ラブロジックの成れの果て



「苗字さん」
「あ、赤葦くん」

 生徒が生活する南校舎からちょうど死角となり、なおかつ描こうと思っている風景が太陽の沈む時刻によって徐々に変化していく、いわば穴場と呼ばれる中庭の隅が私のお気に入りの場所である。普通ならば時刻によって風景が変わるなどあってならないことではあるが、夏のコンクールにこの自由に変化(へんげ)していく表現した絵を提出したいので、同級生はみな口を揃えて「条件が悪い」と評されるここに一年ほど通い詰めているというわけだ。けど最近、風景にひとつの影がやってくることが多い。
 画板から視線を左に向けると、額の汗をタオルで拭っている男の子、赤葦くんが涼しげな目を向けていた。

「……相変わらず、凄いですね」

 意識を今まで一箇所に集中させていたせいか、言葉の意味を把握しきれず首を傾げる。それを見た彼は小さく指をさしながら「それ」と言葉を紡いだ。それ、とは。

「ああ、この絵?」
「はい」

 まだラフ程度でもこの子には絵から声や音、太陽の笑い声などが聞こえてきそうだと言ってくれる。物心ついたときから好きに絵を描いていて、中学高校共に美術部に属しては数々のコンクールで賞をとっていたりするから、人並み以上の画力はあるのだと思う。だけど賞を得ていく内に人から褒められることが減っていき、私の画力を当然だと考える人も出てきた。そんな中で近くにあるバレー部体育館で練習をしていた赤葦くんは、初めて完成した絵を見たとき「……すげぇ、…ですね」と溢したのだ。最初は会釈をして別れてしまったけれど。きっかけかどうかは分からない。でも彼は、それから練習の合間を縫ってこうしてたった15分の間だけ、話をするようになった。
 同じバレー部に所属しているクラスメイトの木兎は主将で、赤葦くんは二年生ながらにして副主将なのだとか。最近隣の席になった木兎はそれはそれはマシンガンのように赤葦くんのことを私に話してくれる。

「凄いって言うなら、きみもでしょ」
「え?」
「木兎から聞いたよ。スタメンに選ばれたって」
「……またあの人は。人がいないところでべらべらと」

 呆れた様子でいつもの場所に腰を下ろした。人ひとり分入れそうなスペースを開けた隣。指示もしていないけれど、暗黙の了解のように座るのだ。

「それほどまでに期待してるってことじゃないの?」
「プライバシーないじゃないですか、それは」
「それもそっか」

 話題は毎日違う。話の途中でも日を跨げばそれは新しい話に変わり、また話すだけ話して赤葦くんは部活へ、私は画板へと向き直る。その空間が異様に落ち着いて、いつしか15分の息抜きを楽しみにしている自分がいることに、気づいたのが先週だ。同学年じゃないから彼の噂はあまり届かないけど、話をしだし始めてから分かったことがいくつかある。彼はおとなだ、女子の友達みたくはしゃいだり騒いだりする性格ではなく、話し手聞き手に上手に立ち回って、たとえ無言が続いたとしても空気が乱れることがなかった。

「今日はなんの練習をしているの?」
「3対3無限ループ」
「うわきつそう」
「“そう”ではなくきついですよ」
「私だったら無理だわ」
「先輩、見るからに体力なさそうですよね」
「む、馬鹿にしてる?」
「冗談です」

 同じ屋内部活といえど、運動部と文化部だ。その筋肉量は雲泥の差である。肌の色も私の方が白く、赤葦くんは健康そうな色。体育の持久走ではビリから数えたほうが早い順位でもあるし、短距離走も苦手。典型的な運動音痴なんだ仕方がないだろう。それに比べて隣の彼は50mのタイムが平均男子のスピードより格段早いため、聞いたとき本当に目が飛び出るかと思った。

