女は男から逃げていた。女は先程男に向けた笑みとは全く違う、恐怖に彩られた顔でその男から逃げていた。
 息を切らし、着ていた着物ははだけ、キレイに顔に施していたおしろいなどは汗で醜く崩れても気にとめる余裕がない程、女は必死に逃げていた。
 ふと、女は背中に熱を感じた。汗でもない純粋な熱、それを感じた瞬間、背中は燃えた。

「イ、ギャアアアア!!」

 女の体はあっという間に火に呑まれた。助けを求める時間もない程に。
 それを、女を追いかけていた男は笑って見ていた。


 * * *


 狭藩の外れにある小さな小屋の前に行平は立っていた。そこは自分と兄が住んである小屋であり、いつもならば気にせず入ることが出来る場所だった。
 だが今日は違った。

「……まさかこんなに遅くなるとはな」

 予定とは大幅にずれた帰宅時間に行平はチッと舌打ちした。
 夜のうちにこっそり出掛けて、その夜のうちに帰るつもりで兄には言わずに出掛けて居たのだ。
 なのに、今は鳥の鳴き声が聞こえ、普通の人間なら活動し始めている時間帯。
 無論兄も、だ。

「さすがに一週間続きはまずいよな……何と言おうか」

 取り敢えず尤もらしい言い訳を考えようと、行平が一時的に逃げようと背を向けた、その時、強い力で思いっ切り手を掴まれ、引っ張られた。その手は行平にとって最も見覚えがあり、出来れば今はお目にかかりたくない人の手だった。

「行平……お前という奴は……」
「あー……」
「このバカ色情魔があー!!」

 実の兄、実平の姿だった。


 * * *


「まったくお前という奴は……!!」
「あー悪かったって言ってんだろ? ちょっと馴染みの女のところに行ってただけだっての」
「そういう問題じゃない!!」

 予想通りの説教をくらって、行平は思わず心の中で溜め息をついた。兄の説教は一度始まるとなかなか終わらないし、正直一晩中出掛けていて腹も減っている状態なのだ。これ以上何も食べないままでいくのはキツい。

「なー実平。俺腹減ったんだけど」
「お前人の話を聞いてたか?」

 どうしてお前はいつも……とぶつぶつ文句を言いながらも朝餉のために立ち上がる兄を見て、行平は嬉しいような寂しいような、そんな気持ちが少しわいた。が、取り敢えず今は自分の本能を優勢しようと、朝餉が運ばれて来るのを待った。


 * * *


 運ばれてきた膳は、2つあった。

「2つ?」
「ああ、俺も食べてないからな」

 そう言って苦笑する実平の足元を見ると泥がついた跡があった。それを見て、行平は心苦しくなって顔を伏せた。

「……? どうかしたのか」
「なあんでもねーよ。それより、コレ渡しとくぜ」

 懐に入れていた金を取り出して、行平は実平の掌に置いた。黄金に輝く小判が2、3枚キラキラと輝いている。

「!? お前なんだこの金……!!」
「だーから、女のとこ行って貰って来たんだよ。お前保管しとけ」
「保管って……!? という前に女の人にお金貢がせるなって何度も言って……!!」
「あー? こうでもしねえと2人とも飢え死だろうが、俺たちの正体がバレたらヤバい事になるのはテメェも知ってんだろ?」
「それは……」

 行平の言葉に実平は俯いた。そんな実平を見て、行平はバカにしたように笑った。

「金持ちの女から金巻き上げる事のなにがいけねーんだよ。あいつらの着物代に消えるよりは俺たちが使った方がよっぽど役に立つだろうが……。いい加減お前も分かれよ」

 バカにしたような笑いの中に、最後に少しだけ悲しげに吐かれた言葉の意味を実平は気付かなかった。


 * * *


「……」

 自室に戻った後、行平は誰も居ない事を確認して、1枚の紙を取り出した。その紙に書かれているのは1人の少女。──次の仕事の目標相手。

「術使い……いや、こっちじゃあ魔法使いって言うんだったな」

 少女について詳しく書かれた紙を読みながら、行平は懐から1枚の血の付いた小判を取り出して指で弄んだ。
 昨日の女の血が指につき、それを少し不快に思いながらも。

「水・氷系かよ、相性最悪じゃねえか……めんどくせーけど仕様がねえな」

 行平はトンッと床を叩く。すると床がひっくり返り、下の方に大量の武器が出てきた。
 そこから何個かの武器を取り出して、キズがないか確かめた後、それらを上手にしまい込む。

 誰から見ても気付かれないように。……何よりも兄が気付かれないように。
 生きるため、自分の欲のためには何をしてもよい。と考える行平と違い、実平は自分より他者を重要視したがる。それはもともとの性格もあるだろう。
 ──それでも、一番の理由は。

『実平?……実平!?』
『行平……     』

 昔の事を思い出して、振り払うよいに手に持っていた紙を燃やした。もう二度と、あんな思いはしないし、させない。
 だから、先程渡した金が他者の命の代償だということは絶対に、気付かれてはいけないのだ。


 * * *


「ちょっと出掛けて来るわ、泊まりだから2、3日帰って来ねえから」
「はあ!? 今帰ってきたばっかりなのに!?」
「ちゃんと伝えたから良いだろうが、じゃあ留守番よろしくー」
「な! お、おい行平! 行平!!」

 後ろで呼び止める声を無視して家に背を向け歩き出す。
 声も聞こえない所まで歩いた後、懐から血にぬれた小判を取り出し、そばに流れる川へと投げ捨て、行平は小さく笑った。

「また、金は手に入る」

 行平はそう呟くと足を狭藩ではない──標的である少女の居る国──彩崎藩へと向けた。
 その顔は先程の兄へと向けた顔ではなく、一人の暗殺者の顔になっていた。






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