運命と出会ったら前世を思い出した



※オメガバース


 スラッとした体躯に骨ばった手、小麦色の髪に海を思わせるような瞳。一見、ひょろっとした優男に見えるが瞳に垣間見える意志の強さを私は知っている。なぜか? 知るはずがないだろう。
 担任が名前を黒板に書き、気のない紹介をしている最中も意識は転入してきた男───降谷零に向いていた。私以外の女子もその整いすぎた容姿に釘付けのようで私もその一人だと思われているだろう。確かに世間一般的に言うとイケメンの部類に入る顔立ちであるが、私だけが世界から取り残されたような、そんな感覚を胸に燻られていた。
 なんだろうか。昔会っていた? いや、こんな印象的な人と会っていたらすぐに分かったはずだ。では一目惚れ? ありえない。もしそうなら胸の高鳴りが今頃うるさいだろう。なんだ、なんなんだ。この降谷零に対して湧き上がる感情は!

「降谷の席は……」

 脳裏によぎるのは断片的な何か。必死に順序を整え再生しようとするがやはり胸に燻る気持ちに遮られてしまい、なかなか上手くいかない。迷惑にならない程度に机を指で小突きながら作業を繰り返す。が、最後のピースが当てはまらない感覚がある。
 そうこうしているうちに自席に向かう降谷とばっちり目が合い、ほんの一瞬、本当に一瞬、目元が緩んだ気がしたのだけれど。気のせいだろうか。

「……よろしく、苗字さん」

 容姿にとても似合う、低くて甘やかな声は私の神経を狂わせるようだった。もうこの時点でなぜ名乗ってもいないのに苗字を知っているのだとか、差し出された手のひらの暖かさだとか、正常な思考を保つことができず、穏やかに微笑む降谷君と、噎せ返るような花の蜜みたいな匂いを最後に意識を飛ばしてしまったのだった。

 ──かちり。
 当てはまらなかったピースが重なっていき、音を立てて完成したような気がした。

***

 私はどちらかというと教室の隅で図書室から借りてきた本を読んだり、ルーズリーフに絵を描きこんだりするような大人しめな性格だった。周りの友人も静かに読書をしていて、時折、この本がどうだったとかこの内容奥が深いだとか感想を言い合う子が多かった。
 性格も性格であるが、見た目も丸眼鏡に三つ編みを肩に垂らすという……なんとまあ地味子の象徴的な成りをしていた。しかし勤勉家の影響もあり定期考査では常に成績優秀者の名に連ねていたから、お馬鹿な男子生徒からのいじめなどはなかったのが幸いか。
 ああ、あとこれが本題なんだが。この世には男と女の性別以外に、アルファ、ベータ、オメガという第二性別と呼ばれるものがある。中学に上がったと同時に受けた健康診断で出された結果は───オメガだ。私の祖父母の時代まで遡ればそれはそれは大変な時代だったのだと祖母は語っていた。
 別にオメガだからといって絶望とかはしなかった。年に何回か訪れる発情期が辛いだとか、聞いたこともあるけれど。どうしてか、私は匂いに酷く鈍感だった。

「気がついたかしら」
「……せんせ?」
「ああ、まだぼんやりしているわね。無理もないか……。おめでとう、運命と出会ったのよ」

 次に目が覚めた時、何回かお世話になった保健室の天井が視界に映った。ちょうど様子を見に来たアルファ(番もちだ)の保険医の先生がそれはそれは我が子を見るような表情でそう告げる。倒れた状況を担任から聞き、運命と出会ったのだとわかったらしい。

「うんめい」
「そう、デスティニー。科学的根拠はまだないけれど、お互いがお互いにびびっとくるらしいわ。あなた、転校生を見てからまともな思考ができなかったでしょう?」

 ああ、あの頭がパンクするような感覚が運命と出会った証拠だったのか。きついな。

「……苗字さん?」
「…ぁ、いえ……お世話になりました」

 何も返事をしない私を不審がった先生が訝しげな様子で首を傾げている。私はそれに曖昧な笑顔を浮かべることしかできない。
 たぶん先生は運命と出会ったら、その人と番うのが幸せなのだと考えているんだろうけど、絶対にお断りだ。私が降谷君と番う? 冗談じゃない。ただ彼が運命だということは認める。じゃなきゃ気を失う前に嗅いだ甘い匂いの説明がつかない。あれは間違いなくアルファのフェロモンだ。同じクラスにもアルファはいたけれど今まで一切感じなかったのだから、それが結びつく結論はたったひとつだけ。