「話飛びますけど、やっぱり凄いですよね」
「赤葦くん、ずっと褒めてくれるから毎日が楽しみなんだよ〜」

 私の背後に置かれている大きな鞄の中から見えるこれまでの作品を見ながら、彼は褒めてくれる。嫌味も嫉妬も羨望もない、純粋な言葉で褒めてくれるから持ってくる必要がないのに、ずっと重い鞄をここに持ってきていることは、口が裂けても言えないな。お礼を言って赤葦くんも返してくれる。これがいつもの会話だった。
 だけど、今日は違ったみたいだ。

「……あの、先輩」
「んー?」
「下心ある褒め言葉だったとしたら、幻滅しますか?」

 彼は、これまでの褒め言葉を下心があったと言う。これだけ聞いたら怒ってもいいのだろうが、こう言ってはなんだが向けられる言葉にこめられた気持ちを感じ取るのを、人より少しだけ上手だと自負している私は、僅かにその意味を理解することができなかった。ほんとうに、何も感じなかったのだ。赤葦くんから放たれる言葉からは、何も。彼が得するようなものも、私は持っていないのもあるけれど。
 じっと目が合った。夕焼けの暖かな光が赤葦くんにあたり、綺麗な切れ長の瞳を際立たせる。その目に宿るのは一体。何故か逸らすことができずに、ただただ二の句を待っていると、彼はかすかに口元を緩ませ、どこか自嘲めいた笑みを浮かべてこう言った。

「───先輩の絵も大好きですけど、先輩自体に惹かれてたんすよ、俺」

 どうやら今日の私は頭の回転が止まってしまっているらしい。またも言葉の羅列は耳に入るも、意味は理解できない。だって、それは、解釈のしようによって勘違いだったら地面に埋まりたいほど恥ずかしい意味にもなるのだから。
 嘘だとも、冗談だとも笑い飛ばすこともできた。今までだって真面目な話題を吹き飛ばすように笑ってきたこともあった。けど、赤葦くんの顔は、嘘をついていない。

「いつ、から」
「だいぶ前です。先輩が、ほら、朝焼けの絵を見せてくれたとき」

 朝焼けの絵。必死にその絵を見せた日のことを思い出す。あれは、あれは……そう、まだ私が二年生で文理選択に頭を悩ませていた頃。そして今はじりじりと暑さが本格的なものに変わり始めた頃、回りくどいからまとめて言うと、赤葦くんの言うように“だいぶ前”から彼は私に惹かれていたというのだ。かなりの時間共に過ごしてきたというのに、私は気づかなかった。
 ……いや、悟らせないようにしていたのかもしれない。

「初めて会ったとき、すげぇ絵を描く人だなって思ったんです。その絵を描いてる人の学年と名前が知りたくて昼休み、美術室に行ったりして苗字さんの存在を知ったんですよ。その近くにいた三年に苗字さんが放課後、ここで絵を描いていることも教えてもらって」

 他意はない。他意は、ないのだ。
 赤葦くんは私の描いた絵を見て、私を知ってくれた。その美しくも儚い気持ちは驚くほどすんなり私の心を侵食していく。まるで、紙に垂らして波紋を広げる絵の具のように。気持ちを伝えられて、心に広がったあたたかい想い。だけど不思議と、それを嫌だとは思わない自分がいて。

「……意外。赤葦くんでも、そんな顔するんだ」
「人間ですからね、これでも」

 ほんの僅かに頬に紅みが差し、見たことがない表情で私を見つめる赤葦くん。ずっと逸らされることがなかった赤葦くんの瞳には、彼に負けず劣らず自分らしくない顔をした私がいて、洞察力がずば抜けている彼にはおそらく、きっと私の感情なんて読み取られてしまっている。それでも、いいと思った。同じ気持ちを共有できるなんて、それほど素晴らしいものはないのだから。
 そうしてまた、赤葦くんは子供のように無邪気に微笑んで、

「好きです、苗字先輩」

 そう言った。


 何かが劇的に変化する、ある夏の夕暮れのことだった。



181120

赤葦×先輩はどうしても書きたかった関係。そうして生まれたのがこれ。恋の論理の成れの果て。





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