追憶、されば行かん


小柄な夏侯覇の目の前に郭淮が立ちふさがっていて、姜維も深くは考えていなかったのだろう。夏侯覇は魏から亡命してきた蜀の将、魏の郭淮は敵だ。だから、討った。油断していたのだ、郭淮は。呆気ないとも思わなかった。一人、敵を討った。その程度にしか思わなかった。
「大丈夫でしたか、夏侯覇殿」
「あ、あぁ」
やり取りはそれだけで、姜維は夏侯覇に背を向けた。次はどうするか、そればかり考えていた。だから彼は気づかなかった、夏侯覇が呆然と郭淮の亡骸を見ていたことに。

父のいた魏を捨て、蜀の将として繰り返される北伐に参加することが、夏侯覇の選んだ道だった。
後ろめたさはあった。夏侯覇は、父が好きだった。父が守ろうとした魏に背いたことに、心苦しくも思った。
それに、郭淮である。父を親愛し、忠義に厚かった郭淮は、きっと夏侯覇を許さない。嫌われたかな、と思うと、夏侯覇は胸が痛んだ。
完全な蜀の将にはなりきれていなかった。
そんななか、郭淮は死んだ。目の前で、姜維の矢に倒れた。
あれから、夏侯覇は、気づくとぼんやりと北を見つめていた。これではいけないと顔を洗って頭を冷やす。されど落ち着かなかった。
「夏侯覇殿は北伐に反対ですか」と、いつだったか憂いを帯びた顔で、君主の護衛役に尋ねられた。いつも通り持ち前の明るさで否定はしたが、なぜか心配された。夏侯覇の心中を察していたからだろうか。
そんなに、気にされたくないのだ。なのに関わらず、本人が一番気にしているのだから、どうにもならなかった。
早く父のもとに行きたい、と一瞬、考えてしまった。らしくない。

幼い頃は、もっと単純な関係だった。
「夏侯淵将軍は、本当に素晴らしいお方だ」
「郭淮、父さんのこと、敬いすぎなんじゃないの」
「そんなことはない、足りないくらいですよ」
「そんなもんなの?」
「口が過ぎますよ」
一種の照れ隠しだった。郭淮に負けず劣らず、夏侯覇も父を尊敬していた。ただ、郭淮の率直な眼差しが、気恥ずかしかった。
あの頃のままいられたら、今頃、どんな人生を送っていられたのだろうか。考えても仕方がないとはわかってはいるけれど。

兵のわめき声と、槍のぶつかりあう音と、大地の揺れが、夏侯覇を急がせていた。
「姜維、俺、もう行くな」
「……あなたは蜀に必要な人だ」
「いやいや、心配しなくたって大丈夫だって」
いつも通りといった具合に、夏侯覇はへらへらと笑った。へらへらと笑って、馬に股がった。
「またな」

重たい鎧を身に付けて、大きな刀を振り回す夏侯覇は、否応なしに目立っていた。鎧兜のせいで顔はよくは見えないが、笑っていたのかもしれない。
「夏侯覇殿を、討つぞ」
狙われることなんて構いやしなかった。懐まで攻め込んでやる。あとは何も考えなかった。ぎりぎりまで、ぎりぎりまで無心になって切り続けていた。投げつけられる石で鎧は砕け、背には矢が刺さった。
(そういえば、父さんも、郭淮も、背に矢を受けたんだよな)
お揃いだな、俺たち。冗談を言うように、夏侯覇はまた笑った。

俺、頑張ったろう。迷ったけれど、全力でここまで来れたよ。許してくれるか、なぁ。







 

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -