい。突っ込みたくなったが抑え、中断していたハムサンドを食べすすめていく。
 だって理由が見つからないのだ。たった二度三度話しただけで彼のお眼鏡に叶うとは思えないし、怪しげな言動もしていないと思う。

時間は、数週間前に遡る。

***

「あれ、コナン君」

 背後から聞こえた、自分ではなく隣で手を繋いで歩いている少年の名を呼ぶその声に、肩がビクついてなければいいと願う。同行している子が呼ばれたので不自然に思われない程度に振り向くと、やはりというべき人物が買い物帰りなのか、どこかのコンビニのロゴが記されているビニール袋を持っている。
 焼けた褐色肌。小麦色の髪。タレ目で柔らかい光が宿るアイスブルーの瞳。間違いない。トリプルフェイスの優秀捜査官、降谷零だった。

「安室さん!ポアロのバイト?」
「うん、そちらの方は?」
「この人は苗字名前さん、偶然会ったんだ。ね」

 偶然。あれを偶然の産物で片付けていいのかかなり迷うのだが、名探偵がそう言っているのだからここはそういうことにしておいた方がいいだろう。
 安室も挙動不審な態度さえとらなければ不審には思うまい。頭の中でそう結論づけ、視線を合わせるように屈んだ安室と向き合う。

「安室透といいます。よろしくお願いしますね」
「苗字名前です。どうも……」

 自然な流れで会釈をし、なんとかして頬が緩まないのを懸命にこらえて一歩後ずさる。これでどうにか人見知りだと勘違いしてほしいところだ。#浅乃#は安室の鎖骨部分に目線をやりながら、内心は早く何処かに行きたいと叫びつつも推しに話しかけられたことに興奮を隠せない。

(うわ…………こここ、これが、本物のイケメン、ってやつ……?)

 その日は顔合わせだけで終了し、互いの用事のために別れ名前もコナンと共に毛利探偵事務所へ出向く。
 最初の印象は「漫画のイケメンそのもの」だけだ。
 毛利小五郎と挨拶を交わし、立て込んでいる仕事を片付けるために出かけていった彼を待っているときにコナンから「安室さん苦手?」と問われた件については黙秘したいと思う。
 家に戻って推しに出会えたことに顔がにやけながらも、明日のバイトが早朝からだということに気づいて急いで支度をしてベッドに潜り込んだ。

 その三日後。ショッピングモールで買い物を楽しんでお手洗いに行った友人をレストルームで座っていると、右頬にひんやりとした感じがあって肩が跳ね上がる。

「あっ……安室さん!?」
「こんにちは、お買い物ですか?」
「え、ええ。大特価セールって聞いたら友人が食いついて……」

 頬に触れさせた正体は冷たいお茶だったみたいだ。お礼を言いつつ受け取り、一口飲む。隣に腰掛けた安室の服装はグレーのスーツが常の“降谷零”でもなく、返り血や様々な汚れがついても目立たない黒を基調とした服の組織の探り屋“バーボン”でもなく、探偵で喫茶ポアロでバイトをするイケメンの“安室透”でもないような、白のワイシャツに落ち着いた色合いの上着を着用していた。
 もとの素材がいいと何着ても似合うんだなあ、とちらちら視線を向けていれば、安室は気づかないはずもなく困った笑みを向けてきた。

「そんなに見つめられると照れますね」
「あっ! い、いえ、すみません………でも安室さん、こんなもの慣れっこではありませんか?」

 こんな顔がいい男、大学の同期の子は放っておかないだろう。自分の顔がいいことを自覚しているこの男もかなりの数の女と遊んだはずだろう、という意味合いも込めて問えば、安室は鼻の下をさすり、悪い笑顔を浮かべた。

「そう見えますか? 苗字さんは真面目そうですよね」
「あー……まあ、勉学が忙しいので」
「ああそういえば、おいくつですか」
「今年で二十一になります」
「大学三年生か」

 とりあえず大学は出とけという両親からの願いから通っているが個人的に勉強は嫌いではないし、なんなら資格も検定も積極的に取得していたと思う。
 何をしにここへ来たのか訊ねれば、久しぶりの休日で衣類を見に来たらしい。

「苗字、おまたせー……って、どちら様?」
「あ、えーっと」
「では苗字さん、ご友人がいらっしゃったみたいですし僕はこれで。今後とも喫茶ポアロをご贔屓に」

 さらりと自身がアルバイトをする店舗の宣伝をする安室にちゃっかりしてるなあ、これが世間で言うスパダリと言うやつか。去り際に会釈をして完璧なスマイルを浮かべる安室に友人は顔を紅くさせてあの人誰!? 知り合いなの!? と問い詰めてくるが、こちらも彼の一挙一動には心臓が痛い程に暴れているから紹介もままならない。

(……え? それだけだよね?
たったそれだけで安室さんに目をつけられるようなことしてないよね!?)

 まだ死にたくないよマーザー、とよくわからない言葉を吐きながら自室のベッドに倒れ込む。
 あのあと会計時にお釣りと共に渡されたレシートの裏面には、見知らぬ見慣れない番号が書いてあり、訝しげに見つめていると彼はくすりと笑ってこう宣った。

「返事がしたくなったとき、僕に会いたいとき、それ以外でも大丈夫なので、ご連絡お待ちしておりますね」

 それはそれはとても良い笑顔でした。後ろにいた蘭はそのスマートさに頬を染めてうっとりとしている。本人である名前とはいうと、

(これって了承以外の返事は受け付けねえぞっていうお達しだよね……うそだろ、ハイって言うまであの顔面偏差値八億のひとに迫られるの………え、死ぬじゃん)


 ───かくして、
 全て(推定)を知っている女と、全てを知りたい男との仁義なき(一方的)戦いが始まるのであった。


181030






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