寝起きしていた時計塔の最上階には申し訳程度の窓があった。そこからは加音町がよく見渡せたし、風がよく通り光もそこからでないと入らなかった。あやめもわかたぬ灯台の闇に爛々と目を輝かせるのは、叱咤の末に情けにも近い強引なパワーアップを課せられた3人。十分な力を得ても使いどころを誤ればまぬけと同じことだ。ここに塒を移してからこっち、バリトンは飽きもせずに考えている。使いどころを誤ってばかりのバスドラの轍を踏むつもりもなかったし、求められずとも機会があれば何回だって知恵を絞るつもりでいた。野心ならば唸るほど備えてある。あるいはそこでなにもかもを片付けて、めでたしめでたしと幕を引いてしまいたかったのかもしれない。たとえ付け焼き刃であれ十分な力を得た今ではあるが、既に磐石とは言いがたくなっていた。しかし。バリトンは長い睫毛でまばたきをする。セイレーンがいなくなったことを好都合だと思うようになったのはここに来てからだ。思うに環境がよくなかったのだ。悪を自称するものが光の差す場所にあっていいはずがない。実際、ぬらりと生ぬるい暗闇の中では、少々重たいバリトンの頭も常よりはよく回る気がするのだった。
多くを欲しがらないのはこの場においてはあからさますぎる弱味であったし、火のようにたぎる野心を左右の腕の表皮に感じる距離ですらあったのだから触発されない方が結局はまぬけなのだろう。いつまで経っても諾諾と二番手三番手に甘んじる彼の、砂糖を溶かし込まれたようなぬるさには妙に神経が尖る。バリトンはきれいに整えられた眉をしかめた。唸るほど備えたはずの野心で、今やただそれだけでここにいるはずだった。彼はといえば潮の香りの染み込んだ石畳に置き去りにされた木箱を寄せ集めてつくねんと腰かけ、夜も日もなくぼんやりとそこいらを眺めている。あやめもわかたぬ闇の中である。探すにしても限界はある。バリトンは首を振って髪の毛を背中に落とした。しゃらしゃらと骨の飾りが鳴る。美しくない。声ににじんだ苛立ちを聞き逃せなかったとみえるファルセットは、ゆっくりと顔を上げてバリトンを見て、お愛想のようにへなっと笑った。
別になにかを言ってほしくてそんなことを口走ったわけではなかった。なのにファルセットは律儀にも、言われてみれば似合わないねぇ、と首をかしげるようにしながら応える。違いますよ。バリトンは彼の前だとことさら居丈高になる。こんな湿っぽい場所でする悪巧みなんてわたしに似合わないと言いたいのです。全くどこもかしこも磯臭くて嫌になる。でもバリトンはここが気に入ったって言ってたじゃない。暗さだけ。敵役の隠れ家があんな日当たりのいい場所にあっていいわけないじゃないですか。ぼくはあそこも好きだったけどなぁ。あなたはどこだっていいんじゃないですか。なにかを思い出すように笑ったファルセットに顔をしかめて見せ、バリトンは腕を組む。いい加減失敗も続いていますしね、てこ入れは必要です。てこ入れ。バスドラのような単純な男には任せておけません。次のリーダーにはわたしがふさわしい。はぁ、とファルセットは口をぽかんと開いた。
そう思いませんか、と水を向けると、ファルセットはうーんと曖昧に唸り、まぁ別にどっちでもいいよ、とまばたきをした。どっちでもって。バリトンは唇を曲げる。あなたやる気ないんですか。やる気ないって言うか。困ったように後ろ頭を掻きながらファルセットはバリトンを見上げる。リーダーはバリトンでもバスドラでもいいんだよ、最終的に不幸のメロディが完成すれば。うぐ、とバリトンは声を詰まらせる。い、いきなり正論は禁止です。そういう問題じゃなくてモチベーションとかの話であって。ふうん。ファルセットは首を回す。ならたまにはバリトンがリーダーやってみたら。バスドラがいいって言ったら。軽い言葉にバリトンは眉をつり上げる。そもそもあれをリーダーと認めた覚えはないんですけど。あはは、とファルセットは笑い、ふたりとも野心家だねえ、とまるで歌うような調子で言った。
あなたは違うのですか。バリトンはファルセットを見下ろす。上に行きたくないのですか。うん。ないよ。ファルセットはにっこりと笑った。なんて。はぁ。うまく言えないんだけど。ファルセットは耳の後ろを指先で撫でながら、少なくとも今は違うかな、と、また笑う。バリトンはふと奥歯を強く噛んだ。両腕がいやに寒い。ファルセットの耳で鈍く輝く、悪のノイズの発信器。同じものが自分の耳にもついている。うんともすんとも言わないがらくたも同然の。ぼくは今が楽しいよ。ふたりがすること、面白いからね。言葉とともに溢れる人好きのするファルセットの笑顔。バスドラもバリトンも、セイレーンさえも、この笑顔を向けられれば思わず口をつぐんだ。バリトンは引きつったように笑う。ファルセット。ファルセットは尻を払って立ち上がった。今日は焼き肉にしましょう。え?いつか完成すればいいんですよ、不幸のメロディなんて。なにを、と言いかけるバリトンの横を、少し背の低い頭が飄々と通りすぎる。あわてて振り向くバリトンの視線の先には既に誰もいなかった。あやめもわかたぬ深い深い闇の中である。光も差さぬその場所で、彼だけはまるで日溜まりであった。のに。不幸のメロディを必ず完成させなければ、と思った。なぜか、先を越されてはならない、と。いつか、などと、曖昧な言葉で彼が濁すのに。









しらない合図しらせる子
バリトンとファルセット
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