言葉の海に沈みゆく




言葉にしないと伝わらないこともあるから、彼は常に語りかけるように言ってくれるのです。好きだ、愛してる、キミは美しい、と。彼の話すフランス語は特別な響きがしました。耳元で優しくこだまする、吐息混じりの艶のある声です。私は彼の声が好きでした。
彼はいつだって、私の欲する言葉をくれました。私はそれで、十分でした。彼は私を癒し、少しの間でも、私を幸せにしてくれました。とても、とても、いい時間でした。
それが私の少女の頃の話です。私の人生は、とても恵まれていました。

天気が良かったから、少し足を伸ばして、パリのカフェに来ました。そこで私は懐かしい顔を見かけました。かつて私を救ってくれた、彼でした。あの頃と比べると、少し落ち着いたのかもしれません。しかし変わっていません、彼は彼でした。彼のそばには、何と言いますか、そう、特徴的な青年がいました。言い争ってはいましたが、彼は楽しそうな顔をしていました。それは何よりです、平和な証拠でしょう。そっとお話に耳を傾けるのもいいのですが、邪魔になったらいけませんし、私は席を立つことにしました。しかし、そんな私を引き留める人がいました。そう、彼でした。今も昔も変わらない、優雅な顔で、しわの増えた私の顔を見てくれていました。
「やぁ、マダム。ずいぶんと久しぶりじゃないか」
「まぁ、私を覚えていてくださったの。こんなにも、老けてしまった私のことを?」
「それでも、あなたは変わっていない。変わらず、美しいよ」
不覚にもどきりとしてしまいました。美しいなどと言われるのは、ずいぶんと久しぶりな気がします。私は彼に、恋のようなものをしていたのです。情熱的な愛情ではなく、何も知らない初な十代の娘が誰かを大切に想うような、そういう温かいものです。それは今でも変わりません。夫と別れ、娘も一人立ちした今、私はひとりで悠々と思い出深いパリで生活しています。ここで彼にまた出会い、同じように優しい言葉をもらえた。私は、本当に、恵まれた女なのでしょう。
えぇ、感傷に浸っているだけではいられませんね。
「そちらの方は?」
私が急に触れてしまったからでしょうか、青年はびっくりしたように顔をあげていました。
「イギリスだよ。俺の恋人さ」
「お、おい!」
おや、まぁ。私は自然と笑うことができました。彼らは私よりずっと長く生きていらっしゃるけれど、そうやって恥ずかしがったり、笑ったり、若さを感じました。いえ、それを言ったら、彼は否定するのでしょうね。こうして満ちた生活をしようとしていることに、若さは関係ないのです。いつでも、幸せになる権利を、私たちはもっていますから。それでも歳を感じてしまうのは、私たちにはどうしようもないことですが。
「そう、あなたも、イギリスさんも、素敵な時間を過ごしているのね」
「素敵、というか、うん、いい感じ、かな」
歯切れの悪い照れたような彼は、珍しい気もしました。きっと、これも、彼の一面なのでしょう。
「もう、会うことはないでしょうね。イギリスさん、ひとつ、よろしいですか」
「マダム?」
「どうか、彼と、フランスさんと、愉しく過ごしてくださいね」
それだけが、彼に救われた私が、言いたいことなのです。彼は優しいから、私たちを守ってくれる。そんな彼に、私はもう何もしてあげられません。私は彼にしてもらえたことを、彼にもしてあげたいのです。
どうか、幸せにおなりなさい、と。
彼はこう言うのです、私たちの幸せは、彼の幸せにもなる、と。

カフェを離れても、私は少しだけ彼らを見ていました。だんだんとけんかに発展し、少々不安にもなりましたが、安心もしました。
家に帰り、疲れてしまった私は、デッキの椅子に腰掛けました。今日は有意義な日でした。いつかの幸せな記憶と、彼の言葉を思い出しながら、私は深々と眠りにつきました。




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私はただ仏兄ちゃんは言葉がうまい、というか、軽くない、と書きたかっただけなんだ。どうしてこうなったかな。

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