背徳の口づけ
「どうぞ。私を捕まえに来たんでしょう」
そう言って彼女は自ら腕を差し出した。その姿は、アパートの玄関先にはとても相応しくなかった。
いつもなら躊躇わず手錠を掛けれるのに、手錠を掴んだ手が動かない。早くしなければ、アパートの下に待たしている部下に怪しまれてしまう。
だが、手は動かなかった。
「どうなさったんですか。私を警察に連れて行くために来たんじゃないんですか」
彼女は更に腕を差し出して来た。
その腕と、手錠を見比べる。銀色に鈍く輝いた手錠は、彼女の白い手首に似合うのであろうか。そう想像して、やめた。似合うわけがなかった。
「……俺と一緒に、逃げないか」
自分が突拍子もないことを言ったことには、気付いていた。しかし驚きはなかった。これが自分が一番言いたかったことだったのだと何となく感じた。
けれども、彼女は頗る驚いた表情をしていた。そしてすぐに、困ったような表情になった。
「ダメです……刑事さん、それはダメなんです。人を殺してしまった私が望んでなど良いはずがないのです、それは分かっていたのです」
ですが望んでしまったのです、彼女はそう言いながら俺の手錠を持った腕を両手で掴んで来た。
「私は、あなたに手錠をかけてもらえるならどんなに幸せだろうと、そう思って居りました。人の幸せを奪ってしまったのに、自分の幸せを願ってしまう、最低なのは理解しているつもりです」
ですが、望んでしまったんです、そう言うと彼女の目から涙が一筋、流れた。
俺は手錠を持っていない方の手で、彼女の手首を掴んだ。そして、手錠を彼女の手首に付ける。
少し力を込めて押すと、カシャリ、と乾いた音を立てて手錠は彼女の腕を封じた。俺は自分がとんでもないことをしてしまったとは思わなかった。
だが、酷い虚無感に襲われた。
「……ありがとうございます」
そう嬉しそうに言った彼女を、俺は抱き締めることしか出来ない。
自分は無力だと、まざまざと見せつけられたのだ。
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