お皿とスポンジ


 「注文入りまーす!」

 永遠の黄昏が続くギルドの街、ダングレスト。酒場『天を射る重星』では臨時バイトのウェイターとして働くアンの声が、満席に近い賑いの中でもよく通っていた。頭上まで積み上げられた空き皿を軽々と持ち、早足に前を通り過ぎようとした彼女にユーリは声をかけた。

 「……日も変わるってのに繁盛してんな」

 「ユーリ?!どうしたのこんな夜中に?」

 子供は眠る深夜帯。酒場では稼ぎ時。夕方から働いていたアンの終業時間頃でもあった。ダングレストでは気性の荒い者も多く、夜に女性の一人歩きは、一応、仮のことを考えて、危険と判断し迎えに来たのだが、素直ではないユーリの口からそれが告げられることはなかった。

 「…腹減ったから夜食をと思って来たんだが……」

 ユーリは店内を見渡しながら途中で言葉を切った。カウンターが2席ばかり空いているが、手が回らないのか片付けられた様子はない。一緒に店内を見渡していたアンは困った様に眉を下げて言った。

 「ただいま大変混み合っておりまして……お時間が、って感じ」

 「だな……辞めとく。終わりまでもうちょいだろ、頑張れよ」

 小さく笑ったユーリは片手を上げて返すと今しがた入ってきた扉へと手をかけた。

 「あ、待って待って!」

 そんなユーリを引き止めたアンは、早足にカウンターへ向かいその上に空き皿を起くと、来た道を引き返し、ユーリの腕に己の腕を絡めて厨房の方へ引っ張っていく。その力は体格差、男女の差があっても勝てないほど強いことを知っているユーリは無駄な抵抗をしなかった。

 「店長ヘルプいらないですか!この美人料理も出来ますよ!」

 「はぁ?」

 「ほしいわ!」

 アンが厨房の中へ放った言葉に顔をしかめるユーリと、即座に返ってきた女店主の声。

 (嫌だし、やるなんて言ってねぇ)

 色んな拒否の言葉が脳裏に浮かんだユーリは、厨房から現れる疲労困憊な女店主の勢いある説得に飲まれ、臨時バイト二号、裏方役として巻き込まれることになってしまった。




 「注文入ります!」

 「はいよ」

 「一応書いてあるけどこのマーボーカレー辛口、辛過ぎると食べきれないかもって言ってたからお皿に卵添えてあげてください。それから」

 アンは今しがた持ってきた伝票を指差しながらカウンター越しの厨房にいるユーリへ注意点を述べていく。手が空いている者が用意すればいい話しだが、満席になりそうな程の忙しさには抜かることも多い。情報を共有することで、お互い気にかけ、出来るだけ正確に提供しようとしてことだった。

 「ほい、このテーブルこのアイスで上がり」

 「ありがとう、いってきます!」

 「おう、いってらっしゃい」

 追加されたものと反対側にあった伝票。そこに表記されたデザートをユーリから受け取ったアンは、元気よく目的のテーブルへ歩いていく。

 (本当に忙しい)

 心の中で一言呟いたユーリは、手を動かしながらホールの様子を盗み見た。
 アンはあるテーブルの注文を取りならがメニューを指差し、特になるセットや、食べ物に会う飲み物の紹介をしている。その顔は笑顔に溢れており気を悪くする人はまず居ないだろう。酒場である故に酔っ払いも多く、アルコールで注意散漫になった腕が中身の入ったグラスを倒す者、食べ物を落とす者、テーブルに突っ伏して眠ってしまう者もいる。彼女はそんな席に歩み寄り、気さくに、時には静かに声をかけるのだ。そうして気分良く帰った酔っ払いが、新たな飲み仲間を連れて再びこの店にやってくる。それを嫌な顔せず、からり笑って迎え入れていた。

 (そりゃ人が途絶えないわけだ)

  楽しそうに笑うアンの顔を少し見詰めたユーリは、カウンターに重なっていた皿を流し台に持って行き、水導魔導器(アクエブラスティア)を起動させた。桶の中に向かう暖かいお湯と一緒に洗剤をひとまわし入れると、白い泡を立てて桶を満たしていく。その中にゆっくり皿を沈めると、泡は避けていき、お湯に混ざらない赤い油を見せつけるように浮かばせた。ケチャップを使った料理だったのだろう。洗剤で皿から引き剥がされた汚れが、透明だったお湯を、白かった泡を汚していき、浮かんだ油を取り囲む。皿の枚数的にも桶の中が赤黒い汚水に変わっていくは直ぐだった。流れる透明なお湯が、入れ替わるように汚水を桶の縁から外へ押し出していくのを見てユーリは思った。
 
 (ラゴウを切ったあの日の川も、暗闇のなかで、こんな風に流れていったのか)
 
 ユーリは流し台の縁を一瞬強く握るとお湯を止める。沈んだ皿を取り出し、洗剤を付けた真新しいスポンジで汚れを落としていく。最後の皿を磨き終える頃、スポンジは汚れを吸い込み過ぎてクタクタになったいた。もう一度出したお湯で、皿の泡を落としていくと、天井からの照明で形に合わせた一筋の光沢を浮かばせる。そこにふと、アンの笑顔が浮かんだ。

 (あぁやって笑ってる方が似合ってるな……)

 ユーリは緩慢に瞬きをすると、次の作業に取り掛かるため流し台から離れ、少し先にいる女店主の背中へ声をかける。
「新しいスポンジあるか?もう使いもんになんねぇぞこりゃ」
 その手には、綺麗な皿と対照的な、汚れきったスポンジが握られていた。

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