「今日は抑制剤を飲んでおとなしくしてます」

 扉の前でお辞儀をし、ずれ落ちかけている鞄を持ち直して昇降口へ歩を進める。
 向かう途中、窓から見える部活に勤しむ生徒と、沈みかけている真っ赤な夕日に収まりかけた頭痛がぶり返すようだった。あとまずい。己の匂いが強くなっているのを感じる。ブレザーのポケットに常備している即効性の抑制剤の一粒を口に放り込んで無理にでも飲み込んだ。
 唯一無二の運命と出会ったからか、ぽんこつだった第二性別が息を吹き返してきているようだった。

「……はは、ありえない」

 恐らく、周りのフェロモンに鈍感な私でさえ気づいているのだ。アルファな彼だって感じているはずだ。
 だから、目元を緩ませたんだ。

「オメガバース」

 呟いたそれは、この世界に普及している第二性別を指す言葉で、私はよくそれを見聞きしていた。まさかそれを自分が体験することになるとは夢にも思っていなかったけれど。
 それから、降谷零。覚えている姿と比べて幾分か幼いが、知っている。未来で安室透などと偽名を使い分けて三つの顔を持つ男。どうして予言まがいなことを言っているかって? そんなものは簡単。

 私は降谷零と出会った瞬間に、運命であることと同時に、前世の記憶なるものを取り戻していた。

 ウン十年の記憶が一度に脳内に叩き込まれたのだ。発熱もする。さて、どうしたものか。今の私は内気でお世辞にもコミュニケーションが得意とは言えない性格であって、前世にだいぶ引き寄せられている私の性格とは正反対だ。正直言って丸眼鏡も三つ編みも今すぐ解きたいぐらいだ。
 たった一日で内面が変わるなど周りは信じない。むしろ精神的不安定を心配してしまうだろう。

「………まずは帰るか」

 誰に聞かせるわけでもなく、私は今後の予定を組み立てるために下駄箱からローファーを取り出して、一瞬迷ったのち、『29』とテープが貼られている下駄箱を開けた。中には上履きが揃えて置いてあり、持ち主は既に帰宅していることを示していた。ほっと息を吐いて、先程よりかは幾ばくか冷静に靴を履くことができた。
 念のため、本当に念のために正門ではなく裏門から帰ろう。使用は禁止されているが、見回りの先生がいなければ簡単に通れる仕組みになっている。セキュリティがばがばだぞ、大丈夫なのかこの高校。

「おとなしくしてよう。関わる必要性もないわけだし」
「へえ? 運命を目の前にしてその言い草とは、偉くなったものだな苗字」

 ……見回りよりももっと怖い存在が目の前にいた。なぜ気づかなかった。塀に背をもたれさせ、腕を組む男はどう見ても今日転校してきた降谷零その人で。
 いやそれよりも、いまこの人なんて呼んだ?

「……いや、わたし、運命とか信じないタイプなんで」

 そこ、通らせてもらっていいですか。とあまり相手の不興を買わない言葉を吐けば、彼は整った眉を釣り上げたが、すぐに何を考えているのか読めない表情に変わった。ていうかこの人、最初と感じが違いすぎない?
 求めてませーーん! こんな乙女ゲームみたいな展開は求めてないので即刻お帰りください!

「はっ、らしいな」
「…仮に運命だとしても、お互いのことを知らない人と番えるほど、私は非常識ではありません」

 そろそろ本気でここから離れたい。匂いが強くなってきているし、頭痛もしている。

「みすみす逃がすと思うか?」
「思えませんね。ですから、まずはお友だちからということで───」
「そうやって、手遅れになるのはもう懲り懲りなんだよ」

 何が、起きた。目の前にいる男は誰だ。名乗ったとおり、降谷零だ。まだ三つの顔を持つ前。であるのに、そうでなければならないのに、彼の雰囲気が変わった。
 それはまるで、組織随一の探り屋として有名なバーボンを思わせるような冷たい気をまとっていて。

「五年だ」
「え?」
「五年になる。お前を失って五年だ。その五年で組織は壊滅に追い込むことはできたが、一番に分け合いたかったお前はもういない。無理だった。あいつらを亡くして、お前も亡くした。俺にとってお前が最後の堤防だったのに」
「ちょ、ちょ……?」

 待ってくれ降谷君!! 大変なことをカミングアウトしているぞ!?
 頭が混乱してきた。まって。いま降谷君が言っていた事と、苗字が知られていたことと総合していくと───。
 もしかして、逆行。

「たとえ一時の夢であれど、お前を失わないためならば俺はどんな薄暗いことでもしてやる」

 じり、

「そう、あのときに決めた」

 オメガを屈服させるような一際強いフェロモンは、いとも簡単に私の感覚を狂わせた。逃げることも話すこともできない私の様子に満足げな笑みを浮かべた彼は、がっちり首元を固定し、項を捧げるような形にされた。

「だから───番え、名前」

 そうして、私は項を噛まれた。


181030






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